第05話「補給路」
いくさにおいて第一に勝敗を決定づけるのは、大局的な戦略でも局地的な戦術でもない。
極めて現実に即した「兵站」という作業であった。
細かく上げればとにかくキリがない。
一般的にいって警察力と軍事力の違いを述べれば、それは自己完結能力の有無に尽きる。
平時において、とある攻撃力を持った暴力組織がことを起こしたとき、各地に設けられた治安機関である警察組織は直ちに鎮圧に向かうが、暴力組織が系統だった補充能力をもってすれば、ひとたび矢弾が尽き人員が損耗した際、組織だって補充を行えず敗北する。
極めて高度な次元でインフラを構築できるのが軍隊であり、また、それを支えるのは膨大な量の資金や物資を充填することができる国家、である。
継続的に戦闘を行うのであれば、剣・槍・弓矢などの武具や、兜、鎧、盾などの防具。
兵に食わせる食料、軍馬に与えるかいばや、野営を行うときに必要な天幕や毛布。
軍の存在をしめす旗や傷ついた兵を治療する際に必要な衛生材料。
細かに上げて行けば膨大な量の「軍需物資」が必要とされる。
特に、ルミアスランサ騎兵軍団ひとつとっても、三万を超える軍馬が日々途方もないほどのかいばを必要とする。
一頭の馬が戦うための栄養を保持するためには、一日二十キロは必要であるとして、三万頭の馬が一日に消費するかいばの量は六百トンである。
また、この駐屯地における十万を超える兵士たちの一日に必要な小麦の量だけでも百二十トンは必要とすれば、人知を超えるような輸送能力が必要とされるのである。
ただ殺し合うというだけの、非生産的な行動にこれだけ無意味な消費を伴うのだ。
ルテリエは天幕のなかで頭を抱えながら、手元に置いた前任者の帳簿と睨めっこをして今すぐにでも首を括りたくなった。
(なんという無駄な多さだ……! おまけに現実として、軍は飢えの兆候がある)
軍隊にはつかず離れず影のように寄り添う「しっぽ」というものが存在する。
それが昨日、ルテリエが駐屯地を視察した際にあちこちで散見できた、従軍商人をはじめとした、勝手についてくる者たちであった。
将校から認可を受けて物資をやや高めで売っている商人たちはいいにしても、それ以外のよくわからない人間が多すぎる。
娼婦たちはかなり質の悪いものが多く存在しており、これらを兵士たちがやったらめたら買うことによって性病はやはり広がりつつあった。
その上、行軍の際、勝手に荷車を押して駄賃をもらう孤児たちや、捨てられる残飯目当ての乞食、さらには兵の無聊を慰めるために芸を行っている大道芸人たちのなかに、敵の斥候らしきものがあからさまに見受けられた。
ルテリエは、士官学校を卒業し国内の叛徒を鎮圧するため数十から数百の小部隊を率いて転戦していたが、ここまでの多すぎる「しっぽ」を見るのははじめての経験だった。
「書物で読んだりオヤジに聞いたことはあったが、実際に見てみるまでわからないものだな」
ルテリエはまずこの「しっぽ」を切ることに腐心した。
軍の上層部と繋がって暴利を貪っている従軍商人と粘り強い交渉の末、契約の改定にこぎつけ、また、下層兵士の給金をピンハネする尉官以上を虱潰し叩いて賃金を正当なものに戻し、軍に活気を与えた。
志願制とはいえ、兵の大多数は手足である下士官以下が大多数を占める。
――この結果、たかだか半月余りでルテリエは全方位のいわゆる「正しくない」軍のお偉方に睨まれることとなったが、元より前線で戦うことのない彼にとっては平気の平左であった。
その日の作戦会議でもルテリエは吊し上げられていた。
もちろん、余禄に与かれなくなったお偉方勢力のチクチクとした嫌みのようなものである。
輜重兵中佐程度でも一応は軍需物資にかけてはルテリエが全軍の胃袋を掌握している。
無論、王太子であるレオの広範な政治力とカリスマにおぶさっている形であるが、汚職の大掃除を行ってほとんどの下級兵士から絶大な支持を得たルテリエを表立って非難できるものもいないという事実があった。
「まーた嫌がらせいわれちゃったよ」
「若さまは決断力がおありなさるからですよ」
従者のカミルを引き連れながら歩けば、兵科を問わず給金を正当に受け取ることができるようになった兵たちがあいさつをしてくる。
カミルはうちの若さまはどんなもんだと鼻息も荒くご満悦だ。
「おい、ルテリエっ。昼食を本部で食べてくるならいっておいてくれないと困るではないか!」
「うおっとと、シェリー中尉。いきなり怒鳴らないでくれよ」
見れば道の中央でシェリーがトレイに食事一式をそろえて目を三角にしていた。
「……えーと、お邪魔みたいなのであっしはこれで」
「おい、カミルっ。ちょっと待ってくれよ!」
この半月でよほどシェリーにこっ酷くやられたのか、カミルは頭にきているシェリーを見た途端風を喰らったように素早く退散するようになっていた。
カミル曰く「うちのカミさんより怖い……」らしい。
シェリーは美形であるがかわいらしいという感じではない。人の見方によってはキツめの美人と評するであろう。
少なくともルテリエは怒り心頭に達したシェリーを見てもどうとも感じない虚無の領域に片足を踏み込んでいたのでこの際はあまり問題にならない。
「せっかく……量の多くて肉がうまそうな部位を配膳したのに」
シェリーは用事をいいつけられればぶつくさ文句をいうわりに、性格なのだろうかきちんきちんといわれた通り必ず守り、所持手抜かりがなかった。
(なんというかこうやって涙ぐんでいるところを見ると、乙女だなって感じる部分もあるんだけど、これはどっちかっていうと悔し涙の部類に近いんじゃないかなぁ。健気といえば健気なような気がするが)
「悪い。いうの忘れてた。いただくよ」
「でも、食べてきたのだろう。それに、これはもう冷めてしまっているし」
「せったくだからさ」
ニコッと愛想よく微笑むと、シェリーは腕を組んだままうしろを向いてしまう。いつものごとくである。
「ふ、ふんっ。意地汚い男だな。ま、まあそんなにがっつきたいのであれば、好きにすればいいさ! ……あ、そこの脂肪がふよふよしたところは特においしいと思うぞ」
「あーはいはい」
ルテリエはそこいらに積んであった軍隊行李に腰かけると、シチューとパンの質素な昼飯を掻きこみはじめた。軍隊では早飯早糞は諸事必須スキルである。
もたもたしていると食いっぱぐれて、そのまま成仏ということもゼロではないのが恐ろしいところだった。
「なあ、ルテリエ。なにか、また会議でいわれたのか」
「ああ。諸事刷新のことについてね。よっぽどおまけを取り上げられた坊やたちがそろって上をつついているらしい」
「私は、おまえがやったこと……悔しいが、いいことだと思う」
尻すぼみになった言葉に顔を上げると、シェリーはハッと自分の口を手で押さえ、視線をあたりにさまよわせ出した。
「か、勘違いするなっ。別におまえを認めたわけではないからなっ。ただ、私のようなものでもわかるよ。兵たちの活気がずいぶんと違う。特に平民出身の志願兵たちはおまえのことを神のように崇めている者もいる」
「軍は結局のところ命を賭けてるわりには高給取りとはいえないしなぁ。将校に至ってはほぼ貴族が占めているし、ねえ」
「おまえの家も侯爵だろう。まったく言葉に現実感が備わっていないな」
「おっしゃるとおり」
「……」
「ん? どうした。いきなり黙ってしまって」
「なんでもないっ。とっとと食ったら戻るぞ! 書類が山のように溜まっていて私では捌ききれんっ」
「なーんだっていうんだよ。そんなに急がなくても、もう食い終わったってば。ねえ」
シェリーに手を引かれるようにして自分の天幕に戻ると、そこには派手派手しいドレスに身を包んだ脂粉漂わせる艶やかな女たちが一足先に戻ったカミルと激しくいい争っていた。
「なんだっ。おまえの下僕は、ふ、ふふふ、不潔な売笑婦を、かか、買っているのか!」
「別にカミルだってまだ女に興味がなくなる年じゃないし、おかしなことはないと思うけど」
「けど?」
「ま、彼女たちの目当ては私だろうな」
シェリーはさっと顔に火を走らせて真っ赤にすると、大きく跳躍して両手で自分の身体を抱きかかえて金切り声を上げはじめた。
「お、おまえは」
「あー、勘違いしているようだからいわせてもらうけど」
「ややや、やっぱりっ。やっぱりおまえも娼婦を買っていたんだなっ。それに大挙して押し寄せてくるなんて、おおかためちゃくちゃに値切ったんだっ。不潔っ、変態っ、卑劣漢っ!」
「やっぱりってなんなんだよ。それに私は買うなら買うで値切ったりしないよ」
「ほらっ、やっぱり買ったんだっ! スケベ! 信じていたのにっ」
「いや、まったく信じていないでしょう、あなたは」
集まって来た兵士たちがニヤニヤしながらルテリエとシェリーのやりとりを生あたたかい目で見守り出した。
大方娼婦を買ったか買わないで痴話喧嘩をしているのだと決めつけているのだろう。
ルテリエはがしがしと後ろ頭を掻いて、ただでさえボサボサの髪をぐしゃぐしゃにすると、カミルといい争う娼婦の群れに割って入る。
「なんだいあんたはっ。今は取り込みちゅうだよ! っと。そのぴかぴかした軍服からすると、今噂のシャンポリオン中佐ご本人かい?」
長キセルをすぱすぱいわせながら、真っ赤な紅が強烈な印象の金髪の娼婦は、切れ長の目をスッと細め、上乳がそっくり見える淫猥な胸元をずいと突き出し顔を近づけてきた。
「そうだけど、君は?」
「あたしは娼婦のスカーレット。今日はあんたたち元締めについて文句があってきたんだよっ」
「んんん。なにか問題でもあったかな。当番たちには娼婦溜まりに医者を派遣して、ひとりひとり診察するように命じておいたはずだけど」
「それが問題なんだよっ。どうしてあたしたちが銅貨一枚払わない野郎にお宝をタダで見せてやんなきゃなんないのさっ。抗議をしたけりゃあんたにいえって居丈高にいうし……! それに稼ぎのいい場所には立ち入るななんて殺生なことまでっ。前の大佐はそんなこと決していわなかったよっ」
「ああ、ハミルトン大佐ね。汚職で更迭された。でもさ、彼、うるさいこといわない代わりに君らから金を受け取ってたよね。軍の許しもなしに」
「そんなことあたしらにゃ関係ないよっ」
「じゃ、順番に説明しようか。別にお医者さんは君たちのいやらしい場所をいやらしい気持ちで見てるわけじゃない。あれは性病が蔓延しないようにチェックを行っているだけだよ」
「でも、そんなこといわれたって、商売ができなきゃ食ってけないよ」
「あれ? 担当の当番には病気の者がいたら申告するように伝えろっていっておいたんだけど」
「でも、それってここからあたしらを追い出すつもりなんだろう」
「そうじゃない。病気で商売ができなきゃ私たちの仕事を手伝ってもらうつもりだったんだよ」
「あたしたちに軍夫の真似ごとをしろって……! それこそ酷すぎるよ。あたしらに、あんな重たげなもの運ぶなんて真似できっこない。ねえ、隊長さん。この腕と脚をごらんよ。とてもじゃないけど、牛馬みたくえっちらおっちら荷馬車を引いたりしたりなんかできやしないって、ねえ」
スカーレットは強く出てもルテリエが微塵も表情を変えないと知ると、ぺろんと腕や生脚を見せつけ、情と色とに訴えかけだした。
目には涙さえ浮かべて見せて、細い腕を伸ばしてルテリエの胸板をつーっと指先でなぞって見せる。
それを黙って見ていられなかったのか。
シェリーは素早くルテリエをかばうように間に入り込むと、両手を広げて猫の子を追い払うように「しっ」と叫んだ。
「おやおや隊長さんには、コレがあるってことなのねぇ。へえ」
「汚らわしい娼婦どもめ……! そもそもおまえたちは私たちがお情けで置いてやっているんだぞ。追い出されないだけありがたいと思え」
「はっ。なにをいっちゃってくれてるんですかねぇ、この小娘はっ」
「こ、小娘ッ。この私のことか! 無礼なっ」
「なーにが無礼よ。憚りながらあたしたちは兵隊さんに抱かれることでお国の役に立っているのさ! もし、あたしたちがここからいなくなってご覧よ。男どもは飢えた獣のように近場の村を片っ端から襲うに決まってる。そんときは、あんたみたいなツンツンした小娘だって例外じゃないっ。そんなこともわかんないなんて、生娘の知恵なんて浅くて浅くてお話になりゃしないわっ!」
「こ、この――っ!」
「やめるんだ、シェリー中尉。彼女は私と談判中で、これは命令だ」
「……は」
さすがに衆目のある場所で威厳をもって命ぜられればシェリーも従うほかはない。
軍が軍として機能できるのは、極論その階級というものを絶対的な規範としているからである。
「で、スカーレットだったけ。話を元に戻そうか。私たちを手伝えっていうのは別に重たい荷車を引けってことじゃないよ。兵士たちの衣服を洗濯したり、繕ったり、怪我をした兵士たちの看病をしたり、食事を作ったり。そういうことをやって欲しいんだ。まもなく、エトリアと激戦が行われるはず。そうなれば今ある救護所だけじゃ到底足りなくなるから、もっときちんとした施設を作るつもり。日当はきちんと出すよ。それと、若い将校がいる場所へ立ち入り禁止にしたのは君たちが一番よくわかってるはず。彼らを脅したのだろう。そんで、花代をぼったくった。別に娼婦が兵士を脅すのなんて力は必要ない。男の性癖を駐屯地じゅうに広げるぞと脅せば、若い貴族のおぼっちゃんは震えあがって小遣いを残らず差し出すに決まってる。あんな十四、五の子供を脅してどうなるもんでもないだろう」
「はーい。反省してまーす」
スカーレットは右手を高々と上げてコケティッシュに口元にえくぼを作ると、スイカのような爆乳をばるんと揺らした。
なるほどこれでは男たちも夢中になるはずと納得させるいいものだった。
「中佐。一体、どこを見てらっしゃるのでしょうかねぇ……」
「見てない、見てないよっ中尉っ。いだっ、脚踏むなってば!」
「でもそれだって一回分の料金を勝手に決めるんだって、酷いよ」
「別に全員が全員必ず娼婦を買ってるわけじゃないとはいえ、おまえたちは千人程度しかいないんだ。料金と一日とっていい客の数を決めてるのは、おまえたちが無理をして身体を壊さないように配慮しているだけだって。まあ、こちらとしても歩み寄れる部分があれば配慮するから、さあ、今夜はこれでみんなに精のつくものでも食べさせてやれよ」
「金貨をこんなにっ! こんだけあればあたしの半年分の稼ぎになるよっ。あんがとっ、隊長さんっ」
「ちょっ、んんっ!」
スカーレットは手渡された袋の金貨を目にすると猫撫で声になってむしゃぶりついてきた。
周囲の兵士からはおおっというどよめきが流れると同時に、ルテリエは口中に押し込まれてきたねっとりしたスカーレットの熱い舌のねっとりとした動きを感じ棒立ちになった。
「隊長さんっ。スカーレットっていってくれれば、いっくらでもサービスしたげるからさっ。待ってるからねっ」
「あ、あはは」
ルテリエは紅だらけにされた顔をハンカチで拭きながら、意気揚々と踊りながら去っていくスカーレットの後姿を見やった。
「大佐。彼女、案外あっさり納得して帰りましたね」
「とりあえずなにかしらいってみたかったんだろうね。で、それなりにものは得られたと。彼女が娼婦の元締めらしいから、この程度のお小遣いで静かにできればむしろリーズナブルってやつだよ」
「でも先ほど彼女に渡したのって公金ですよね。大佐も前任者と同じことやってるんじゃないでしょうかね」
「は? おいおい、私は別にそんなつもりじゃ――」
立ち上がって膝の埃を払っていると、強烈な一撃が金的を襲った。
「か、かはっ」
「大佐の破廉恥漢っ。やっぱり男は男なんじゃないかっ。あほーっ!」
「若さまーっ。お気を確かに!」
ルテリエは股間を押さえてオカマのような歩き方をすると、嫌な汗が流れるのを感じながら、再びケツから地べたへ座り込むハメになった。
「おい、ルテリエっ。七日も無断で駐屯地をカラにするとはどういうことなんだ――いや、私は怒っていないぞ。もう、蹴ったりしないから、ほら、ほらな。に、にこー」
「別に君の存在が怖くて逃げだしたわけじゃないと名誉のためにいっておくよ」
ルテリエは一週間ぶりにシェリニーアに会うと思わず及び腰になった。
彼が駐屯地を空けていたのは、単純に兵站における陳情で都にいる財務大臣を訊ねていたまでのことだった。
「主計総監なら陣にいるのでは? 行動費が足りぬのであれば、現場の裁量である程度はどうにでもなるのだろう」
「ならないから直接行ったんだよ。ついで道を見てきた。ま、おおよそ見聞したけど、思ったように手が必要だったよ」
「道……?」
シェリーはそれがなにか戦争と関係あるの? というような童女のように純粋な瞳でオウム返しに聞き返してくる。
「ちょっと、ついてきてくれないかな。見せたいものがあるのですよ、お嬢さま」
「また、そうやって私のことを馬鹿にするかっ」
「違うって。まあ、だいたい君のことがわかってきたような気がするよ」
「私のことを簡単に理解したようにいわないでもらおうか。ふ、ふふふ、深い仲だと他人に思われても困るからな」
「あー、もうそういうのはいいから」
ルテリエはのろのろ歩きながら駐屯地を出ると、今しがた国内のあちこちから集められた物資を差配するカミルに手を振った。
カミルはルテリエの姿に気づくと、うれしそうに駆け寄って今にも飛びつかん様子を見せる。
「若さまっ。首尾はどうでしたか?」
「やあ渋った渋ったけど、なんとかかんとか説き伏せたよ。追加はちょっと難しいかも」
「なあ、ルテリエ。見せたいものとはカミルの不景気な顔なのか?」
「姫さん。相変わらずあっしのことをぼろくそいってくれますねぇ」
「ふん。本当のことをいったまでだ」
「おいおい、別に君たちに喧嘩させるために連れてきたわけじゃない。シェリー。ほら、ここ。この道を見てごらんって」
「んー。わ。気づかなかったけど、かなり酷いことになってる」
駐屯地に繋がる広い道は無数に出入りする軍需物資を満載した荷馬車の重みによってあちこちが崩れ去り、目を覆うような陥没があちこちに生まれていた。
「んー。一応は陣のそばだからほぼ毎日手入れしているんだけど、それでもこの酷さだ」
「まあ、そうなるはずだな」
シェリーが目で追っている四頭立ての馬車はこれでもかとばかりに過積載を限界まで突破して、あらゆるものを運び続けている。
「考えても見てよ。あの荷馬車一両でだいたい武装した五千の歩兵が通ったダメージを道に与え続けている。それに、いわなくてもわかるだろうけど、ほらあの山の向こう側まで陣に運び込む荷馬車で慢性的な渋滞が起きている。
ここは、国内なんでタコが腹をすかして自分の脚を食うように、領地から好き放題挑発もできない。メシは自前に頼らざるを得ない。
一方、我が国に侵入しているエトリアは腹が減ったら好き勝手に土地を移動し略奪すればいいときた。戦争は、根源的に敵に攻め込ませちゃダメなんだ」
いにしえの中国に伝わる孫子の兵法の一説にも、糧食は敵地で確保せよと述べられている。
これは、古代の戦争における糧秣の補給がいかに困難を極めたのかを端的に示していた。
簡単にいえば、メシを用意せず人の家に乗り込んで喧嘩をし、あまつさえ金品や冷蔵庫に保管してあったものを残らず食い散らかしていく、ということをイメージしてもらえばたやすい。
「エトリア軍が狙っている地域。つまりは、我らルミアスランサが誇る四つの鉱山がある付近には、手ごろな河川がないってのも厳しいんだよなぁ」
「? どういうこと、なんだ?」
「河が近くにあれば糧秣は船で楽チンに運べるだろ」
「あっ……そうか」
戦争というものは貧しい国が豊かな国に仕掛けるのが普通である。
富める国が貧しい国を攻め立ててもメリットというものが……ない。
占領地域には守備兵を置かなければならないし、ズタズタに破壊されたインフラも持ち出しで修理しなくてはならず、そのようにボロ負けした貧しい国が多額の賠償金を払えるかという首を捻らずにはいられない。
「だから私は軍用道路を整備するために資金調達に行っていたんだよ。別に黙ってたわけじゃない。ちゃんと君には伝えたよ……昼寝の時間にね」
「なっ……! 婦女子の寝間にこっそり入るなんてっ。ありえないっ」
「わーっ。ちょっと待って、ちょっと待って。二度目はやばい、やばいからって」
「むう。で、どれほど輸卒を補充したのだ。ん、なんだその指は。ふむ、五千人か。元々三万はいただろうに。少し多すぎなのではない――なぜそこで首を振る? 片手は五千じゃ。まさか」
「うん、五万」
シェリーは酸素を求める金魚のように口をパクパクさせると、茫然としているカミルを見やった。こちらも人魚化していた。
「補充の輜重輸卒は五万人。で、合わせて八万。キリよく十万のほうがよかったかな」
いかなる魔術的手法を用いたのか、八万の軍夫を駆りだしての大工事である。
ルテリエの頭のなかにはあらかじめ、都からこの地域までの地形がそっくり入っているかのように、綿密な道路計画ができあがっていた。
「えーと、あと、この駐屯地はあまり場所がよくないので、ここからもうちょっと西に行ったコモロに移動させます」
鶴の一声というわけではないが、ルテリエの提言は諸将のたいした反対もなくあっさり決まった。
そもそも軍隊というもの自体が移動するいきものなのだからだ。
もっとも、このあたりの地盤は元々湿気が多く、また軍上層部の考えでは西方の敵主力に少しでも肉薄して圧をかけるという狙いもあり、たまたま一介の輜重兵中佐の意見が通ったかのように偽装され、一度も戦争をしていないにもかかわらずルテリエの名は全軍の知られることとなった。
突貫工事は昼夜を問わずしてはじめられた。
なにせ敵軍を前面に構えてのことである。
一転、土木工事監督に変身したルテリエは八万の輸卒たちを手足のように指揮して、悪路の改良に着手した。
(ま、無理いって軍から金を捻り出した価値はあるってことを証明しなきゃ、本当に私の首がとんでしまうからな)
ルテリエはシャンポリオン家の名を使って都の王城に住む有力貴族を片っ端から説いた。
金はなくとも家名は知れ渡っている。
また、ルミアスランサ貴族のほとんどと長きに渡る婚姻を繰り返し、どの家をとってみても血の濃淡を気にしなければほとんど親戚なのだ。
戦いが長引けば今以上に国費は軍費として蕩尽され、時間が経てば経つほど周囲の国々が嵩にかかって攻め寄せてくるだろう危険を、貴族の主人ではなく、妻やその娘たちに向かって説いた。
ルテリエはこういった稚拙な脅しは、男よりも世間をよく知らぬ女子供によく効くと知っており、一旦このように撒いた戦禍の毒は瞬く間に浸透し、あとは彼女たちが黙っていても夫君を説得してくれたのである。
そうでもなければこんな短期間で煽った恐怖によって金を引き出すことはできなかっただろう。
直接財務大臣を説き伏せて臨時的な軍事費を絞り出したルテリエはそれを工事に携わる軍夫や輸卒たちへと景気よくばら撒いた。
吝嗇で知られるルミアスランサ軍には珍しい大盤振る舞いに、貧しい周囲の農村からも金のにおいを嗅ぎつけた人々が砂糖にたかるアリのように集まって、工事は神がかり的なスピードで推移してゆく。
ルテリエは軍用道路の軟弱地盤――粘土やシルト(粘土と砂の中間土質)、ゆるい砂の地層――などを改良して強化し、場所場所によって天然アスファルトで舗装し、駄載した軍馬の往来に耐えうる道の建設に取りかかりになった。
「毎日毎日頑張ることだな」
「ん。ああ、シェリー中尉か」
シェリーは天幕のなかで工事計画書と睨めっこしているルテリエに近づくと、手にした書類を簡易机にどさりと積み上げた。
「工事の進捗状況だ。早く目を通してくれと下からせっつかれている」
「……ああん。わかった」
もう何日もロクに寝ずに働いているのだろう。
元々どちらかといえば痩せ型だったルテリエの頬は削ぎ落されたように痩け、目元はドス黒く隈ができ、目だけはギラギラと鈍く光り輝いていた。
シェリーは野獣のように貪婪な瞳をうっかり覗き込んでしまい、ぶるっと骨盤から背骨を抜ける激しい震えを感じ低く呻いた。
それはどこか性的快感にも似た奇妙な感覚で自分でもわけがわからず、ついつち相対する男に対してつっけんどんな口調になってしまう。
「なんだその呆けたような声は。みなが骨身を惜しまず作業に没頭しているのだぞ。指揮官であるおまえがそんなようでは示しがつかないではないかっ」
「悪い、ごめん、今度からちゃんとする」
ルテリエは特徴的な猫背をさらに丸め机を抱え込むようにして再び書類に目を走らせ出す。
この男が努力していることは理解できる。
だが、感情においてはシェリーのなかで、実際に騎馬を駆って敵を駆逐する兵こそが軍人の本領であるという思いがいかようにも強すぎた。
現在、新たに新設された駐屯地には、輜重兵と娼婦や従軍商人くらいしか残っていない。
ルミアスランサ軍の主力は動き出したエトリア軍を求めてついに出発したのだ。
聞けば、はるか遠方では幾つかの小城を巡って、取った取られたを盛んに繰り返している。
左腕をわずかに動かせば痛みが走る。
やってやれないことはないだろうが、兄であるレオが到底従軍を許さないであろう。そう思えば思うほど鬱々とした心は晴れることがなかった。
「ずいぶん元気がないようだが。最近、ちゃんと食事はとっているのか?」
「ああ、食ったよ。たぶん……おとといくらいに」
「ぜんっぜん食べていないじゃないか。呆れた男だな」
シェリーはふうとため息を吐くと、足早に給仕場へ行って手ごろなパンやチーズ、どろどろのシチュー、それに乾燥肉にカップにバターをたっぷり入れた茶を用意すると天幕に戻って未だ書類と格闘するルテリエに与えた。
「ほら。疲れているときほど、食事はちゃんととる。よく噛まないと栄養にならない。ああ、こぼしてしまって、まったく。赤ちゃんか、おまえは……」
「ぐう……面目……ない」
ルテリエはに疲労しているのか、スプーンを渡しても震えた指先から取り落としてしまう。
「ちょっと待った。そんなに疲れてるのなら休んだほうが効率がよいのではないかっ?」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと数字に気を取られ過ぎてたけど……もう平気だから」
「なんたるていたらくなんだ。ほら、スプーンをよこせ」
シェリーは気づけばルテリエを介護するようにシチューをスプーンですくって口元に食べさせ、パンを千切って口のなかに放り込んでいた。
「もぐ、もぐ……」
(なにか、動物みたいでかわいいな)
「あんがと。ごちそうさん」
「い、いや……はっ!」
シェリーは力なく笑うルテリエを見て我を取り戻した。
一体これはどういことだ。こんなふうに献身的に尽くすなんて、まるで、恋人同士みたいではないか。
「あんまり人に甘えるんじゃないっ」
「ぶっ!」
ほとんど反射的に頭がカッと熱くなって手にしたトレイをルテリエの顔面にぶつけてしまった。
ルテリエはどんがらがっしゃんと椅子ごと背後に倒れると、頭をさすりながらようやく起き上がって来る。
「親切にしてくれたと思ったら、急に怒ったりして……君のことはよくわからない」
(私のことがよくわからないって? 私も私のことがよくわからないっ)
考えてみれば修道院を出て軍に志願して以来、ひとりの男性とこれほどまで長い時間をともに過ごしたことはなかった。
シェリーは考える。
世間でよくいうあれである。いっしょにいて情が移ったというただそれだけのことだ。
もやもやした気持ちのまま顔をぶんぶんと左右に振っていると、天幕を押し開いてひとりの兵士が焦った声で叫んだ。
それは、国内における最大勢力を誇るオークの蛮族が決起したという凶報だった。
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