万人受けし得ないという感想は、サクヤという鏡を見る

 この物語の軸はやはりディアーボとの戦いだ。ディアーボを相手に、なぜ存在するのかを確認し、どう戦うべきかを考えて決着つけられるか、その過程を楽しむ話だ。しかしそれとは別の、物語の線がある。主人公たちの心境の物語だ。そしてこれが、注意を要するものだった。

 登場人物の語りは、例えば一つの文に読点を4つまでにして用を簡潔に満たすというような、推敲という小説用の美的工事を施されたものではない。やたら読点の多い、思ったことが口から出たままのような日常の会話的語りとなっている。そうした人々の語りは、現実的な臨場感を纏って読み進められる効果を持つ。そしてその特性がゆえ、主人公サクヤの(特に前半の)有様について何やら得も言われぬ不快感が情を刺激して余計に厭ったらしいように感じさせてしまうのだ。
 どうしてこう感じられるのか。常識的な倫理観は有るようだがただ状況の移ろうままにぼんやりと敵味方を感覚する所があり、自律的な思考と行動をせず「状況が起こったからこう動いた」ようなどこか詰めの甘い他動人間で、いつまで経っても理解不能と理不尽を嘆くようなセリフが多くて緊急事態の本質に対しとっとと順応できない。こう見えてしまうサクヤに、いら立ちが覚えられるからだ。

 だが人間というのは、得てして肝心な時でこそ煮え切らない風になってしまうのだろう。理想ではあっさりと緊急事態に対応して事を無事に撤収させ人々を安寧させる。これを物語として観ている第三者にはストレスが与えられない。しかし現実に起こりがちなのは不手際と失望で、例えばCOVID-19にアベノマスク、東京五輪に女性蔑視、など「いら立ちのもと」は希望的情報よりも当たり易い。なるほど、やれやれ系キャラが妙に嫌われたり、異世界転生やざまぁ話が流行ったりするのは、ストレスレスを求める人々の傾向が原因の一つと言われると腑に落ちる。

 ところが、サクヤがユヴァスキュラ入りしてから、物語は意外な展開を見せていく。人の煮え切らなさからディアーボへの繋がりが示されるのである。またここでは、ディアーボとは別の怪物と表してよい非人間的人間が登場する。そして、ある面ではこの存在がディアーボの上を行くことに気づかされる。恐らくは生物の中で最も強いディアーボなのに、その割に別の非人間的人間にいいように使用されてしまっているという有り様が、ディアーボに対する見方を理解不能な凶悪超人から一介の愚かで哀れな罪人に変えさせる。この事が、人の煮え切らなさといういら立ちのベクトルを一旦所在なくさせる。

 サクヤに対して持っていたいら立ちは、結局何だったのか。
 サクヤはとうとう、残酷な時に人間の向こう側の存在に行きつくところを踏み止まった。それは、良心が蒸発したマキャベリストのようなゼンのフォローがあったからだ。ゼンは煮え切らなさとは無縁なのだ。全体を読むと、どこか生き方が器用ではない人間たちによる、巡り合わせに翻弄される不幸ドラマを観ているようだった。サクヤ自身は今後の行動の動機を見つけるが、戦いにより精神的成長を遂げるという訳ではなかったし、ディアーボについては遂に理解不能で終わってしまった。いわば「俺たちの戦いはこれからだ!」で幕引きされる。物語は、サクヤという一人物の日々の一部を切り取った内容で構成されていた。ホラーと思ったら実はドキュメンタリーだったのだ。
 人間にはありとあらゆる思想・人間関係・行動力があるが、全てを想うがままに出来続ける者は居ないと言っていいだろう。とは言え人間を「状況が起こったからこう動」く、条件付けに反応する生物と捉えれば、そう在るありのままの姿に失望することになる。サクヤという人物は、会話的語りに援護されて、人間に満遍なく在る一面を見せてくる人物なのだ。人間の弱さを、ディアーボという強者との関わりから逆説的に読者の中に浮き彫りにさせる。その苦しさにいら立つと、サクヤらに対する拒絶反応を催すのだろう。いら立ちのベクトルは、サクヤらを通して見た読み手自身の持つ煮え切らなさに対する再帰的なものでもあったことがここで解る。サクヤらに対するいら立ちの原因を探してみようとすると、それを手掛かりにサクヤらを鏡とした読み手の内省へと促されて行くのである。

 苦しさを逃れようと防衛機制を働かせれば自己正当化できて苦痛が和らぐが、同時に自己を観察できなくもなる。なら内省の為に、あえてその苦しさを受けつつ強い意志で自己制御の技法を獲得するしかない。

 「穴の向こうの世界は怒りによって作られたのでは」とナガミネは言う。大衆一人ひとり自らもその一端である「いら立ちのもと」を、政治結社リーダーのナガミネは物語世界で団体行動へと顕在化させ、大衆は波に乗る。いら立ちは自分ではない他人のせいだという熱狂に包まれるということは、自省の為の鏡から目が逸らされ、穴向こうの世界を勢いづかせることでもあるのだ。そして物語は終わる。
 ならゼンは、COVID-19という怪物に襲われている世界を、どのように表現するだろうか。

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