第一章 彼誰時(一)

 はっきりとしない薄曇りのフィルターを通し、気だるい日差しが頭上から降り注ぐ。

 相変わらず今日も蒸し暑い。出掛けに見たTVの天気予報によると、しばらくこのような天気が続くそうだ。今年はラニーニャ現象が発生しているために全国的に空梅雨からつゆで、水不足や野菜の高騰が心配されているとのこと。これで梅雨明け前なのだから、本格的な夏になるとどんな酷暑が待っているのか、あまり想像したくはない。

 ポケットから取り出したハンカチで額に浮かんだ汗を拭い、小さくため息をつく。

「おはよー、宇佐美うさみ

 振り向くと、自転車に乗った山根がにこやかに手を振っていた。

 いったん俺を追い越すと、軽やかに自転車から飛び降り、追い付いた俺の左隣に並んだ。しばらく無言のまま一緒に歩いたが、赤信号で立ち止まった直後に大あくびをすると、山根もつられてあくびをした。二人で顔を見合わせて笑う。

「宇佐美も昨日はあまり眠れなかった?」

「ん、まあな」

「最近、暑いからね。僕もそろそろエアコンを入れようかなー」

 ころころと笑う山根の横顔をぼんやり眺める。少し小柄で人懐っこい童顔。外見や言動に中性的なところがあり、男女どちらからも好かれている。みんなのマスコット的な存在だが、実はあまり男として扱われていないことを本人は結構気にしている。

 別の中学出身で、今年、同じクラスになってから友達になったが、俺は人付き合いがそれほどいい方ではないので、学校の外では朝夕の通学時にたまに一緒になるくらいだ。

「宇佐美、電車の中ってエアコン効いてるの?」

「かなり前から入っているが、やけに寒かったり全然涼しくなかったりで、調節温度がどうも自分に合わない」

「宇佐美も自転車通学にしてみたら? 自転車で走っているときの風、気持ちいいよー」

「まあ、考えておく」

 適当に返したが、俺は卒業するまで電車通学だろう。自宅から学校までは十キロほどあり、正直、自転車はつらい。中学から続けていたハンドボール部を昨年の秋に辞め、運動不足気味なのは否めないが、かといって自転車通学に切り替えて一年半も続けられる自信はない。

 だが、山根の家は俺よりもっと遠く、二十キロの道のりを毎日、雨の日も風の日も、自転車と自分の足を使って通い続けている。本人曰く、基礎体力を付けるための運動で「もう慣れた」とのことだが、本当にすごいやつだと思う。山根は見掛けよりもずっと根性がある。ちなみに部活は軟式テニス部だが、梅雨の間は朝練はないらしい。

 学校に近づくと、校門前で生徒指導の猪目いのめが仁王立ちしているのが目に入った。上下ともにジャージで、ラグビー選手のようにがっしりとした肉付きの身体に角刈り頭、得物えものは竹刀という、絵に描いたような体育教師。登校する生徒たちに胴間声どうまごえで挨拶しつつ、時折、竹刀を地面に乱暴に叩き付け、「挨拶の声が小さい!」だの「スカートの丈が短い!」だのとわめき散らしている。俺は普段からあまり声を出さない方だが、捕まると色々と面倒なので、山根と一緒に大声で挨拶をして、足早にその場を通り過ぎた。


 教室のドアを開けると、既に半分ほどの生徒が登校しており、それぞれがホームルームまでのつかの間の自由時間を過ごしていた。

 山根と別れ、席に座って後ろを振り向くと、窓際の席に千奈津ちなつがいた。一限目の古典の教科書を開いて自習しているようだ。時折、開け放たれた窓から吹き込む風に、長い髪がふわりとそよいでいる。俺に気づいて目礼したので、軽く手を上げて応えた。一瞬だけ目が合ったが、千奈津はすぐ教科書に視線を戻した。

 しばらくするとホームルーム開始の予鈴が鳴った。ざわめきが少しずつ引いていき、本鈴と共に担任の大桃が入って来ると、教室は瞬時にして静寂に支配された。一呼吸置いて発せられた日直の号令で全員が起立する。

「おはようございます!」

「ああ、おはよう」

 今日の大桃は涼しげな白の開襟シャツに、やや短めの黒いフレアスカートという出で立ちだった。まだ二十代前半らしいが、立ち居振る舞いが堂々としていて、見た目では年齢もキャリアも分からない。聞くところによると、年配の男性教諭ばかりでなく教頭や校長ですら彼女に気を使うというが、真偽は別にして、十分あり得る話だと納得してしまう。

 大桃はトレードマークになっている赤いフレームの眼鏡を指で押し上げ、ボブカットを揺らしながら、険しい目つきで教室を見回した。

「佐藤と仁科にしなからは病欠連絡をもらっているが、他は全員いるな?」

 大桃に言われるまで気づかなかったが、珍しく佐藤は休みだったのか。どうりでいつもより静かだと思った。決して大げさではなく、あいつがいるかいないかで周りのムードががらりと変わる。

「他に伝達事項はない。今日も一日、勉学に励むように。――以上」

 日直が終わりの号令を掛けると、大桃は颯爽と無駄のない身のこなしで退出した。扉が閉まると同時に皆の緊張が解け、ほっとした気分に包まれる。我がクラスは大桃という若い女隊長に率いられた小隊ではないかと、ときどき錯覚することがある。

 ちなみに、大桃は化学と生物を受け持っている理科の教師で、部活動では茶華道さかどう部(茶道+華道)の顧問をしているらしい。大桃が茶や花を扱っているところを見たことはないが、さぞかしピリピリした雰囲気なのだろう。


 その日の授業が終わり、帰りのホームルームで大桃は俺たちに告げた。

「本日、欠席した仁科だが、母親から連絡があって、しばらく入院することになった」

 にわかに教室内がざわめく。仁科は大人しくあまり目立たない女生徒で、どちらかというと友人が少ないタイプ、しかも普段から学校を休みがちだったが、入院するとなると気になる者も多いようだ。

「――静粛に。詳しい事情は聞いていないので質問は受け付けない」

 ざわざわしたままホームルームが終わると、大桃から声を掛けられた。

「宇佐美。この後、時間はあるか」

「はい、大丈夫です」

「では後ほど職員室まで来てくれ」

 掃除を終えてから職員室に行くと、小テストの採点をしていた大桃は手を止め、「来たか」と顔を上げた。

「先生、何の用でしたか?」

「すまないが、今から入院した仁科の様子を見てきてくれ」

「…………」

 何気なくさらっと頼まれた内容に、一瞬、思考が停止した。

「……あの、どうして俺なのですか?」

「入院先の病院は近くだが、私はこの後、職員会議がある。副級長の佐藤は休みで、お前は級長。他に頼りになりそうなやつがいない。――これで質問の回答になっているか」

「……はあ、分かりました」

 他に答えようがなかった。

 外堀と内堀をきっちり埋めてから、一気に本丸まで攻め上げるいつもの攻撃スタイル。大桃は基本的に姉御肌で、決して悪い人ではないのだが、頼み上手で人を使うのがうまいのも事実だ。しかも面倒な頼まれ事の大半は、この俺に回ってくるような気がしてならないが、ただの気のせいだと思いたい――。

「ついでにこの書類を届けてくれ」

 目の前に差し出されたクリアファイルを受け取る。先のホームルームでも配られた進路調査に関するアンケート用紙だ。

「よろしく頼んだぞ」

 大桃は席を立つと俺の肩を軽く叩き、職員室を後にした。


 鞄を取りに教室まで戻ると、薄茜色の西日が差し込む自席で、千奈津ちなつが外を眺めていた。他のクラスメイトの姿はなく、既に帰ってしまったようだ。別に当てにはしていなかったが、これでは他の誰かに頼みたくても頼みようがない。

「おかえりなさい」

 俺に気づいた千奈津は静かに立ち上がった。

「大桃先生の用事、終わった?」

「ああ」

 どうやら俺を待ってくれていたようだ。そういえば今日、初めて聞く千奈津の声だったことにふと気がつく。朝から何かと慌ただしく、ずっと話し掛ける機会がなかった。

「入院した仁科の様子を見て来るように言われた」

「一緒に行く」

「……ありがとう、助かる」

 礼を言うと、千奈津は目元に小さな笑みを浮かべた。

 ――たちばな千奈津は幼い頃からの知り合いで、指折り数えるとかれこれ十三年もの付き合いになる。幼稚園を皮切りに小中高すべて同じ学校、高校になってからは二年連続でクラスも同じだ。

 こうなると俺の隣に千奈津がいることが多く、「二人は付き合っている」と噂されているのも知っている。だが、俺たちはそういう間柄ではない。たまたま一緒の学校に通い、ときに同じ授業を受け、登下校で並んで歩くこともある――それくらいの緩い関係がずっと続いている。

 他の生徒と比べて親しいことは否定しない。千奈津は俺と、共通の親友である佐藤以外とは基本的に口を利かない。話し掛けられたら受け答えはするが、あくまで必要最小限で、自分から積極的に他人と話すことはない。それはクラスメイトだけでなく教師たちに対しても同じだ。だが、千奈津が無口なのは生まれつきではなく、以前はもっと明るい性格だった――。

 すぐ隣に来ていた千奈津が半袖シャツの袖を引っ張った。

「早く行こう?」

「……ああ」

 変なことを思い出して、すまない。

 俺たちは並んで学校を出ると、一言もしゃべらず、互いに歩調を合わせながら病院へと向かった。

 六月も中旬となり、千奈津の人生を変えてしまった事故からそろそろ一年が経とうとしている。これまでで最も長く感じた一年間だった。

 ――今まで色々とごめんな。

 心の中で謝ると千奈津は俺に近づき、またぎゅっと袖をつかみ、無言で首を横に振った。


 仁科が入院している常磐坂ときわざか記念病院は、俺と千奈津が普段使っている駅の近くにあり、学校からは徒歩で二十分ほどの距離になる。広大な敷地に真新しい病棟が整然と建ち並ぶ、この辺りでは一番大きな総合病院だ。

 そしてここは去年、千奈津がしばらく入院していた病院でもあるため、俺たちにとっては勝手知ったる場所だった。大桃がそこまで知っていて俺を遣わしたのかは、正直分からない。

 聞いていた棟名と部屋番号を頼りに仁科の病室へと向かった。だが、行き先が千奈津のときと同じ脳神経外科のフロアだったことから、現地に到着する前から嫌な予感に駆られた。

 二階にある部屋の前に立って扉をノックすると、少し遅れて控えめな声が返ってきた。

「……どちら様、ですか?」

「仁科さんと同じクラスの宇佐美と橘といいます。お見舞いに来ました」

 扉が小さく開き、その隙間から四、五十代と思しき女性がおずおずと顔を出した。恐らく仁科の母親だろう。入院したのは今日からと聞いていたが、既にやつれているように見えた。あまり容体がよくないのかもしれない。

 俺は鞄からクリアファイルを取り出し、両手で差し出した。

「これ、先生から頼まれた書類です」

「ありがとう、わざわざ届けてくれて……」

「それで、あの、仁科さんの具合はどうですか?」

 部屋の中をのぞき込もうとすると、仁科の母親は急に慌てた様子で俺の正面に移動し、引きつった愛想笑いをしながら両手を広げ、視界を遮った。

 どうしたらいいか分からず戸惑っていると、母親は俺に頭を下げた。

「……ごめんなさい。今、けいは眠っているから、悪いけれどまた今度にしてくれる?」

「すみません、お邪魔しました。それでは、お大事に……」

 頭を下げると、母親はどこかほっとした表情で静かにドアを閉めた。

「……はあ」

 自然とため息が出る。あまり歓迎されていなかったようだ。

 やり取りの間、ずっと静かだった千奈津にふと目を向けると、真っ青な顔でうつむき、口元を押さえていた。

「どうした、貧血か?」

「……頭が痛くて、気分が……ちょっと……」

 そう言うや否や、突然、千奈津は膝から崩れ落ちかけた。

 慌てて身体を抱き留め、引き上げる。

「だ、大丈夫か!」

「…………」

 意識はあるが、脂汗を流しながら片息をつき、返事もできないほど憔悴している。

「千奈津、しっかりしろ!」

「……ごめんなさい、……少し離れたところに、連れて行って、欲しい……」

「分かった、このまま歩けるか?」

「うん……」

 周囲を見渡したが、廊下に休めるような場所はなさそうだ。肩を貸して一階まで降りると、ロビーの長椅子に腰掛けさせた。

「……ありがとう。ここでしばらく休ませて」

 少し待っているように言い残し、近くの自動販売機でスポーツ飲料のペットボトルを買ってすぐに戻り、千奈津に手渡した。

「頭を冷やしてもいいし、飲んでもいい」

「ごめんね、迷惑掛けて……」

「別に迷惑じゃないから心配するな」

 千奈津はペットボトルを開けて一口飲むと、小さく吐息をついた。見たところいくらか血色も戻り、多少回復したようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

「医者を呼んだ方がいいか? それとも何か欲しい物があるか?」

「少しでいいから、隣にいてくれると嬉しい」

「……分かった」

 遠慮がちに隣に腰を下ろすと、千奈津は目を閉じ、そっと俺に肩を寄せた。

 乱れて苦しそうな千奈津の呼吸が少しずつ治まっていくのを、触れている肩から感じた。


 しばらくすると状態は落ち着き、顔色もよくなったようだ。

「体調、よくなったか?」

「ありがとう、もう大丈夫」

 ふと先ほどの、仁科の母親とのやり取りを思い返し、入院している理由と容体が気になった。大桃からの頼まれ事でもあるので、確認しておいた方がいいだろう。

「ここでちょっと待っていてくれ。仁科のこと、病院の人に聞いてくる」

「……うん」

 再び二階に上がり、仁科の病室へと向かう。ちょうど近くの部屋から看護師が出てきたので、その背中に声を掛けると、立ち止まってこちらを振り返った。俺とさほど年が変わらない若い女性で、千奈津が入院していたときには見なかった顔だった。

「どうかされましたか?」

「すみません。二〇四号室の仁科にしなけいさんですが、どうして入院しているのか教えてもらえませんか?」

「…………」

 その看護師は首をかしげ、俺を品定めするように上から下までゆっくりと視線を移動させた。

「――君は仁科さんのお友達?」

「はい、同級生です。先ほど見舞いに行ったのですが、仁科さんのお母さんに入院した理由を教えてもらなくて」

「そう……それは困ったわね」

 看護師は腕を組み、首を反対側にかしげた。

「親御さんがおっしゃりたくないことを、わたしたちからお話しするのはちょっと……」

「どうやらお困りのようだね」

 背後からした突然の声に、俺はびっくりして振り返った。

「その件、あとは僕が引き受けよう」

 百九十センチはあろうかという長身の青年が、両手を腰に当ててにこやかに立っていた。気配を消していたのか、すぐ近くまで来ていたのにまったく気づかなかった。焦げ茶色のスーツ姿、ぼさぼさのくせ毛で少したれ目。年は二十代後半だろうか。

「ちなみにこう見えても刑事だ。よろしく!」

 そう言って胸元から取り出した警察手帳を、ピースサインよろしく左手で突き出した。

 ――どうやら面倒な人に捕まったのかもしれない、と思った。


「ところで、さっき一緒だった彼女はもう帰ったのかな?」

 千奈津と二人で見舞ったところを目撃されていたらしい。本当は厄介事に巻き込みたくなかったのだが、仕方なく千奈津と合流し、病院の外に出て話すことにした。木陰の小さなベンチに俺と千奈津が腰掛け、その刑事は立ったまま応対した。

「自己紹介が遅れたけれど、僕は県警刑事部捜査第一課の平野ひらの。で、あっちのおじさんが八田はっただ」

 平野が指差す方に目を向けると、大きな木の幹に隠れるようにして、黒のハンチング帽を目深まぶかにかぶり、くたびれた紺色の背広を着た白髪の男が立っていた。八田は苦虫を噛み潰したような顔で平野をにらみつけたが、その視線の先にいる当人はまったく気にしていない風だった。

「じゃあ、まずは君たちの名前を教えてくれるかな。二人とも和久井わくい高校の生徒だよね?」

「はい。入院している仁科さんと同じクラスの宇佐美と橘です」

「おお!」

 突然、平野は大声を上げた。驚くようなことを言ったつもりはないが、オーバーリアクション気味な人なのかもしれない。続いて手元の手帳を慌ただしくめくって何かを探し始めた平野は、ふと指を止めて目を上げた。

「もしかして、……宇佐美うさみ史朗しろう君?」

 うなずくと平野は両手を広げ、また声を上げた。

「よかった! 君とはぜひとも話したいと思って……うぎゃ!」

 平野はお尻をさすりながら、涙目で後ろを振り返った。いつの間にか近づいていた八田に、背後から蹴られたらしい。

「……八田さん、いきなり痛いですよぉ……」

「余計なことは言うな」

「そ、そうでした。被疑者の対応は慎重に……ぎゃんっ!」

 わざとやっているのか地なのかは知らないが、傍目には二人がコントをしているようにしか見えない。

 それはともかく、この状況で俺が被疑者ということは、入院している仁科は事件の被害者ということになるのだろう。自分が警察に疑われている理由、仁科が事件に巻き込まれてしまった理由は何か。非日常的な言葉が脳を麻痺させ、うまく頭が回らない。刑事たちを見るとまだもめているようだったので、手っ取り早く話を進めるために自分から質問することにした。

「それで、被疑者の俺は何について話せばいいのですか?」

「いやいやいや、別に何も疑ってないからね。僕たちはただ話を聞きたいだけで――」

「仁科さんが被害者なんですよね。怪我をしたのは頭ですか?」

「うん、……あ、いや、まだ捜査中だからノーコメントだ」

「いつのアリバイを話せばいいですか?」

「昨日の夜六時から十時で頼むよ」

 八田は手帳で平野の後頭部をはたいた。

「お前が誘導尋問されてどうするんだ!」

「す、すみません」

 平野は頭をさすりながら、こほんと小さく咳をしてから顔を引き締め、「今さら隠し事はできないけど」と前置きしてから話を続けた。

「あー、まだここだけの話にして欲しいのだが、――昨夜、仁科にしなけいさんが何者かから暴行を受け、頭部に重傷を負ってしまった。その怪我が原因で意識不明の重体となっている」

「…………」

 頭部の傷で、意識不明――。

 フラッシュバックのように昨年のことを思い出し、暗鬱な気分になった。仁科の母親が俺たちに娘を見せたくなかったのも分かる気がする。きっとまだ混乱したままで現実を受け止め切れず、自分たちの不幸をただ嘆いているに違いない。

「傷害事件なのは間違いないのですね?」

「ああ」

「犯人の目星は付いているのですか?」

「それに関してはノーコメントだ」

「…………」

 のぞき込むようにして平野の目を見ると、わずかに視線をそらされた。これ以上は話したくないようだ。

「初動段階でまだ有力な情報がなく、とりあえず被害者の病室を見張って、怪しい人物が現れたら尋問しようと思っていた矢先にちょうど俺たちが来た。――と推測しましたが、合っていますか?」

「宇佐美君、合っているかどうかは別にして、その辺りで勘弁してくれるかな?」

 平野の目は笑いながら、右頬が引きつっていた。

 結局、二人の刑事からはそれ以上の情報を聞き出せなかった。また、俺たちもクラスメイトとはいえ、仁科とそれほど親しい仲ではないため、あまり大したことは話せなかった。

 一通りの話が終わると、平野は腕を組んで言った。

「宇佐美君たちにお願いがあるんだ。率直に言うと、僕たちは和久井高校の関係者を疑っている。だが、我々は部外者だ。全員を四六時中、見張るわけにもいかない。だから、何か変わったことがあったら、すぐ僕たちに教えて欲しい」

 率直過ぎるにもほどがある。どこまで確信があるのかは知らないが、捜査状況を俺たちに話して大丈夫なのだろうかと、少し心配になってくる。

「警察に協力すること自体はやぶさかではありません。でも、きっと期待には応えられないと思います」

「まあまあ。あまり深く考える必要はないから。じゃあ、何かあったらここに連絡してくれ」

 そう言って携帯電話の番号が書かれた名刺を渡された。今後、この連絡先を使う機会はあるだろうか。使わないで済むならそれに越したことはない。

 そもそも、自分が被疑者だと聞かされて気分がいいわけがない。自分が疑われるのも嫌だが、普段、顔を合わせている生徒や教師の中に犯罪者がいる可能性が高いから疑ってかかれと言われると、少しかちんとくる。

 しかし、警察の言うことが事実なら、まだ仁科を襲った犯人が特定されておらず、新たな被害が発生するかもしれないということだ。一見、平穏そうに見える日常生活の中に、そんな異分子が紛れ込んでいるとは思いたくなかった。

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