第二章 瞑眩の刃(三)

 珍しく早く帰宅した父と一緒に家族三人で夕食を済ませ、居間でTVを見ているとワイドショーが始まった。芸能人の話にはあまり興味がないので、冷たい麦茶を飲みながらぼんやり眺め、飲み終わったところで席を立ったところ、ちょうど話題が切り替わった。

『――続いては、先日に自殺したある高校の生徒会長に、横領疑惑が持ち上がっているニュースです』

 思わず足を止め、ゆっくりとTV画面に視線を戻す。

 ――それは一条に関する話だった。

 番組では高校名を伏せていたが、モザイクがかかった校舎の映像は明らかに自分が通う和久井わくい高校で、――皆から慕われた生徒会長だったこと、先日に自殺したこと、亡くなる直前に生徒会費の横領疑惑が浮上したことが、大げさなドラマ仕立てで紹介された。

 それが終わると、四人のコメンテーターたちが、自分たちの経験談を交えながら事件に関する無責任な推測・批評を述べ合い、最後に司会者が「早急な真相究明が望まれます」と他人事のように締めくくった。

 気分が悪いまま、使ったグラスを片付けようと立ち上がったところ、背後から父が声を掛けてきた。

「なあ、史朗しろう。――昨日、母さんから聞いたんだが、お前の学校でも生徒会長が自殺したらしいな」

「……うん」

「もしかして、さっきテレビでやっていたのって、お前の学校のことか?」

「たぶん、そうだと思う」

 恐らく平野たちが家に来た話を母から聞き、その流れから一条の件が話題に出たのだろう。普段の父は仕事で帰りが遅いことが多く、おとといも結局、警察と顔を合わせなかった。

 台所で食器を洗っている母にグラスを手渡し、居間を通り過ぎようとしたときに、ふと父と目が合った。

「その生徒会長、逮捕されたわけではないんだよな?」

「一条さんはやっていない!」

 興奮して思わず大声を上げたが、我に返ってトーンを落とし、頭を下げて謝った。

「……いきなり大声出して、ごめん」

「いや、父さんこそ言い方が悪くてすまなかった。別に疑っているわけではないんだ」

 父は真顔で首を横に振った。

「お前宛に届いた手紙のことは聞いている。警察が調べてくれているのなら、そのうちに真実がはっきりするだろうが、こうやってTVで放映された以上、周りは色々と変な噂をするかもしれない。でも、お前の知り合いなら信じてやれ。――言いたかったのはそれだけだ」

「……ありがとう」

 再び頭を下げて礼を言うと、自分の部屋へ向かった。


 気持ちを切り替え、さ来週に迫った期末テストの勉強を始めた矢先に、机の脇に置いてあったスマートフォンが着信音を響かせた。手に取ると発信者は平野だった。手紙の件で何か分かったのだろうか。

「もしもし?」

「平野だ。宇佐美君か?」

 返事をする前に、平野は焦った声音で続けた。

「いいか、よく落ち着いて聞いてくれ。――橘さんが連れ去られた」

「…………」

 何を言っているのか、すぐに理解できなかった。

 千奈津ちなつが、拉致された――?

「ど、どういうことですか! 橘には、護衛が付いていたはずでは!」

「目を離した隙にやられたらしい。すまない、本当にすまない……」

「犯人は猪目いのめですか!」

「すぐ車を回すから、直接会って話そう。今どこにいるのか教えてくれ」

 電話を切ると、十五分ほどでサイレンを鳴らしながらパトカーが自宅にやってきた。両親には「あとで事情を話すから」と断って家を出た。

 門前に横付けされた黒いセダンの後部座席に乗り込むと、助手席に難しい顔をして腕組みをした八田がいた。

 平野から事情を説明されたが、電話で聞いた内容がほぼすべてだった。千奈津が近所のスーパーで買い物をした後、帰宅途中に何者かに連れ去られた。護衛の警察官が少し目を離した隙の犯行だったらしい。現場にはスーパーの買い物袋しか残されていなかった。

「猪目……先生はどこにいるのですか?」

「二時間ほど前に学校を出たことまではつかめているが、その後の足取りは不明だ。とりあえず自宅に捜査員を向かわせている」

「平野さんたちは、これからどうするつもりですか?」

「今は無闇に動くべきではないと考えている。猪目の行方を把握するのが先決だ」

「行き先が決まっていないということですね?」

「残念だがその通りだ」

 俺はポケットから取り出したメモ帳を一枚引きちぎり、ボールペンで二つの電話番号とキャリア名を書いて平野に渡した。

「うん? この番号は何かな?」

「橘が持っている携帯電話です。一つ目は橘自身の端末。二つ目は俺の名前で契約した端末で、ちょうど今日から持たせている物です。位置情報をすぐに確認してください」

「携帯電話の位置情報と言われても、警察で直接取り扱っているものではないから……」

「人命が懸かっているんです! お願いします!」

「…………」

 困った顔で平野が隣に顔を向けると、八田はうなずいてメモ紙を受け取った。

「分かった、調整してみる」

 八田は黒のハンチング帽を脱ぐと、備え付けの電話にヘッドセットを取り付けてコールし、事情を説明し始めた。電話の相手は上司、役職は課長らしく、難しい顔で逮捕状の内容や必要な理由を説明していたが、簡単な話ではないらしく、ときには大声を上げた。

 ぼんやり眺めていると、後ろを振り向いた平野に肩を叩かれた。

「八田の電話、しばらく時間がかかるだろうから、それまでにやれることをやっておこう。宇佐美君は何か僕たちに聞いておきたいことがあるかな?」

 せっかくの申し出なので、ここで聞けることを確認しておこう。

「今回の事件、仁科にしなさん以外にも被害者がいますよね。――御器所ごきそさん、七瀬さんも同様の暴行を受けたと聞きました」

「ああ、宇佐美君はそこまで知っているのか……」

 佐藤の入手した情報が正しいことがここでも証明された。仁科の件で警察が積極的に動いていたのは、以前から被害者が出ていて、連続事件として扱われていたのだ。

「犯人の手口に関して教えてください。スタンガン、猿ぐつわ、手足の拘束、頭部への強打で合っていますか?」

「その情報はどこで入手したのかな?」

「仁科さんの母親から、発見されたときの状況を聞きました」

「おおよそ合っているが、一部補足がある。――犯人はスタンガンで被害者を気絶させた後に、粘着テープを使って手足と口を縛り、目隠しもするようだ。テープの切り口を見る限り、ナイフ類を所持している可能性が高い。あと、頭部の傷については、強姦後に行う儀式のようなものだから、とりあえず今のところは気にしなくていい」

「…………」

 最後の内容がよく分からない。

 頭部の傷は、強姦後に行う儀式のようなもの――?

 平野との会話が聞こえたのか、電話中の八田が何か言いたそうな顔を平野に向けたが、一瞬のことで、すぐに自分の電話に戻った。

「要するに、過去の手口にはあまりこだわらない方がいいということだ。追い詰められて逆上する可能性もある。それに猪目には逮捕歴がなく、もし犯人ならそれだけ抜け目なくやり過ごしてきたとも考えられる。こちらの人数が多くても油断してはいけない」

「よし、ようやく話が通ったぞ!」

 ヘッドセットを外しながら、八田が声を上げた。

「加納課長から逮捕状の許可が下りた。先ほどの二つの番号については、間もなくリアルタイムで位置情報が入ってくるようになる。宇佐美君、よかったな!」

「はい、ありがとうございます」

 しばらく待っていると、警察電話が呼び出し音を鳴らした。ヘッドセット越しに対応する八田の顔が次第に曇り、電話を終えると俺に頭を下げた。

「宇佐美君、すまない。――残念ながら、捜査員が橘さんを見失った場所・時間を最後に、二台とも電波が途切れているそうだ。ちなみに、猪目の携帯電話は自宅からまったく動いていない」

「恐らくですが、犯人は携帯電話の電波を妨害する装置――ジャマーを使っています。電波が受信できないのはそのためです」

「うん? もしその推測が正しいのなら、携帯電話の位置情報を調べるのはあまり意味がないのでは?」

「いいえ、何かあった場合には、隠し持っている二台目にメッセージを残して捨てるように、橘に言ってあります。ジャマーの有効範囲から離れれば、電波の受信状況が戻るはずです。ただ問題は、二台目の存在に犯人が気づいておらず、見えないところでメッセージを入力し、かつジャマーの有効範囲外に投棄できるのが前提なので、そういう状況に持っていけるか分かりませんが――」

「そこまで予想していたのか」

 八田は腕を組んで小さくうなった。

 しばらくすると再び電話が鳴り、応対した八田が声を上げた。

「朗報だ。宇佐美君の携帯電話に先ほど電波が入った! ――二十時三十八分、場所は亀谷市かめやし紅鶴町べにづるちょう一丁目付近!」

「現場に急行します!」

「了解。平野、頼んだぞ」

「八田さん、電波をキャッチした携帯電話ですが、移動はしていないですよね?」

「どうやらそのようだ」

「すぐ現場に誰かを派遣してください。ウサギのストラップが付いた、白いストレートタイプの携帯電話が落ちているはずです。回収した携帯電話に何か表示されていたら、その内容を聞いてください」

「分かった」

 サイレンを鳴らしながら発進し、平野の運転するパトカーはやがて高速道路に入った。比較的すいた道を黒いセダンが颯爽と走り抜ける。

 手元のスマートフォンで時間と地図を確認する。今から約五分前。千奈津が連れ去られてから一時間、ここから東に約四十キロ。車で下道したみちを移動していることに間違いなさそうだ。

「現場付近の検問を開始している。間もなく奴を捕捉できるだろう」

 八田はそう言うものの、恐らく事前に厳戒態勢を取っていたわけではなく、またすべての道をふさげるわけでもない。これから検問を始めて、果たして間に合うだろうか――。

 それから十分ほどして、電話が再び鳴った。相手と会話を終えた八田が言った。

「携帯電話が無事確保できた。宇佐美君が言う通り、画面に数字の入力履歴が残っていたそうだ。日本語に直すとこうなる。――『ハンニンハ、イノメ、カワヅシ、タイイクカン』」

 犯人は猪目、川津市かわづし、体育館――。

「確認したところ、現在、川津市では体育館の建て替え工事中だそうだ。場所は川津市かわづし緋桜町ひざくらちょう二丁目一番地二十七番」

「八田さん、ナビをお願いします!」

 平野はアクセルを踏み、パトカーはさらにスピードを上げた。

「現場には先に捜査員を向かわせているが、我々も行こう。――大丈夫、橘さんは無事だ」

「くそ、川津市ってここから六十キロ以上あるじゃないか!」

 平野が叫びながらハンドルを叩いた。

「時間と距離から換算すると、猪目は恐らく下道を使っているので、その間に俺たちは高速で追い付けるはずです」

「分かった」

 しばらくすると、また八田の電話が鳴った。

「追加情報だ。現在、川津市の体育館は一階を型枠かたわく工事中。壁面にコンクリートを流し込む前の工程で、壁となる場所は板に取り囲まれているらしい。もちろん関係者以外は立ち入り禁止だ」

「犯罪をするにはうってつけじゃないですか。猪目の奴、どうやってその場所を見つけたんでしょうね?」

「休みの日にあちこち出歩いているみたいだったが、普段からこういう場所を探し回っていたのかもしれん」

 ――猪目の想定手口をもう一度確認する。

 ジャマーの電源を入れて付近の携帯電話を無効化した上で被害者に近づき、スタンガンで気絶させる。携帯電話を奪って電源を切る。粘着テープを使って被害者に猿ぐつわをし、手足を縛り、目隠しをした上で、車の後部座席かトランクに押し込んで遠距離移動する。よほど手際がよくないと拉致現場を人に見られそうなものだが、それだけ手慣れ、手順化されているのだろう。

 携帯電話を投棄できたということは、恐らく千奈津はトランクに入れられ、意識が戻った後に猪目の思考から目的地を読み取り、隠し持っていた携帯電話で画面を見ずにメッセージを入力したに違いない。

 あとは楽観的な推測だが、猪目の注意が他に向いているタイミングで、トランクを開けて携帯電話を外に捨て、すぐにトランクを戻す。トランクの外し方についてはあらかじめ手順を説明しておいたが、仮にうまくいったとしても、開閉時に車内灯が点灯する。猪目が異変に気づき、逆上していなければいいのだが、どうか無事でいてくれ――。

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