第3話 その花がここにある理由

 正式名称は、オオキンケイギクという。キク科の草花である。元来、日本には存在し得ない、言うなれば外来種で、戦時中に南方に進出していた陸海軍航空部隊が、内地に帰還した折、飛行服にひっついていたこの花の種子が、プロペラで吹き飛ばされ、滑走路脇に土着。新しい生命の息吹きを吹き返した。という経緯があった。戦時中は、日本各地から陸海軍航空部隊が、外地に行っては内地に戻る事を繰り返したが、この花が日本各地で大量に根付かなかったのには、理由がある。元々、温暖な所にしか咲かないオオキンケイギクは、南方と気候が似ている鹿児島県にしか繁殖しなかったのは、そういう理由があった。そして、もう1つ重要な事実があることに、小野井は気付く。ここ鹿屋は、帝国海軍特攻機の出撃最前線基地があり、ここにしかオオキンケイギクは、分布していないという事であった。その為、オオキンケイギクは、特攻花として認知される事になる。知る人ぞ知るという事なのであろうが、小野井は調べて初めて分かった。防大時代の小野井は、特攻の事に関しては、素人も同然の知識しか持ち合わせていなかった。しかし、それではいけないという認識を持たせるに至ったのが、このオオキンケイギクという花であった。小野井はまず、特攻の実態から調べる事にした。真珠湾攻撃作戦時の、甲標的に始まった特攻の素地から、大戦末期の回天や桜花といった特殊作戦用機体や、世に知られているカミカゼアタックに用いられたオーソドックスな、零戦を用いた体当たりについても、成功率から何まで、詳細なディテールを調べ尽くした。流石に、防大にストレートで入学し卒業しているだけの事はあり、知識の吸収は早かった。日々の業務に慣れるよりも、彼の知識の吸収の方が圧倒的に早い。特攻の父という不名誉な肩書きを持つ、海軍中将大西瀧二郎の事や、とにかくありとあらゆる特攻関連の話を調べ尽くした。特攻が始まったのは、日本の敗色が濃厚になった昭和19年10月下旬の事だ。大本営発表に寄れば、海軍兵学校出身者である関行雄大尉が、認定特攻死者第一号とあるが、それは違う。本当は、それ以前にスペア(予備士官)出身者である久納好扶中尉の方が先に出撃して未帰還となっている。しかも、最初の作戦において、出撃機全員が突入に成功してはいないという事実を隠し、戦果を虚偽に国民に伝えたことまで調べた。それらの詳細な情報は、全て事細かにノートにまとめるという作業を続けていく。そういう作業を繰り返していく内に、普段の学校教育では絶対に教わらない内容であり、その事実を何故教えないのか憤りを感じ始めていた。

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