第三章 反照(三)

 当初、山根への確認は週明けにするつもりだったが、来週からテスト週間が始まることを思い出し、先に済ませておこうと昼食後に電話をかけた。

「もしもし、山根か」

『宇佐美? 何の用だった?』

「ちょっと聞きたいんだが、確か山根は猫塚ねこづか中の出身だったよな?」

『うん、そうだよ』

 続いて「お姉さんがいたよな」「二歳年上だったか」「中学校は山根と同じか」と質問し、答えはすべてイエスだった。ビンゴだ。

「実は山根のお姉さんにお願いしたいことがあって、――中学時代の卒業アルバムを見せてもらいたいんだ。すまないが、話を通してくれないか?」

『別にいいけど、どうして?』

 包み隠さずストレートに言った方が早いだろう。

「山根はお姉さんと同級生だった、伊丹いたみ玲奈れいなという人を知ってるか?」

『……うーん、聞いたことない』

「もし山根のお姉さんが、その伊丹さんという人を知っていたら、何でもいいから情報が欲しいんだ」

『それってもしかして、前に調べていた件の続き?』

「ああ」

『分かった。姉貴に聞いてみる。すぐかけ直すから、ちょっと待ってて』

「いや、別にそんなに急がなくてもいいから――」

『でも本当は急いでいるんでしょ? それにどうせ暇な大学生だから構わないって』

「……助かる」

 数分も経たないうちに、山根から電話がかかってきた。

『今からうちに来る? 姉貴、直接話をしたいんだって』


 電話を切るとすぐに自転車に乗って山根の家へと向かった。時折、小雨がぱらついたが、これ以上は降らないことを祈りつつペダルを漕いだ。

 市内の中心部からやや離れた山の手の住宅地で、近くに電車も幹線道路も通っておらず、閑静とした場所だった。時折、スマートフォンで場所を確認しつつ、上り坂を登り、細い路地を抜け、ようやく目的地に到着した。古めかしい木造家屋がひしめく一角に建つ、コンクリート造りの小さな一戸建て。やけに山根にぴったりなイメージだ。

 インターフォンを鳴らすと足音がして玄関の扉が開いた。半袖ブラウスにスカート姿のその女性は俺を見て笑みを浮かべた。

「いらっしゃいませ。宇佐美君よね?」

「はい。急にお邪魔してすみません」

「いいのいいの。充也みつやは二階に上がってすぐの部屋にいるから、そっちで待ってて。あと、散らかっててごめんなさいね」

 そう言って慌ただしく奥に去った。名乗らなかったが、恐らく山根の姉だろう。靴を脱いで上がり、言われた部屋に行くと、山根はベッドの端に腰掛けてマンガの雑誌を読んでいた。

「やあ、意外と早かったね。ここまで迷わなかった?」

「スマホがなかったら、たどり着けなかったと思う。家から一時間くらいかかった」

「はは。結構距離のある坂道で、しかも迷路みたいだったでしょ? うちに来る人、大抵迷うんだよね。とりあえず到着おめでとー」

 絨毯が敷かれた床に腰を下ろし、部屋の中を見回した。荷物の少ないこざっぱりとした空間で、居心地がよさそうな感じだ。

 そうこうするうちに、先ほどの女性がお茶の入ったピッチャーとグラスをお盆に載せて部屋に入ってきた。お盆をそばにあった机に置くと、俺の前に座って頭を下げた。

「さっきはすっかり慌てていて、挨拶ができなくてごめんなさい。――えっと、充也みつやの姉の晶子あきこです。充也がいつもお世話になっています」

「いいえ、こちらこそお世話になっています」

「いつも宇佐美をお世話してます」

 そう言いながら俺の前に座った山根を、晶子さんはたしなめるようににらんだ。

「その充也を全部世話していますから、お気になさらず」

「姉貴、ひどい……」

「文句言うなら、少しくらい家事を手伝いなさい」

 二人のやり取りに思わず微笑む。どうやら仲のいい姉弟のようだ。俺は一人っ子なので、きょうだいがいるのは少しうらやましい。

「騒がしくてごめんなさいね。えっと、さっそくだけど、宇佐美君は伊丹いたみさんのことについて知りたいのよね?」

「姉貴、話の前にお茶飲んでもいい?」

「うん……って、ああ、もう、せっかく持ってきたのに!」

 晶子あきこさんは慌ててピッチャーから冷たい緑茶を注ぐと俺たちに渡し、ため息をついた。

「そそっかしくてごめんなさい……」

「いいえ、どうもありがとうございます。――話を戻しますけど、伊丹さんのこと、ご存知なんですか?」

「ええ。ただ、小学校が違うし、クラスが一緒だったのは中一のときだけどね」

 こんな近くに関係者がいるとは思いもよらなかった。しかし、だからこそ俺が疑われていると言えるのかもしれない。

「宇佐美君は、あの事件のことを知りたいのよね?」

 無言でうなずく。同級生の間でも事件として扱われていたようだ。

「ねえ、姉貴。事件って何?」

「わたしが中二のときに、その伊丹さんという人が亡くなってるの。――飛び降り自殺でね」

「宇佐美。飛び降り自殺って、ひょっとして一条さんに関係しているの?」

「……少し、違う」

「何だよ、その少しって」

「あとで説明する」

 山根と晶子さんの顔を交互に見てから、口を開いた。

「まず初めに二人にお願いですが、これから話す内容は他の人には漏らさず、胸の内にしまっておいてください」

「改まって何だよ。大丈夫だって、人に言って欲しくないことなら黙ってるから。あと姉貴も見掛けよりは口が堅い方だから安心して」

「一言余分」

「……ありがとうございます」

 俺は頭を下げてから、話を続けた。

「どうして伊丹さんのことを知りたいのかから話します。――実は俺のクラスに、頭に傷を負って入院している生徒がいます」

「そっか、仁科にしなさん、頭に怪我していたんだ……」

 山根に向かって無言でうなずき返した。

「しかも同じような生徒が俺たちの高校にあと二人いて、これはまだ公になっていない情報ですが、三人の怪我はいずれも何者かから暴行を受けた結果だそうです」

 暴行の詳しい内容、二人が亡くなっていることは伏せておいたが、それだけで十分インパクトがあったらしく、二人は困った様子で顔を見合わせた。

「ねえ、宇佐美君。もちろん警察は動いているのよね?」

「はい。そもそも伊丹さんのことは警察から聞きました」

「それなら、警察に任せておけばいいんじゃないかしら?」

「先ほど名前が出た、一条という人に直接調査を頼まれました。ちなみにこの一条さんは、被害者である仁科さんの従兄弟に当たる人です」

「一条さんと仁科さんって親戚だったんだ……知らなかった」

「ねえねえ、充也みつや

 晶子あきこさんは山根の袖を引っ張った。

「その一条ってどんな人なの?」

「えーと、一条さんはうちの学校の生徒会長だった人で、先週に飛び降り自殺したんだ……」

「山根、違うんだ。間もなく正式発表があるはずだが、一条さんが亡くなったのは自殺じゃない。猪目いのめ……先生に屋上から突き落とされて殺された」

「……え?」

 山根は目を何度もしばたたき、びっくりした表情で俺を見た。

「や、いや、ちょっと待って、待ってよ! 確かに猪目先生は学校を休んでるって話だけど、そんな、教師が生徒を殺すって、……つまり殺人犯ってことだよね? 嘘じゃないよね?」

「嘘じゃない。疑うなら警察に直接確認してくれてもいい。それに、そろそろ学校も伏せたままにはできないはずだ」

 その猪目が取り調べ中に死んだことは触れないでおいた。

「…………」

「…………」

 二人とも無言でうつむいた。

「だから、胸の内にしまって欲しいとお願いしました」

「……宇佐美君、もう少し教えて。猪目先生というのは、充也や宇佐美君たちの高校の教師なのよね?」

「はい」

「今の話の流れだと、その猪目先生が三人を暴行したのではないの?」

「犯行を否認したそうです。人を殺したことは認めたのに暴行を認めていないことから、嘘ではないと思われます」

「つまり、宇佐美君は事件の犯人が他にいると考えていて、伊丹さんの事件と結び付けようとしているのね?」

「はい。警察から聞いた話でも犯行の手口が同じで、同一人物によるものと見て間違いないそうです」

 犯行手口――脳への手術については触れず、必要がない限り暴行という言葉で押し通すことにした。

「これは殺人や傷害が絡むとても危険な事件です。ここでやめて、今までの話を聞かなかったことにしてもらっても構いません」

「…………」

 晶子さんは目を伏せ、静かに首を横に振った。

「ここまで話を聞いたら、今さら聞かなかったことにするのはちょっと無理があるかな。役に立つかどうか分からないけれど、わたしが知っていることは全部、宇佐美君に話してあげる。――充也はどうする?」

「もちろん一緒に聞くよ」

「ありがとうございます」

 俺は二人に頭を下げて、礼を言った。

「では、すみませんが、伊丹さんがどういう人だったのか、教えてもらえますか?」

 晶子さんは姿勢を正すと、うつむき加減で話し始めた。

「伊丹玲奈れいなさんは一言で言うと、非の打ち所がない優等生だった。勉強からスポーツまで何でもできて、その上、容姿端麗で性格もよかった。周りの男子だけでなく先生ですら霞んじゃうくらいかっこよかった。欠点がないことが欠点なんていう人、これまで伊丹さんしか知らない。だから亡くなったと聞いて、誰もが彼女の死を悲しんだ……と思う」

「どうして亡くなったか、聞いていますか?」

「先生たちからは病死したと聞かされた。でも、生徒の中に彼女が橋から飛び降りたところを見た人がいたらしくて、すぐにその内容が噂で広まったの。――彼女、自殺で間違いないのよね?」

「はい。警察から聞いた情報なので間違いありません。直接の死因は、自ら川に身を投げたことによる溺死です」

「何年もずっともやもやしていたけど、少しすっきりした。相手が子どもだからって、嘘をついちゃ駄目よね……」

 晶子さんはうなだれて嘆息をついた。恐らく学校側も悪気はなく、生徒に気を使っていたのだとは思うが、事実を捻じ曲げるのはよくないと思う。

「自殺の前に、伊丹さんが頭に怪我をしていたことは知っていましたか?」

「さっきの自殺現場を見たという噂話によると、――額から血を流したままふらふらと橋を渡っていて、急に手すりから身を乗り出して川に飛び込んだって。何日か後にその橋に行ってみたら、本人のものか分からないけど、確かに血の跡が点々と残っていたのは覚えている」

 話が事実なら、頭部――脳に傷を負ったまま歩き、川に身を投げたのだから、手術後、少なくとも意識はあったということだ。

「あのさ、宇佐美。その伊丹さんと三人の怪我が、どうして結び付くの?」

「俺も詳しくは教えてもらえなかったけど、犯行に使われた凶器がすべて一致しているらしい」

「なるほど、だから昔の事件について聞きたかったのか……」

「その話が本当なら、五年前から続いている連続傷害事件かもしれないということよね?」

「そうです」

 俺は晶子さんに顔を向け、深くうなずいた。

「伊丹さんが誰かから恨まれていた可能性はありますか?」

「わたしが知っている限りは、対人関係で大きなトラブルは抱え込んでいなかったと思う。確かに出来過ぎることを妬んだり、ひがんだりしている人もいなかったわけじゃない。露骨に陰口を叩く人もいた。だけど、暴力に訴えて相手を死に追いやるのはよほどのことで、そこまで憎んでいた人はわたしは知らない――」

「仮に伊丹さんの怪我がなかったとして、自殺する理由で思い当たることはありますか?」

「他人から嫉妬されていたことを、どれくらい気にしていたのかは分からない。困った様子を見たことはなかったけど、それほど親しかったわけじゃないからだけかも。ただ、それは恐らくみんな同じで、誰に対しても同じように接していたから、親友と呼ぶような特に親しい人は学校にいなかったと思う」

「学校の外での交友関係は分かりますか?」

「これも噂で聞いた話だけど、中学レベルの勉強では飽き足らず、高校の塾に通ったり、大学に顔を出したりしていたとか。本当かどうか分からないけど、あり得そうな話だと当時は思っていた。――伊丹さんについてわたしが知っているのは、こんなところかな」

 話し終えた晶子さんは、グラスの緑茶を口にしてほっと息をついた。

「そうそう。宇佐美君は伊丹さんの写真を見たかったのよね。手持ちのアルバムを一通り探してみたけれど、亡くなったのは中二の始めだったからか載っていなかった。ひょっとしたら、先生たちが伊丹さんの写真を意図的に外したのかもしれない」

 伊丹が自殺したことを隠したのなら、写真を除外することも十分あり得る。話を聞く限り、よほど神経を尖らせていたようだ。

「他に写真はありませんでしたか?」

「遠足や運動会の写真があるかなって探してみたけれど、ごめんなさい、どこにも写っていなかった。どうしても気になるのなら、同級生に聞いてみるけれど……」

 晶子さんは微妙な表情をして言葉を詰まらせた。

「いえ、結構です。亡くなった方の写真をお願いするのは、言いにくいと思うので」

「せっかく来てくれたのに、力になれなくてごめんね……」

「そんなことありません。とても助かりました」

 俺は改まって頭を下げた。当時を知っている人の話を聞けただけで十分だ。

「ねえ、宇佐美君。もし伊丹さんの写真をどうしても見たかったら、中学校で探してみるのも手だと思う」

「あ、それなら僕に任せてよ!」

 山根が明るい声で片手を挙げた。

「これでもそこそこ顔が利く方だし、図書委員だったから、一緒に探してあげるよ」

「いいのか?」

「うん。それくらい手伝わせて。特に予定もないし、宇佐美さえよければ今からでも付き合うよ」


 そのまま山根の家を出て、二人で並んで自転車を走らせ、十五分ほどで猫塚ねこづか中学校に到着した。ここも今はテスト週間らしく、自分たち以外には誰もおらず、校内は閑散としていた。

「テスト前で誰もいないみたいだけど、大丈夫なのか?」

「きっと先生はいるよ」

 しばらく歩いて行くと校舎前の花壇で、年配の男性が草むしりをしていた。山根はその背後に近づき、腰をかがめながら声を掛けた。

「こんにちは」

「ああ、こんにちは。……おや? もしかして君、おととしの卒業生の山根君か?」

 男性は眼鏡を掛け直しながら山根をまじまじと見た。

「はい。山田先生、お久し振りです」

「元気にしてたかい?」

「おかげさまで。先生もお元気でしたか?」

「もちろんだとも。充実した高校生活を送っているようで何より」

 山田と呼ばれた教師は、嬉しそうに何度も首を縦に振った。

「先生、ちょっと調べ物をしたいので、学校の図書室を借りてもいいですか?」

「ああ、構わんよ。休日で正面玄関も鍵が掛かっているから、職員室から入っていきなさい。鍵箱の場所は変わっていないはずだから分かるよね?」

「はい、ありがとうございます」

 俺たちは山田に頭を下げ、職員室へと向かった。

「山根、悪いな。とても助かる」

「三年間、図書委員だったからね。書庫も自由に使えるよー」

 職員室で鍵束を借りると図書室へ移動し、扉の鍵を開けた。そこそこの広さがある部屋で、木製の書架群と閲覧スペースが明示的に分かれていて、うちの高校より広いかもしれない。

「さてと、どこから探そうかな。宇佐美は顔写真が見たいんだよね?」

「ああ。卒業アルバム以外で、何か当てはあるか?」

「何があるかな……」

 山根はそばにあった椅子に腰掛けると、頭の後ろで手を組み、背もたれながら「うーん」とうなった。

 あえて山根には言わなかったが、先日に学校の図書室で御器所ごきそと七瀬に関する情報を探したときには、何も見つけられなかった。探し方がよくなかったのかもしれないが、皆が目にするような場所に望むものは置いてあるだろうか。しかも、自殺した伊丹に関する情報は、意図的に排除された可能性もある。駄目だったら、先ほどの山田に直接尋ねよう。

 俺は辺りをぶらぶらと歩き、マガジンラックにあった雑誌を何気なく手に取った。昔によく読んだ子ども向けの科学雑誌で、ぱらぱらと適当に流し読みしているうちに、あることを思い付いた。

「なあ、山根。校報みたいなものはないのか?」

「あ、なるほどね」

 山根は手をぽんと叩いて立ち上がると、ある書架から薄い冊子を抜き取り、隣に立った俺に手渡した。「市立猫塚中学校・校内報」という表題で、ページをめくるとイベントの紹介や部活動の試合結果などの他に、生徒が書いたエッセーと筆者の顔写真が載っていた。

「それは最新号だけど、三ヶ月に一回出してるんだ。昔から生徒の寄稿文を載せているから、頭がよかった伊丹さんのもあるかもしれないね」

「バックナンバーはあるか?」

「うん、しばらく取ってあるはず」

 書架には二年分しか置いてなかったので、奥の書庫へと移動したが、さすが図書委員だっただけあって見つけるのは早かった。

「あったあった! あったよ、宇佐美!」

 勢いよく差し出されたページを見る。

 伊丹いたみ玲奈れいなの名前で書かれた「私と家族」というタイトルのエッセー。表紙を見ると五年前の四月号――自殺する直前に書かれたものだ。

 家族構成の紹介から始まり、それぞれが何をしていて、どんなにありがたい存在なのかが語られ、最後に家族全員への感謝の言葉で締めくくっている。短い文章だがそつなく、いかにも優等生らしい。だが、うがった見方をすると、人に読まれることを前提にした作りで、当たり障りのないことにしか触れておらず、どこか機械的な印象さえ与える。正直、行間から伊丹家の日常があまり見えてこない。

 文面の隣に「家族とともに」というキャプション付きで白黒写真が添えられている。一戸建て住宅の前で撮ったもので、左から父親、母親、そして二人の少女が並んでいる。

 にこやかに笑っている両親の隣に立っているのが、恐らく伊丹玲奈だ。冬服の制服に身を包んだロングヘア。唇を結び、鋭い眼光をまっすぐこちらに向けていて、見るからに利発そうな感じがする。目元や全体的な雰囲気を除けば、他のBC事件の被害者に似ていると言えなくもない。

 その右隣にいる痩せたショートヘアの少女が伊丹の妹だろう。少し大きめのトレーナーに膝当てしたズボンをはき、知らなければ男の子のようにも見える。怪我でもしたのか、両頬に大きな絆創膏を貼り付けていて、しかも、うつむき加減でカメラから目線をそらし、他の三人と違って明らかに表情が暗い。

 伊丹はエッセーの中で妹のことを「明るく気立てがいい」「よく気が利く」と褒めていたが、別人ではないかと思われるほどイメージが異なる。伊丹はなぜこんな写真を採用したのだろう。それに、そもそもこれは――。

「あれ? これってもしかして……」

 声を上げた山根が首をかしげ、唇を横に引いた。だが、俺も同じように当惑した表情をしているに違いない。

「ねえ、宇佐美。ちょっと聞いてもいいかな?」

「奇遇だな。俺も尋ねようと思っていたところだ」

 二人で冊子をのぞき込み、同時に指を差す。

 写真の右端にいるボーイッシュな少女は、見れば見るほど知り合いにそっくりだった。俺たちは顔を見合わせた。

「今とちょっと雰囲気が違うけど、……似てるよね?」

「いや、これは間違いなく、佐藤本人だ」

「やっぱり、そうだよね……」

 伊丹玲奈れいなと手をつなぎながら、目を伏せ、この場にいるのを嫌がっているようにも見える少女。彼女は五年前――小学生の佐藤恵莉えりだった。


 念のために山田に冊子を見せて確認したところ、長髪の少女が伊丹玲奈で間違いないと裏が取れた。

 勉強や運動ができる上に性格もよく、みんなから愛された子だったのに、あんなに早く亡くなったのはかわいそうだったと、山田は目を潤ませながら語った。そして、彼女の死が病死として扱われたのは、前校長からの指示だったことも告白した。

 ――五年前の事件と和久井高校で起きた三件の事件は、犯人の手口が同じだと平野は言ったが、共通点はそれだけではなかった。

 佐藤の言う「けじめ」が何だったのか、ようやく理解した。彼女は高校で事件が起きるより以前から、被害者の妹として巻き込まれていたのだ。

 佐藤は恐らく、四つの事件がすべてつながっていることを知っていたのだろう。そしてその犯人が猪目いのめではないことも。だからこそ、まだすべてが終わっていないと知っていたに違いない。

 ふと気になることがあり、山根に尋ねた。

「そういえばお前と佐藤って、同じ中学だったのか?」

「ううん、違う。僕の学年は三クラスだったけど佐藤さんはいなかった。間違いないよ」

 佐藤と伊丹が姉妹だったとして、しかも山根と佐藤が同級生でないということは――。

「私立組だったかもしれないが、恐らくお姉さんが亡くなってから引っ越したんだろうな。しかも苗字が違うということは、両親が離婚している――」

「十分にあり得る話だね……」

 これまでの佐藤の発言で、母親がどこかに勤めていることは聞いていたが、父親をはじめ、他の家族が登場した記憶はない。長女を失った悲しみが癒えぬ前に、両親の心のひずみが大きくなってついには離婚し、父親と離ればなれとなる――いつもの佐藤の笑顔は、精一杯の空元気だったのかもしれない。

 使った資料を返却し、俺たちは中学校を後にした。

「宇佐美はこれからどうする?」

「この辺りをちょっとぶらぶらしてから帰る。今日はありがとうな。すごく助かったよ」

「じゃあ、また月曜日に」

「おう」

 俺は自転車にまたがると手を上げて走り出した。

「――ねえ、宇佐美!」

 背後からの呼び声に急ブレーキを掛け、振り向いた。

「何だ?」

「あのさ、今日のことだけど、……佐藤さん本人に聞くつもり?」

「…………」

 俺を見つめる目が真剣だった。

 山根は佐藤のことが好きだ。そして佐藤のことを信じている。今はまだそっとして欲しいと思っているに違いない。

「しばらくはやめておく。必要になったら、その前にお前に相談するよ」

「……そうか。うん、そうだよね」

 山根は少しほっとした表情で笑った。

 俺は再び手を上げて山根と別れた。


 その後、伊丹が住んでいた住所に一人で行ってみた。

 写真に写っていた住宅はその区画に存在せず、更地に青々とした雑草が一面に生い茂り、埋もれるようにして「売土地」と書かれた看板がぽつんと立っていた。ここで四人の家族が慎ましく暮らしていた頃の面影は、何一つとして残っていない。

 生暖かく湿った風が吹き抜け、夏草が揺れる。

 何とも言えない息苦しさに頭が朦朧としたまま、俺はその場に立ち尽くした。


 帰宅してからすぐ、俺は佐藤に電話をかけた。

 千奈津が来週に退院できそうなことを伝えると、どうして早く教えてくれなかったのかと怒られ、急遽、期末テストの壮行会を兼ねた退院祝いをしようという話になった。

 千奈津だけでなく俺も賑やかなイベントはあまり得意な方ではなかったが、佐藤とギクシャクした関係が続いていたので、仲直りの機会になることを期待しつつ申し出に賛同した。

 せっかくなので山根を誘ってもいいかと尋ねると、それなら千奈津の家で料理を作ってみんなで食べようということになった。千奈津と山根にはまだ話を通していないが、たぶん大丈夫だろう。

 千奈津たちが同意してくれることを前提に、内容と役割分担を二人で決めてしまった。こういうとき、「悩むよりまずやってみる」がモットーの佐藤は、フットワークが軽くてとても心強い。

「二人には俺から話しておく。予定が変わりそうだったら電話する」

『うん』

「じゃあ、当日はよろしくな」

『ねえ、史朗――』

「何だ?」

『……いや、何でもない。また、連絡して』

「ああ。退院日が決まったら連絡する」

 スマートフォンの通話終了ボタンを押し、小さく吐息をつく。

 最後に言いよどんだ佐藤が何を言おうとしたのか、分かる気がする。週明けに学校で話せばいいことを、わざわざ苦手な電話で伝えた俺の行動は、あからさまにいつもと違った。きっとどうしてなのか、何かあったのかと、尋ねたかったのだろう。

 急に電話をかけた理由は、分かっている。千奈津の退院をだしに使ってしまったが、本当は佐藤の声を聞きたかったのだ。

 佐藤の過去を知ってしまった今、これからどう接したらいいか分からず、考えを整理するために、声を聞いておきたかった。だが、電話の向こうで泣いている佐藤の顔が思い浮かび、普通に話せなかったと思う。きっと佐藤もおかしいと感じたに違いない。

 今度、学校で会ったときには悟られないよう、十分気をつけなければならない。そして、一刻も早くこの事件を終わらせ、みんなでいつもの日常に戻るのが、今の俺の望みだ。

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