ヴィーヴルの眼

水谷 悠歩

序章

 どこか虚ろで煽惑的な瞳が、馬乗りしている自分を見上げている。

 今まさに殺されようとしているにもかかわらず、どうして怯えない。恐れない。ここから逃げようとしない。

 相手は疑問に答える代わりに、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

 それは助からないという諦めからくる余裕か。挑発して隙を作ろうという魂胆か。それとも恐怖心のため、自分の置かれた状況を正確に把握できていないだけなのか。いずれにしても、その顔をもっと恐怖と苦痛でゆがめたいと、奥底の欲望がうめき声を上げる。

 腰のベルトからナイフを抜き、照り輝く刀身を相手にじっくりと見せつけてから、喉元に刃先をあてがう。少し力を入れて横に引くと、白い柔肌に赤い直線が生まれ、そこから浮き出た血は重力に逆らうことができず左右に分かれて糸を引き、やがて音もなくフローリングの床に垂れて二つの小さな血だまりを作った。

 相変わらず声一つ立てず表情も変えなかったが、喉を傷つけた瞬間、わずかに手足の筋肉が強ばったのを感じた。そうだ、もがけ。恐れおののけ。泣きわめけ。

 足りない。もっと、もっとだ。その平然とした顔を、もっとぐちゃぐちゃにけがしたい。全身の血がたぎり、激しく踊り騒ぐ。

 湿った手のひらをズボンで拭ってからグリップを逆手で握り直し、相手の眼前でゆっくりと鋼の切っ先を振り上げ、頭上で止める。

 右手を添えて目を閉じ、大きく深呼吸すると、ありったけの力を込めて腕を振り下ろした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る