第7話 日米戦略的思考差違

 大東亜戦争またの名を太平洋戦争(太平洋戦争はアメリカ側からの視点による呼称であり、日本側が呼称として使うのは、正しくない)この戦争は、大日本帝国海軍健軍以来の仮想敵国である米国と、ついに雌雄を決する事になってしまった戦いでもあった。史上初の航空母艦を用いての航空機艦隊攻撃は、二次に渡る攻撃隊により、戦艦5隻沈没、着底大破3隻。さらに基地航空機100機以上破壊という、空前の戦果を上げたパールハーバー(真珠湾攻撃)で幕を開けた。しかし、このパールハーバー作戦は、外務省所属大使館職員の不手際により、米国政府への通達が遅延され、宣戦布告が間に合わず、卑怯な「騙し討ち」として、アメリカ世論が対日参戦を許容してしまう原因になってしまう。リメンバーパールハーバーの号令の元に、対日参戦に消極的なアメリカ国内世論は、一気に対日強硬姿勢を明確に現していくこととなる。昭和18年前半までは、快進撃を続けた日本軍であったが、ミッドウェイ海戦や、マリアナ沖海戦その他緒作戦の惨敗により、敗色濃厚となる。そんな中で、戦況を一発逆転する作戦として、生み出されたのが特攻でありカミカゼであった。落とす必要のなかった原爆を、壮大に金をかけたのに使わないとは何事か?まぁ、ドイツ人は白人だし、もうナチスは降参してるから、黄色人種のジャップならおとしてもよいだろうというだけの理由で、戦争は無理やり終わらせた。小野井の知る第二次世界大戦は、そのようなよく知られている認識であった。小野井は、この戦争が世論の並々ならぬ後押しを受けた上での、開戦であったと考えるようになった。いくら日露戦争で国力10倍の帝政ロシアに勝利したとはいえ、海軍の内部では、アメリカとの戦争は望ましい結果を得るものではなく、開戦時の連合艦隊司令長官である山本元帥は、対米開戦に消極的であったとされている。さらに調べを進めると、特攻作戦のような事例が、過去にまるきりない。そんな事もわかった。アメリカ軍は、人材の方を大切にし、疲労や怪我の如何に関わらず、どんどん兵士をローテーションさせた。パイロットや乗員の命を最優先とし、戦闘機が多少どんがめになっても、あきれる程頑丈な戦闘機にこだわった。スピードや旋回運動性能にばかりこだわり、防弾性能をおろそかにした零戦と、厚い鉄板や分厚いガラスで防弾性能を高めたグラマンF6Fやムスタングなどは、その最たるものであった。日本軍には防御の思想がまるでなく、攻撃は最大の防御なりが、最大の信条であった。全体的にその傾向がみられ、けっして誉められたものではない。それでも230万人(民間含めると約300万人)というおびただしい数の戦没者から、後世の人間が学べる所は必ずあるはずであった。

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