猫少女縁起
双峰祥子
第1話 猫の探偵
「んまあ、猫の探偵って言うから、どんなおじさんかと思ってたら、こんなにお若いの?驚いちゃったわ」
「
「そうですね」と、にこやかに相槌を打ちながら、美蘭は紅茶を一口飲み、そこに浮かんでいた猫の毛をさりげなく取りのけた。僕はお腹がすいていたので、一緒に出されたクッキーを遠慮なく食べる。猫たちは部屋のあちこちに散らばり、侵入者である僕らを観察していた。
「よく似てらっしゃるけど、お二人はきょうだいなの?」
「双子なんです。私が上で、彼は弟」
「まあそうなの。仲良しでいらっしゃるのね」
美蘭は営業スマイルで受け流すけど、僕らほど仲の悪い双子も珍しいんじゃないだろうか。とりあえず相手のことは大嫌いだし、こういう風に、金銭の絡む時しか一緒に行動しないし。
「その制服だと、学校も同じなのかしら。高校生?」
「はい、三年です」
「あらそう。うちの息子が高校の頃は、随分とむさ苦しかったけど、近頃の子は本当に垢抜けてるわね。まあ、息子も結婚しちゃって、今はニャンコたちが子供だけれど」
丸々と太った三毛猫をよっこらしょと抱えて、駒野さんは使い込んだ感じのクッションに腰を下ろした。年は五十代だろうか、化粧っ気がなくて、かなり目立つ白髪も染めずにいるところを見ると、自然体でいるのを好むタイプみたいだ。或いは、猫の世話が忙しすぎて、自分が留守になってるのかもしれない。
「猫はやっぱり自由が好きだから、外にも出してやるべきだっていうのが、旦那の意見なのよね。私もあえて反対しなかったし、ごはんの時間にはみんなちゃんと帰ってきていたんだけど、この子、サンドが戻らなくなって、もう一週間なの」
駒野さんは座ったままで腕を伸ばすと、出窓に積んであったチラシを一枚とってテーブルに置いた。「迷子の猫をさがしています」と大きく書かれた下に、丸顔でベージュの猫が座っている写真。「名前:サンド。呼ぶと、みゃーん、と答えます。赤いちりめんの首輪をしています。尻尾の先が少しだけ曲がっています」なんて説明もついていた。
「旦那がパソコンで作ってくれたの。やっぱり責任感じてるみたい。町内会の掲示板とか、スーパーとか、喫茶店やお年寄りのデイケアセンターにも貼らせてもらったんだけど、何の情報もなくて。考えたくない事だけど、保健所にも毎日連絡してるのよね」
話をするうちに、駒野さんは声に勢いがなくなってきた。それを励ますように、膝の三毛猫が短く鳴く。
「ね、ロロちゃんも心配だね。サンドとは一番仲良しだもんねえ」
駒野さんはそう言って、三毛猫をあやすように揺すった。本当のところ、猫って仲間の心配なんかするんだろうか。この動物にさして思い入れのない僕は、疑問に感じながら五つ目のクッキーを齧った。美蘭が「食べ過ぎ」という気配を発しながらちらりとこっちを睨み、「じゃあ、そろそろ始めたいと思いますので、サンドちゃんがいつも使ってるクッションとか、見せていただけますか?」と尋ねた。
「それがねえ、うちはとにかくニャンコが多いから、何でもみんなで使ってるの。でも、お気に入りの場所は決まってるから、それでどうかしら」
駒野さんに案内されるまま、狭くて急な階段を二階へ上がると、手前に一部屋あって、そこがどうやら人間の寝室らしかった。その奥、南向きの明るい一室は猫部屋で、キャットタワーが二本も設置してある。そのうち一本のてっぺんにある、見張り台のような場所を駒野さんは指さした。
「サンドはおっとりした性格だから、あそこで昼寝してるのが大好きなのよ。だからお出かけも滅多にしなかったんだけど」
猫がふだん使っている寝床だとか爪とぎだとか、そういうものに触れれば、僕はその猫の波長をつかんで、今いる場所までたどり着く事ができる。脳のどこをどんな風に使うのか、その仕組みは自分でも全く判らない。ただ、頭の中に灯った小さな明かりがはっきりするまで、ずっと歩いて行けば猫に会える、そんな感じだ。普通の人は、できるのにやってないだけだろう。あまりにも馬鹿らしくて。
商才にたけた美蘭は、この僕のささやかな能力を小遣い稼ぎと人脈作りに利用している。彼女が営業窓口で、僕が実務担当。取り分はその都度変わるけど、僕が圧倒的に搾取されているのに変わりはない。美蘭はいつも、「あんたの能力なんて、口の中でサクランボのヘタを結ぶ程度なんだから、私が営業しなけりゃ何の値打ちもないのよ」と、威張り散らしていて、僕はうまく反論できないまま、これまでやってきた。まあ、他にも一人じゃできない理由はあるし。
僕がキャットタワーに近づくと、そこにいたサビ猫とキジ猫が、あからさまな警戒心を発して逃げて行った。ゆっくりと手を伸ばし、サンドの指定席に触れてみる。途端に、赤と黄色を基調にした、鮮やかな幾何学模様のようなものが視界に立ち上がり、一瞬で消える。後に残るのは頭のどこかに灯ったとても小さな明かりだ。
「じゃあ、これからサンドちゃんを捜しに行きます。飼い主さんはお家で待っていて下さい。何かあればこちらから連絡します」
美蘭はそれだけ言いおいて、僕と一緒に外へ出た。
小さい頃の僕は猫と遊んでいて、何かの拍子に波長が合うと、そこでスイッチが切れてしまう癖があった。意識がとんで、その場に座り込むのだ。どこでそんな事態に陥るかは時の運で、ロッカーの隙間とか、水を抜いたプールだとか、奇妙な場所に潜んでいるので、小学校では「神隠しの
でもまあ、大きくなるにつれて、僕は少しずつ自分をコントロールする方法を学んだ。だから今は、猫に触れていたって、いきなりスイッチが切れるという事はない。ただし、追跡モードに入っている時は別だ。探している猫に触れてしまうと、まるでラジオのチューニングが合った時のように、僕の意識は猫と重なり、バッテリー切れのロボットみたいに座り込んでしまうのだ。
だから、僕にはどうしても美蘭の助けが必要だった。
「後はよろしく」
そう言って、美蘭は僕のベルト通しに銀色の金具を取り付けた。この金具には糸巻がセットされていて、糸の端は駒野家のフェンスに結び付けられる。そして僕が歩いたぶんだけ糸が繰り出され、美蘭は頃合いを見計ってこの糸をたぐり、後をつけてくる。場所の特定だったら、スマホのGPSでもよさそうなもんだけど、実際やってみるとそうはうまく行かなくて、未だにこのアナログ式に頼っているというわけ。
僕があちこち歩き回って迷子のサンドの行方をたどる間、美蘭はきっと近所の喫茶店でコーヒーを飲むか、フルーツパフェでも食べて時間を潰すのだ。「鵜飼と鵜みたいなものね」と、当然みたいに言うけれど、いま一つ納得がいかない。
道を横切り、家と家の隙間を通り、不法駐車の脇をすり抜ける。午後の住宅地を行ったり来たりしながら、僕は少しずつサンドに近づいていた。頭の中に灯った明かりはもう随分とはっきりして、迷路の出口はもう近いと知らせている。
僕はやがて狭い路地を抜け、古びた小さな二階建ての家にぶつかった。サンドはどうもその中にいるらしい。でも道路に面した一階の窓には、防犯用のフェンスが嵌められていて、猫であろうと通れそうもない。もっとよく確かめようと、壁の近くまで寄ってみると、サンドがそこから右に曲がり、隣の家のブロック塀との隙間に入り込んだのが感じ取れた。当然、後をつけてみる。
その隙間は、大して肩幅の広くない僕でも身体を横にしないと通れないような狭さで、一歩進むたびに背中が塀を擦った。制服のブレザーを脱いでおけばよかったと後悔しながら、僕は少しずつ奥へと進む。目の前にブロック塀が建てられたせいなのか、この家の一階の窓は、雨戸を閉めきったままだ。
サンドはこの窓のあたりで、ブロック塀の上に登ったらしい。それから、雨戸の戸袋に飛び移り、更に二階の窓によじ登っていた。本当に、何を考えてるんだか。これまでの人生の、けっこう長い時間を猫とつきあってきたけど、僕はいまだに奴らの考えがよく理解できない。賢いかと思えば間抜けだったりするし、かと思えば驚くようなことをやってのける。まあ、人間と大して変わらないって事だろうか。
僕はエアコンの室外機を踏み台にして、ブロック塀の上に移動した。それから家の方へ向き直り、大きく足を踏み出すと雨戸の戸袋を足場に、二階の窓に取り付けられた、幅三十センチほどの手摺をつかんで身体を引き寄せる。窓にはカーテンが引かれていて、中の様子が判らない。
不安定な体勢でそこにしがみついたまま、僕は片手でそろそろとサッシの窓を動かしてみた。幸い、というか不用心にも、というべきか、鍵はかかっておらず、窓は少しだけ軋んだ音をたてて開いたけれど、途中で動かなくなった。分厚いカーテンを脇に寄せて中を覗き込むと、サンドがいるのは明らかで、その証拠に僕の目の前はハレーションを起こしたように白くなり、視野の中心のごく限られた部分でしか像を結ばなくなっていた。そのせいで、大きく首を左右に動かしてサンドの姿を探す必要があったけれど、猫は向こうから僕の視界に入り込むと、駒野さんのチラシにあったように、みゃーん、と鳴いた。
「サンド、おいで」
僕は力の限り上体を持ち上げると、手摺ごしに腕を伸ばした。このままサンドに触れて「同調」してしまったら、スイッチが切れて地面に落ちるかもしれない。でもまあ、後は美蘭が何とかしてくれるだろう。指先にサンドの湿った息を感じたその時、「だめ!」という声が聞こえた。
何か、柔らかいものが僕の手をはねのけ、そのせいで僕の集中力はぷつんと途切れた。一瞬、足を踏み外しそうになって、反射的に手摺にしがみつき、それからようやく、何が起きたのかを確かめることができた。
急速に色を取戻して広がった僕の視界に、サンドをしっかりと抱え込み、こちらを睨んでいる女の子がいる。年は十歳ぐらいだろうか。とても青白くて、髪は誰かが見よう見まねで切ったみたいに、どこか不揃いなおかっぱだ。でも、何より違和感があるのは、家の中で、しかも秋も終わりだというのにスクール水着を着ているという点だった。
「あの」
今まで猫探しをやってきて、こんな事は初めてだ。僕はとりあえず、不法侵入者として怪しまれないのが先決だと思い、手摺にしがみついたまま「その猫、迷子なんだ。連れて帰りたいんだけど」と説明した。それでも、女の子は「だめ!」と繰り返して、サンドを更にきつく抱きしめた。
「お友達なの。お願いだから連れていかないで」
そう言う彼女の声は震えていて、今にも泣き出しそうに見えた。
一体どうすればいいんだろう。
サンドの奴は気持ちよさそうに抱かれているし、女の子はこっちを睨んだままだ。でも、僕は仕事としてサンドを連れて帰らなくてはならない。時間はかかりそうだけど、親に説明するのが最短ルートかもしれないと思って、僕は「お父さんか、お母さん、いる?」と聞いてみた。
「ここには、いない」
彼女は絞り出すようにそう言った。
「ここ、君んちじゃないの?遊びに来てるんだったら、そろそろ帰った方がいいんじゃない?」
もう夕方も近いし、さっさと家に帰ってもらえれば、猫も手放してくれるだろう。でも彼女は「帰っちゃ駄目なの」と言った。
「もうずっと、ここから出ちゃ駄目って言われてる。玄関には鍵がかかってるし、窓はそれ以上開かない。それに、水着で外に出たら、みんなに笑われるもの」
ようやく、僕は彼女の身に何が起きているのかを考えた。改めて部屋の様子を見てみると、そこは四畳半ほどの空間で、床にはシミのあるピンクのカーペットが敷き詰めてあった。壁際にマットレスが置かれ、読み込んでぼろぼろになった漫画が何冊も積んである。それ以外にはテレビもなく、ミネラルウォーターのペットボトルが何本か並んでいるだけだ。そして水着姿でも寒くないようにという事なのか、エアコンが入ってかなり暖かかった。
「誰かが、君をここに連れてきたの?」
僕の質問に、彼女は頷くだけだった。
まずい事になってしまった。僕は何だか胃のあたりがざわついてきたのをなだめながら、この先どうすればいいのかを考えていた。普通なら、警察に通報。それで全て終わるんだけれど、残念ながら僕らの一族は警察なんてものとは一切関わらないのが信条だ。
美蘭に、相談しよう。
結局これだから、双子なのに威張り散らされるんだけれど、僕は一人でこの状況に対処できそうもなかった。
「本当に面倒くさいんだから」
もう何度目かの「面倒くさい」を繰り返して、美蘭はさっきの僕みたいに一階の雨戸の戸袋を足掛かりに、二階の窓の手摺にしがみついていた。僕は雨戸にもたれ、美蘭が窓を開けるのを待っている。ここで上を向けばスカートの中が丸見えという素敵な状況だけれど、他の女の子ならともかく、美蘭のなんて見たくもないので、隣のブロック塀をじっと眺めておく。
さっき僕が電話をしただけで、トラブル発生と察知した美蘭は不機嫌になった。
「あんたさ、ちょっとぐらい何かあっても一人で対応できない?」
「たぶん、ちょっと、どころの騒ぎじゃないと思うんだけど」
ざっと事態を説明したところで、美蘭は驚く様子もなく、「猫だけ連れて帰ってくればいいのよ」と言ってのけた。
「でもなんか、警察沙汰じゃない?誘拐監禁とかって」
「知らないわよ。関係ないじゃないそんなの。警察なんか、絶対無理だから」
「でも、あそこから猫だけ連れて帰るの、無理だよ」
「能無し」
まあ、この程度の暴言ならいつも浴びてるから、美蘭が来てくれた時点で、僕は正直なところ肩の荷が下りた気分だった。あとは彼女がサンドを回収して、駒野さんに引き渡して、お金をもらって、そして今日のことは…忘れる。
そんな事、できるだろうか。
普通の人間だったら、迷わずにあの子を救おうとするだろうけれど、僕と美蘭はそんな価値観とは無縁の一族に連なっている。とにかく何もかも面倒くさいけど、死ぬのも面倒だから生きてるだけ。人の不運なんていちいち気にかけても仕方ないし、自分の事さえ考えていればそれで十分。他人のために心を痛めるなんて愚の骨頂。今まで何度も聞かされたその哲学を頭の中で弄んでいると、美蘭が窓を開ける音が聞こえた。
「ちょっと、その猫返してくんない?さっきもトロそうな兄ちゃんが来たでしょ?」
子供相手でも手加減なしだ。女の子の返事は聞こえないけれど、もしかしたら美蘭が怖くて何も言えないのかもしれない。
「そうよ。あんたの友達っていっても、元々はよその飼い猫だから、家に帰すの」
しばらく間があって、「泣いたってしょうがないよ」と、きつい一言。
「ほら、さっさと渡して」
またしばらく間があり、窓に何かぶつかる音がして、いきなり上からサンドが降ってきた。くるりと回転してきれいに着地したサンドを急いで捕まえ、美蘭が運んできていたキャリーケースに入れる。さあ、次は美蘭が下りてくるから、すぐに退散だ。そう思って待っていても、全く気配がない。代わりにまた彼女の声が聞こえた。
「あんた名前なんていうの?いい?今夜また別の猫がここに来る。そしてあんたを手伝うから、自分で逃げ出すの。前の通りに出て、右にまっすぐ行くとバスの走ってる道路がある。そこでタクシーを拾って、警察に連れてってもらいなさい。自分で逃げないのなら、もう後は知らないよ。チャンスは一度だけ。水着が恥ずかしいならこれを着るといいわ、きっとお尻まで隠れるから」
美蘭、何言ってるんだろう。思わず上を向いた僕の顔に、制服のブレザーが降ってきた。それをとりのけると、こんどは赤いボウタイがひらひらと舞い落ちてくる。
「でも私と猫と、さっきのトロい兄ちゃんの事は絶対誰にも言っちゃ駄目。もし言えば、友達になった猫が殺される。三味線の皮にされるからね」
それだけ言うと、美蘭はいきなり跳び下りてきた。何故だかブラウスを着ていなくて、白いブラキャミ姿だ。相変わらず、前か後ろか判らないほど薄っぺらい体つき。彼女は僕が手にしていたブレザーをひったくると「脱げ」と言った。
「脱ぐって、何を」
「シャツに決まってんだろ。それともあんた、私の代わりに猫返して、お金受け取ってくれんの?」
どうしてこういう展開になるのか判らないんだけれど、家と塀に挟まれたその狭い空間で、美蘭は僕が脱いだシャツを着込んで袖を折り返し、ボウタイを結んでブレザーを着た。そして僕はというと、アンダーシャツにいきなりブレザーという、どうしようもない格好だ。
「ちょうど日も暮れてきたし、誰も気にしないわよ」
自分だけちゃっかり身なりを整えた美蘭が見上げたその先には、半分だけ開いた窓から、女の子が放心したような顔を覗かせていた。その手にはしっかりと白いブラウスが握られている。美蘭は別に笑顔も浮かべず、女の子に軽く手を振ってから前の道路へと出ていった。僕も急いで、サンドの入ったキャリーケースを提げて後に続く。
「駒野さんちのサビ猫を使ってあの子を逃がす。三毛は重過ぎる」と、美蘭は振り向きもせずに言った。
「それ、僕がやるって事?」
「他に誰がやんのよ」
僕は彼女のこういう勝手なところが、とにかく気にくわない。
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