第10話 手のひら返し

 大戦後半に開発された米軍の航空機は、圧巻であった。ボートシコルスキーF4UコルセアやP51ムスタングなどの、航空機が日本軍の零戦部隊から制空権を奪取。アメリカの勝利を確実にさせた。原爆投下はだめ押しだろう。強力な航空機によって、既に日本軍の敗北は時間の問題だったのであるから。敗戦後まで生き残った旧軍人もそれなりの数がいたが、手のひらを返したように、世間から冷や水を浴びせかけられた。小野井の祖父も例外ではない。戦争時にあれだけヨイショしておきながら、あまりの手のひら返しに、人間不信になり口を閉ざす旧軍人は多かった。祖父は復員後、戦争中の体験を語ることを拒んだ。仕事に困っていたので、縁あって海上自衛隊の前身組織である、海上警備隊へ入隊する事になるのだが、祖父は二等海佐(中佐)で海上自衛隊を退官している。自衛隊は陸海空を問わず、旧軍人の受け皿として数少ない場所となった。軍隊経験というものは、特殊なものであり、民間人や文官ではなし得ないものが往々にしてある。その為、戦後生まれの航空自衛隊や、海軍の伝統色濃い海上自衛隊、帝国陸軍の伝統をほとんど残さなかった陸上自衛隊、それぞれの現場部隊には、帝国陸海軍出身者があふれていた。世間の風当たりが未だに強いのも、このあたりの歴史的要素が強い。最も、体を張った現場自衛官の努力や活躍もあり、今はイメージが改善はされている。祖父は、哨戒ヘリコプターの運用や、対潜水艦哨戒機P-3Cの運用に携わり、与えられた任務を忠実にこなした。防衛大学校卒業で二佐止まりの者は、評判が良くないという。三等海尉スタートである程度の昇進が、横並び保証されている為だろうか。祖父は、帝国海軍出身という事もあるが、元は予科練(飛行予科練習生)出身の一兵卒である。通常の昇進の仕方では、絶対辿り着けない地位にいた。小野井の父も、防衛大学校卒業の幹部自衛官であるが、現在は陸将補(諸外国の少将クラス)で退官間際の生活をしている。父を見ていると、人の上に立つ事がどれだけの苦労を伴うかを、感じずにはいられない。小野井の家系は、いわゆる軍隊エリートとも言えた。そんな家系に育ったからという訳ではないが、今はこの課題をしっかりやりとげたい。その旨を、上司である日浦三佐に報告した。日浦三佐は、世にも珍しいものに直面した顔で、小野井を見ていた。

「そうだ…。小野井、お前に会わせたい人物がいるんだ…。」

 そう言うと日浦三佐は、小野井に一枚の地図を渡した。地図と言っても今時はGoogle mapを拡大コピーしたものだが…。

 こうして小野井は、戦争体験者から貴重な生の声を聞く機会を得た。鹿屋では有名だという「生きる伝説」とも呼ばれる男性の元に向かった…。

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