第07話「匪賊討伐」

 オークの数は全部で五体。生き残った兵から得た情報でシェリーが連れ込まれた納屋を短時間で発見できたのは幸運というものだった。


 ルテリエはつがえた矢をひょうと放つと、まずシェリーたちの一番近くで見聞していたオークの脳天を狙い違わず射抜いた。


 巨体がどっと倒れて、埃が灰神楽のように立ち昇った。家畜とカビの臭気が籠った藁が勢いよく散らばって、シェリーと伸しかかっていた男に降りかかる。


 オークたちは、追いつめられた獣のように牙を剥き出しにし、口元から泡を吐き出しながら襲いかかってくる。


「かかれっ!」


 ルテリエは一歩退き背後の兵たちに長槍を突き出させ突貫させた。


 いくら個々のオークの膂力が人間などよりも遥かに立ち勝っていようとも、数にはかなわない。


 ぐさぐさと鋭利な穂先に胸や腹を抉られ、瞬く間に三体のオークが地にのめった。


 残ったもっとも巨大なオークがこん棒を狂ったように振り回しながら駆け寄って来る。


「我こそはジュグク族の勇者オスゲイの孫にしてクランチの子ドヴォルクなりっ!」


「悪いがおまえと遊んでいる暇はないんだ」


 ルテリエは冷静に矢をつがえると、名乗りを上げながら飛びかかって来るボスオークに距離を詰めさせることなく放って右目を射抜いた。


 耳をつんざく絶叫が流れる。兵たちは機械的に槍を突き出すと、たいした苦労もなくオークの身体を穴だらけにして葬ることに成功した。


「大丈夫か、シェリー」

「ルテリエっ!」


 ほとんど半裸になったシェリーが飛びついて来る。ルテリエはあまりの惨状に顔を歪めながらカミルに命じて毛布をかけさせた。


 すぐそばには血塗れになったスタンリー少尉が放心状態で納屋の天井を見やっている。


 感情を消した表情でルテリエは部下に命ずるとスタンリーを運び出させた。


「中佐どの。村は制圧しました。オークたちは散り散りになって西方へ逃走中です」


「よし。騎兵をもってすみやかに残敵を掃討。ルーカス准尉。指揮は君がとれ」


「了解」


 ルテリエはシェリーを抱き上げたまま納屋を出た。


 空の彼方はかすかに白く輝き、あたりの石くれを積んで家畜の糞便を塗り固めた粗末な家屋が露わになっていく。


 冷たく引き締まった朝の風が頬を撫でる。


 ルテリエは目を細めるとあたりに散乱したオークたちの死骸を踏まぬようひょいひょいとよけながら移動していく。


 シェリーは泣きじゃくりながらルテリエの胸に顔を埋め子供のように鼻をすんすんと鳴らしていた。


「勝手なことをするからだ、ばか」

「ごめん、ごめん。ごめんなさいっ」


 媚の籠った声で許しを請うように泣かれると、さすがにルテリエもそれ以上彼女の軽挙妄動を責める気にはなれなかった。


 が、事態はそれほど簡単には収まるはずもない。


 オークを残らず殲滅し終えたとの復命をルーカス准尉から受けて、ルテリエは兵を駐屯地に戻した。


(だが、まあ、これも想定の範囲内だ)


 実のところ、ルテリエは必ず隊の誰かしらが命に背いて兵を動かし抜け駆けの功名を認めさせに来るだろうと、半ば確信していた。


 輜重隊とほかの兵種から蔑まれていても、その軍権は実入りが大きかった。


 国軍の胃袋をそっくり預かっているのだ。


 慣習として、輜重隊の幹部は既得権益としての横領を日常的に行っていたし、実のところ前任者が更迭されて以来、これを狙っていたものは多かった。


(その筆頭がブルックス少佐だった。彼は、レオが横車を押して私を輜重隊長にしたことがよほど不満だったんだろうな。だから、陰に陽に子飼いの部下たちを扇動して目につかぬよう、補給業務をわざと遅滞させたり、輜重輸卒を煽って軍用道路の工事を妨害した。だから、今回の抜け駆けは、私にとってはいい機会だったんだよ)


 ルテリエがわざと近隣の救援を断ればブルックス少佐は部下を唆し、兵を自儘に動かし目に見える戦功を立て本軍にアピールする。


 それにより余禄の大きい輜重隊長へと自らすげ替えを行おうとした。


 だが、その程度のことはルテリエが潜ませていた間諜によってすべて筒抜けだったのだ。


 シェリーのようなねんねが念の入った眠り薬など自分で調達できようはずもない。


 酒は飲むふりをして、シェリーが割符を盗むのも計算のうち。


 編成した独立部隊が門を出た同時に、ルテリエは予め命じておいた予備隊を側面と背後に回して手柄を横からまんまと掠め取ろうと考えていたのだった。


(少佐が実働部隊にいなかったことは計算外だった。ギリギリで臆病風にでも吹かれたか)


 ルテリエは泣き疲れてベッドで無防備に寝てしまったシェリーの横顔を見ながら、今度は本当の酒精をちびりちびりと呷っていた。


 銀盆の上に手にしていたメモを置き、ロウソクの火を近づけ燃やしにかかる。


 そこには、今回、独自に兵を動かすことに賛同した隊の不穏分子の名がリスト化され載っていた。

 十七人の尉官は罪を不問に付すと、わざと恩を着せて置き後方の勤務地に更迭した。


 空いた穴はシャンポリオン家の息がかかった一族で占め、ようやくのことルテリエは真の意味で輜重部隊の実権を確立することに成功した。


「下士官と兵は命じられただけだ……罪に問う必要はない」


 帰陣してすぐに行った軍法会議を思い出し、自分の狸ぶりに胃がキリキリと痛んだ。


 問題はシェリーのことである。


 彼女の純真さを嘲笑うかのように泳がせていたことや、また王族だということも加味してほかの士官と同列に裁くことはできなかった。


 レオの王太子としての面目もある。もし、彼女が上官の割符を奪って兵をいたずらに動かしたと分かれば、いくら作戦が成功したとはいえ、その罪はいかんともしがたい。


 その上、彼女は敵方のオークに捕まり兵を空中分解させたという罪も浮上する。


 人々の上に立つ貴族にとって「敗北」の二文字はなにをどう取り繕おうとも恥であった。


 おまけに、淑女である彼女が好色で知られるオークにいっときでも捕まった事実が公になれば、その貞操の清らかさが真実は関係なしに取り沙汰されるのさけられない。


 だからルテリエは猿芝居を打った。わかっていながら、その役を知らず演じさせておいた繰り人形をかばうかのように、彼女の罪は上官の罪だと下士官の前で自ら跪き、裁きを止めるようかばう演技を行った。


(兵たちのほとんどは、学がない代わりに素朴で直情だ。その上どういった勘違いかは知らないが、私と彼女が恋仲だと思い込んでいる。それを逆手に取らせてもらった……)


 ルテリエは日頃思われがちだった、規則に細かく固く思われがちだった士官学校出のエリートである殻を壊すため、あえて自分の女のためルールを破るという偽りの弱さを兵たちに見せたのだ。


 人間はまるで欠点のない人格者よりも、人としての弱みを持つものに親近感を抱くものだ。


 ルテリエはあえて感情を激するよう振る舞うことで、公正でないシェリーに対する判決をうやむやにすることに成功した。


「本当に謝らなきゃいけないのは、私なんだよ。シェリー」


 ルテリエは酔いが回った頭を拳でとんとん叩きながら、椅子に深く腰かけ、酒臭い息を吐き出しながら自分の卑怯なやり方を神に懺悔した。


 まだ、仕事は残っている。それも極めつけにたくさん。







 夢うつつのままシェリーはぬくぬくしたベッドの上で横たわっていた。


 昨晩のことは夢であったのだろうか。


 真実、いくさに破れ信頼していたスタンリーに襲われかけ、あわやという瞬間で戸を押し破って現れたルテリエの姿は絵物語の騎士のようであった。


(まだ、胸がどきどきしている)


 シェリーは幼い頃から禁欲的な修道院で厳しくしつけられたが、なにごとも無理に抑制すればするほど妄想というものは肥大化するものだ。


 シスターたちのなかでも、こっそりどこからかで仕入れた艶本を回し読みする不埒なものもいたが、シェリーはむしろそれらを忌避し、ありとあらゆる男性を想像することすら厭わしいと振る舞うふうがあり、尼僧のなかでもお堅いといわれていた。


 だが真実は違った。夢見がちな乙女は同輩を厳しくたしなめるとともに、実のところ白馬に乗った王子さまがやってきて自分を退屈な修道院から連れ出してくれないかと、日々妄想をたくましくしていたものだった。


 やがて政情が不安定になり、王宮から政治の手駒のひとつとして還俗させられてすぐ、シェリーは嫁入りを強烈に拒否すると騎士として生きるためあえて軍に入り、異腹兄であるレオと行動をともにするようになった。


 実際、王太子であり時期国王と目されるレオは男としてほぼ完璧だった。


「しかしそういうけれどなシェリー。俺なんてどうってことない。ルテリエほど才に恵まれ勇気のある男を俺は知らんよ」


 はじめはレオがいう言葉を聞き流し、やがてあまりにしつこくその男のことばかり話すもので仲まで疑わざるを得ない状況に追い込まれた。


 敬愛し、ほのかな情まで抱くようになった兄が手放しで褒める青年だ。シェリーは気のない素振りをしながらも、心のなかで最高の騎士像を勝手に作り上げてしまっていた。


 見ると聞くとでは大違い。


 ――やられた! 


 シェリーが小さな胸を焦がしてようやく目にしたその人物は、妄想のなかで描いていた強くたくましい理想の男性像とは大きくかけ離れていた。


 確かに顔かたちの作りは悪くなく背も高いが、どこかまどろみのなかにいる猫のようにとろんとしていて、どう考えても乙女がのぼせるような男ではなかった。


「けど、昨晩のルテリエは違った。違ったんだ……」


 戦場で見るルテリエは駐屯地で見るぼうっとした事務屋の雰囲気はカケラもなく、歴戦の勇士を思わせる手並みで、自分を襲っていたオークたちを瞬く間に平らげると、その力強い両腕で強く抱きしめてくれたのだ。


 そして先ほどのことのように思い出す。勝手に割符を奪って兵を動かし、おまけに指揮官としてあってはならない失態を犯して虜になった自分はいくら王族であろうと、厳しく処罰されることは目に見えていた。


 シェリーのなかには、出陣前にあった衆目を驚かしてやろうという功名心や妙な自意識はあとかたもなく、今あるのはルテリエと兄に対するもうしわけないという気持ちと、裁きに対する純粋な恐れだった。


 修道院にいた頃から、誰か咎めることはあっても叱責されたことはほとんどないシェリーだ。


 おまけに今回は無謀な攻撃で三十七名という少なくない損耗を隊に強いている。


 それをかばってくれたのは、ほかでもない隊長であるルテリエだった。


「シェリーの罪は上官である私の罪だ。この罪は、私が責任をもって償わせる。もし、彼女がもう一度愚かなことをしたら、それはすべて私の罪で、そのときはこの首をもって代わりに服す。どうか今回のことだけは目をつぶって欲しい。お願いだ……!」


 本来このような職権を乱用するような私的な判断はもっとも嫌う行為だったはずなのに、シェリーの心に浮かび上がったのは純粋なよろこびと感動だった。


「やだ……また私ったら」


 自分をかばって兵たちに懇願するルテリエの背中は大きくたくましいものだった。


 ああ、この人になら自分のすべてを預けられる。


 爆発的な感情を抑えきれないまま、シェリーはようやく自分のいる場所がいつもの天幕ではなく、ルテリエの寝床だと理解して身体じゅうから炎が吹き出るほどの熱さを感じた。


 うつぶせになって枕に顔を埋める。なんともえいない整髪料と若い男の体臭が鼻孔いっぱいになった。


「ルテリエのにおいだ……」


 切ない気分のままシェリーは自分の気持ちに整理がつかず激しく煩悶した。







「うー。さすがにちょこっと眠い」


 ルテリエは一睡もすることなく、昨晩のオーク討伐の報告書を作成したのち、軍の再編成を行っていた。


 率いる兵は千騎。そのうち騎馬は二百であり、これをもって補給路を襲っている小規模の匪賊をこの際一掃する予定であった。


「若さま。準備はほぼ整いやしたが、お身体のほうは平気なんで? 少しは休まれたら」


「んー。残念ながらそんな暇はないんだなぁ。ま、慣れてるから二、三日は寝なくったって死なないよ。それに、今日は昼立ちしてイントルの街で泊まりだよ。たいして移動しやしない。夜になったらぐっすり寝るさ」


 馬を曳いてきたカミルにそういうとルテリエはひらりと華麗な身のこなしで飛び乗った。


(酒なんざ飲むんじゃなかったよ。ったく)


 ルミアスランサ軍の補給路は国内だけにエトリアよりもずっと良好だが、このところ特にあちこちで散発的に攻撃を受けていると報告を受けていたので、とうとう討伐に乗り出したのだ。


 えてして、このような数十人からなる野盗崩れは軍の大部隊が近づいたと知ると、雲を霞とパッと消えて山野に逃げ込み、傷ついた獣のようにジッとして動くことがない。


 そのため、今回は小細工を擁してエサで敵を釣ろうという作戦だった。


 前任者は、数十程度の雑魚は放っておいても問題がないとしていたのか、ほぼ横領と蓄財に励むだけで、兵站に関してはほぼ関心がないというムチャクチャ加減さだった。


「あのやり方でよく戦線が崩壊しなかったな。レオの苦衷がわかるよ。が、私はいままでのやつらとは、一味違うんだぞ、と」


「若さま直々に討伐とは匪賊どももついにこれまでってやつさね。及ばずながらあっしも頑張りやすぜ!」


「まーおまえも若くないんだから、無理をしないようにね」


「あっ。そいつは酷すぎやすよ、若さまっ」

「待ってくれ! 私も行くぞっ!」


 隊伍を整えて、いざ出発というところでシェリーの声が後方から飛んできた。


「あー。中尉か。君は昨晩のこともあるから、今日くらいはゆっくりしてればいいのに」


「そんなことはできないっ! 頼む、このままでは心苦しい。片腕は使えなくても剣は振るえるし、物見だってなんだってやる……やります。中佐、私も是非討伐にお加えください!」


「けどねぇ」

「お願い……」


「うっ!」


 シェリーはそれでなくても美少女だ。こうして涙目で上目遣いに懇願されると、良心の呵責もあって即座に突っぱねることもルテリエにはできそうになかった。


「わ、わかったよ。カミル。彼女の馬を用意してやってくれ」


「へい、了解ですぜっ。若さまっ」


「なーにニヤニヤしてるんだよ。さっさと行く!」


「おーこわ。じゃ、姫さま。道中短いですが若さまのことくれぐれもよろしくお願いしやすぜ」


「ん。カミル、任せろ。中佐は私がお守りする」

「……なんなんだよ君は。もう」


「お守りするからな」


「ちょっ、怖ッ! こっちに来ないでくれるかなっ?」


 ともあれルテリエ率いる千余騎は出発した。一日目は予定通りトルインの街で宿を取ると、二日目三日目と強行軍を行って、都近くの草深い地点に到着した。


 地元の人間と襲撃を受けた兵たちの証言によれば、匪賊たちは物資を運ぶ輸卒のまわりに警護の兵がいないときを狙って疾風のように駆け寄って略奪を行い、そして近場の領主が兵を差し向ける前に逃げ去っていくという。


 ルテリエは軍用道路のなかでも昼でも薄暗い林にある隘路付近に到着すると、兵を分けて、周囲の探索を強化し、自らは百の兵を率いて埋伏した。


 目の前は囮のためわざと輜重兵の数を調節した荷馬車がゆっくりと移動している。


「中佐。敵は、本当に襲ってくるのだろうか」


 シェリーが小首を傾げながら訊ねてくる。というか、距離が近い。


 ルテリエはほんのりと香る甘ったるい女のにおいをさけるよう身体を動かす。


 そうするとなぜだかシェリーが追うようにひっついてくる。どこか落ち着かない気分になった。


「来るだろうな。たぶん、やつらの目的は荷物を奪うことが主眼じゃない」


「どういうこと、ですか?」


「物資を手に入れ売りさばくことが主目的じゃないのだと思う。情報によれば、いずれも輸卒たちを追い払ったあと、わずかな金穀だけを奪って逃走している。こういうチクチクしたせこいやり方は食い詰めものの野盗の考えじゃない。飢えていれば根こそぎお宝を持って帰ろうとするものだ」

「つまり、匪賊たちはエトリアの命で兵站を妨害しているというわけですね!」


「うん、当たり。で、そのだな。どうでもいいが、なんで君は今日に限ってそんなにくっついてくるんだろうね? あ、あの、ちょっと離れないかな?」


「いやっ。私は心を入れ替えました。なんとしても中佐を敵からお守りしないと」


「カーミール。なんで笑っているんだよ。あの、ちょっと、いいにくいけど胸が当たって。ちょっと、なんで赤くなるんだよ。まるで私が職権にかこつけて不埒な真似をしているみたいじゃないか」


「勘違いしないでください、中佐。これは……護衛ですから」


「若さま。いちゃいちゃするのはけっこうですが、どうやら動きがあったみたいで」


「お遊びはここまでにして、と」


 匪賊たちの襲撃は予想通りはじまった。敵は、輸送隊の防備が手薄だと知ると、輸卒に矢を射かけながら狭い道を巧みに馬を操り突っ込んでいく。


 賊たちは素性を知られぬよう全員顔に黒覆面を着用していた。


 数はそれほど多くない。

 四十名ほどだろうか。


 武器を手にして戦う戦士としての輜重兵と違って輜重輸卒はただの軍夫に過ぎない。


 彼らは命じてあったとおり、賊を見るなり尻に帆立てて逃げ出すと、潰走した。


「見ろ。ホクホク顔で仕事に取りかかってる。さあ、一網打尽だ――かかれ!」


 ルテリエは輸卒を追い払って無防備になった匪賊に向かって火矢を猛射した。


 二百の射手が一斉に矢を放つと火箭が瞬く間に賊たちを貫いて荷車に突き立った。


「なんだ、これは? 火が、火がッ!」


 荷車には油を染み込ませておいた藁が偽装されたまま満載されてあった。火は瞬く間に燃えたって炎をゴーゴーと巻き起こすと、荷を解くため取りついていた賊たちをたちまち火達磨にした。


「よし、突っ込め! ひとりたりとて取り逃がすな!」


 続けて埋伏してあった歩兵に指示を飛ばす。突撃の戦鼓が打ち鳴らされ、槍をならべた兵たちが動揺してロクに動けなくなった賊たちを次々に倒していく。


 四十余りの賊徒たちはみるみるうちに数を減じていき、騎馬で包囲網を破ろうとしていた頭目とその一党は無数の網をかけられすぐさま生け捕りにされた。


「若さま。賊の親玉を兵たちが見事にとらえやした。首実験を」


「ん。ここに連れてきて」


 上半身を露わにした巨躯の男を筆頭に六人の男たちがルテリエの前に引き据えられた。


「さあ、そのふざけた覆面を取っ払って若さまにしゃっつら見せやがれってんだ!」


 カミルがかがんでいる男から覆面を剥ぎ取った途端、ルテリエはその見覚えのある顔に眉をひそませた。


「んん? おまえは――」


「へ、へへ。これは妙なところで会うじゃねぇか。兄さんよ」


 両腕を縛られ地べたに押さえつけられた禿頭の頭目とその配下は、紛れもなく酒場〈白の子山羊亭〉でさんざんに絡んで嫌がらせをしてきた〈燎原の紅〉というクランの冒険者たちだった。


「そうか。やけに景気がよかったのはエトリアの金でたんまり受け取っていたからなのか」


「へ。このマックスさまもヤキが回ったもんよ。こんな腰抜けに捕まるなんてよ」


 スキンヘッドの大男は額を割られたのか、赤黒い血で顔の右半分を染めながらふてぶてしく唇を歪ませながら、喉に溜まった血痰を地べたに向かって吐いた。


「なんだなんだ、こいつはあのときの腰抜け軍人じゃねぇか」


「おいっ。おれたちをさっさとここから逃がさねぇか」


「さもねぇとてめぇの親兄弟をおれたちの仲間が必ず見つけて仕返しするぜ」


「なんなのですか、この男たちは」


 シェリーが怪訝そうにルテリエの隣に立つと、未だことの次第を飲み込めていないのか、それとも脳に欠陥があるのか男たちは下卑た顔つきをすると口笛を吹き鳴らす。


「貴様らッ」


「へ、へへへ。女軍人さんよ。そこの腰抜け兄さんが上官じゃ満足できねぇだろう」


「そいつはよ、俺たちに脅されて虫入りの酒まで飲んじまうオカマ野郎よ」


「きっとアッチのほうもヘタレなんだろう?」


「おれたちを逃がしてくれりゃ、朝といわず昼といわずどこでも極楽気分にさせてやんぜ」


 シェリーはさっと顔を赤らめると腰の長剣を引き抜いて冴え冴えとした刃を男たちに突きつけ叫んだ。


「中佐! このような輩はとっとと斬り捨てましょう!」


「……け。縄さえなけりゃ、おまえなんか」


 スキンヘッドの頭目マックスが隆起した肩の筋肉を蠢かせ、さも悔しそうに呟く。


 以前がどうであれ、今のマックス率いる冒険者たちはルテリエ隊の虜なのだ。


 その事実が納得できないのか。マックスは額に青筋を立て、恨みの念の籠った瞳でルテリエを呪い殺さんとねめつける。


「まあ、待ってくれ中尉。なあ、おまえたち。つまり、おまえたちはこういいたいのか。一騎打ちであるなら、当然この私に勝てるとでも?」


「そうに決まってんだろうがあっ! この青瓢箪があっ」


「面白い。その言葉本当かどうか試してみよう。おい、その男の縄を――」


 ルテリエがそばの兵に指示を出そうとすると、そばにいたカミルが血相を変えて飛び上がった。


「若さまっ、落ち着いてくだせえっ。こんな賊どもの言葉真に受けちゃいけませんぜっ。なにをどういうおうが引かれ者の小唄ってやつで! 一軍の大将がいっときの情で血気に逸るなんて若さまらしくありやせんっ。お考え直しを!」


「おい、おっさん。その兄さんがようやくその気になってるんだ。男の勝負に水を差すんじゃねえやい」


「なにを――! いうにこと欠いて、コノヤローっ」


「カミル」


 ルテリエは真っ赤な火の玉になって怒鳴るカミルに顔を寄せるとそっと耳打ちする。


「だいじょうぶだ。こいつらの手並みはわかっている。私は負けないよ」


「しかし――」


「いいから任せてくれ。私に考えがあるんだ」


 ルテリエは不承不承うなずいたカミルから顔を離すと、首を左右に振って兵にマックスの縄を解かせた。


「そいつに得物を返してやれ。おい、マックスとかいったな。もし、万が一にでも私に勝つことができたら、おまえの子分たちの命は助けてやってもいい」


「は――。こりゃまたおやさしい将軍さまで。が、俺はよう。ここまでやって生き延びようとはちっとも思っちゃいねぇ……! 大勢の兵隊のうしろでふんぞり返ってるテメェを殺れりゃ、思い残すことはこの世にねぇんだ」


「中佐……!」


「シェリー。君もいいから下がっていてくれ」


 マックスは身の厚い蛮刀を手にすると鎖から解き放たれた猛獣のように突っかかって来た。


 一騎討ちだというのにルテリエが構える前に勝負を仕掛けて来た。


 諸肌脱ぎで露わになっている肥大した上半身の筋肉が一際膨れ上がったように見えた。


「死んだぜ……! テメェはっ!」

「まったく落ち着きのないやつだな」


 ルテリエはのっそりとした動きで鞘から長剣を引き抜くと正眼に構えた。マックスが土煙を蹴立てて指呼の間に入った。


 マックスがヒグマのような巨体で覆いかぶさるように刀を振り下ろしてくる。


 対するルテリエは流れるような動きで迎え撃つと巨大な肉切り包丁のような刃を

 ぴたり、と。

 長剣で絡め取った。


 身長二メートル近い大男が細身であるルテリエを押し潰さんと躍起になって力を込めている。


 対するルテリエは涼しい顔で蛮刀を受け止めたまま微動だにしなかった。


「どうした? 私を殺すんじゃなかったのか。そんな力じゃ童にだって押し勝てないぞ」


 それはあり得ないはずの状況だった。


 丸太のような太い腕を持つ巨躯の野人は傍から見ても満身の力を込めているのに、ルテリエはまるであくびをこらえたような眠たげな顔で片手間にあしらっている。


 実のところ先祖代々軍人の家系であるシャンポリオン家嫡男であるルテリエは古来より伝わるローグ流剣術の奥義を会得した天賦の才を持つ剣士だった。


 兵士と捕らえられた匪賊たちも息を詰めてこの戦いを見守っている。マックスがさらに両脚に力を込めてルテリエを押し潰さんと前かがみになったとき、突如として均衡が崩れ去った。


 さっとルテリエの長剣が閃いて刃が斜めに流れたと思うと、マックスの右手首ごと蛮刀は斬り飛ばされ、くるくると虚空を回転しながらやがて地に突き立った。


「え――あ、え――?」


 どさりと前のめりに両膝を突いたマックスは突如として消失した刀と己が右手首を上手く理解できないようで、痴呆のようにふぬけた声で鳴いている。


 ぱっと血煙が立って地面が朱に染まると、ようやくことを理解したのか半ば茫然とした顔で歩み寄るルテリエを濁りのない瞳で見上げている。


「残念だったな。おまえはもう子山羊亭の酒を飲むことはできない」


「待っ――!」


 咄嗟に命乞いをしようと口を開きかけた男の顔面を、ルテリエは微塵の情もかけずに真っ向唐竹割りに叩き斬った。


 長剣はマックスの喉首あたりまで深々と埋まって、ようやく止まった。


 兵たちもあまりのことに口が利けず、ただカミルのみが右拳天に突き上げ歓喜の声をほとばしらせた。


「さあ捕虜の諸君。私の剣の手並みは見せた。この男のようになりたくなければ、おまえたち逆賊のアジトをひとつ残らず白状するんだ」


 先ほどまで口汚く罵倒の言葉を浴びせていた男たちは、今しがた自分たちの親玉を斬り殺したルテリエの獅子のような眼光に射すくめられ小ウサギのような怯えきった目でその場に凍りついた。

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