第5話 繰り返される愚行
小野井は掘り下げていく内に、特攻が繰り返された原因なるファクターを発見する。それは、特攻を初めて成功させた昭和18年10月のフィリピンで上げた大戦果にあった。敵空母一隻を撃沈、二隻の巡洋艦を大破させるという、費用対コストで考えた場合に、非常に大きい結果を残してしまったのだ。と、小野井はアナライズした。もちろん、それだけの理由ではない。4400人もの若者の命を奪う正当な理由にはなり得ない。特攻隊員になるには、あるルーティーンがあった。まず、飛行可能な航空部隊所属の飛行兵に、特攻志願という形で書面を書かせる。形式的には志願という形だが、実際は断れない為ほぼ強制的であった。その段階を終えると、特攻要員になる。この段階ではまだ正式な特攻隊員ではないため、特攻要員と特攻隊員は、同意ではない。そして、特攻要員の中から、特攻隊員が選出されて、出撃となる。敵部隊に向けて出撃する機体には、片道分の燃料しかつまれておらず、出撃すれば、機体の不調で不時着や帰還する以外には、生きて帰る事は不可能である。中には怖くて近くの島に着陸したりする者もいたが、みつかれば服務規程違反で軍法会議行きである。敵前逃亡は軍隊において最大級の罪であり、最悪死刑である。人間がやる事だから無理もない。むしろ、何の迷いもなく敵部隊に突入出来るパイロットの方が、常軌を逸していたのかもしれない。それくらい極限の状態まで、日本が追いこまれていたのも事実である。そんな中で、最も犠牲を多く排出したのが、昭和18年入隊の、第14期の予備学生士官(スペア)であった。訓練は最小限度に抑えられ、さぁ戦場に出るぞ!という時に、特攻作戦が始まったのであるから、こればかりは天命という他はない。普通、兵隊から士官に昇進するためには、下積みを10年以上過ごすものである。大抵の兵士は下士官で現役を退く事もざらにある。叩き上げで少尉まで昇進するのは、ごく一部の人間だけである。ところが、当時の大学生というのは、現在の大学生よりも圧倒的に数が少なく、質も高い。富裕層の子息であり、かつ日本のトップヒエラルキーを約束された選ばれしエリート達であった。予備学生士官の階級は少尉であるが、同じ少尉でも、軍令将校令により、海軍兵学校出身者やその他海軍専任士官よりもさらに一つ下の扱いを受けた。そんな急ごしらえの、にわか飛行兵を用いた体当たり作戦の成功率は、せいぜい15%から20%ほどであったと推定される。5機に1機の成功率という計算になるが、この成功率は、大戦末期に実施された日本海軍や日本陸軍が行った作戦の中でも、一番数字が上がったのだ。大戦末期には、満足な燃料だけでなく、鉄不足から航空機自体が不足していた。なんとあろうことか、木造の練習機で特攻を行うという低堕落であった。人類史上ここまでの犠牲的精神で戦った兵士は、日本軍以外にはいない。小野井は素直にそう思った。そして、それはあながち間違いでもない。特攻に限らず、日本軍陸海軍問わず、あるスローガンがあった。かの有名な「生きて虜囚の辱しめを受けず」というもので、戦陣訓として教育という名の洗脳が横行した。ただ、そうした急時代的な精神論だけでは、近代の総力戦を勝ち抜く事は難しく、無理が生じていた。敵である米軍は、様々な新兵器を開発し、日本やドイツを叩き潰すだけの為に、あの手この手で勝利の為に邁進した。
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