第4話 特別攻撃隊とは
小野井は、余りに自分が無知である事を知り、つくづく知る事は大切な事だと思い始める。とにかく、これもきっと何かの縁であろう。そう考えた小野井は、納得の行くまでこの花と、そのバックボーンについて調査を続けようと決めた。もちろん、日々の業務の合間を見てという絶対必要条件は、付帯されるのだが…。特攻機による死者は、分かっている限り4400名余りに昇る。この戦死者の数を、多いと見るか、少ないと見るかは、後世に残された者にとっては、重要な事である。大日本帝国陸海軍は大戦を通じて、甚だしい人命軽視の元に、各種の無謀な作戦を実行していた。そんな当時こんな言葉が使われていたという。「搭乗員は消耗品。整備兵は備品。」つまり、赤紙一枚で入荷出来る消耗品が、どんな死に方をしようとも、いくらでも補充は出来るぞ。備品も同じ。そんな非人道的な思考の元に、人類史上最もcrazyな作戦を立案していたという事である。スーサイドアタック=特攻の英文呼び名であるが、とにかく連合軍兵士は、それはそれは恐れをなしたという。断じて行えば鬼神もこれを避く…とは、正にこの事である。第二次世界大戦で戦没した日本人の将兵は、約230万人で、民間人を含めると約300万人である。その内の7割は、(230万人の内の7割)死因が直接戦闘に関わらない餓死である。物資の補給や燃料の補給などをまとめて、軍事学用語で、兵たんと言う。満足な補給があり、食べるものがあれば生き延びられた兵士はたくさんおり、枚挙にいとまがない。兵たんの概念自体を帝国陸海軍は軽視しており、いたづらに領土拡大を広げた結果の惨劇である。小野井は、それを知る度に、どうしてそんな無謀な作戦ばかりをするのか?という無念さが滲んできて仕方がなかった。確かな事は、特攻隊員がヒロイズムに寄った国粋主義者ではない。という点である。教科書には、よく特攻隊員の手紙が記載されてあったりするが、陸軍憲兵隊による厳しい検閲のあった時代に、好き勝手な事は書けない。黒塗りの遺書なんて格好悪いし、最後の手紙くらいは、潔く。それが特攻隊員の本音ではない事を教える人間は、少なくとも学校には存在しない。普通の日本人が、祖国を守る為にとった行動であり、民間人をも巻き込み、己の政治目的を達成する為のテロリズムとは、全く異なる。見識のない人間からすれば、その違いが分からないかもしれない。少なくとも、小野井は、国防機関である自衛隊の幹部育成機関で、みっちり学んだ人間である。そんな彼が調べるまでは分からなかったのだから、一般国民でその認識を持つ人間はそんなに多くない。そんな中、特攻を知る上で最重要のキーワードに、小野井は直面する。「十死零生」意味としては、万に一つも生きては帰れない。作戦を実行してしまえば必ず死ぬ事が約束されている。そういった意味の言葉である。似たような言葉でよく耳にするのが、「九死に一生」である。十死零生の作戦は、作戦とは呼べない。小野井は、防大時代も海自幹候でも、そう教わっている。部下に生還の見込みのない作戦を、行わせる事自体が信じられない。九死に一生はあっても、十死零生はあり得ない。作戦に必要な事は、部下の死による成功ではない。たとえ作戦が失敗に終わっても、部下と作戦機が残れば、リベンジ出来る。特攻の父である大西瀧二郎中将も言っていた。「特攻などというものは統率の外道だよ。」と。
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