第3話 二度目の受験

 京也が三十数年前の記憶を甦らせたのは、今年小学三年生になる息子の魁人が私立中学に行きたいと言い出したからだった。……


「どうする?京也――」

 十歳の京也は決断に迫られていた。東京中野に本部を置く進学塾の最大手、辻大木戸進学教室は小学四年生の三学期から開講する。「選抜試験」と呼ばれる入室テストを受験するのか、中学受験に向けて準備を開始するのかしないのか、これを両親から問われている。

 この辻大木戸進学教室は、毎年有名中学の合格者を多数輩出し、殊に首都圏有数の進学校――例えば、所謂私立御三家や国立大学附属校となれば、その合格者の大半を占めていた。言い換えれば、辻大木戸の選抜試験にパスして入室を許可されることが、難関中学合格への実質的な第一歩となっていたのである。

「……毎週日曜日にテストを受けるんでしょう?」

「そう。それと、テストの後に解説の授業が一時間半かな……」

 京也の質問に妙子は軽い調子で答えた。居間の炬燵のテーブルを挟んで彼女の向かい側に座っている正則は、その様子を――息子の受け答えの表情を黙って窺っている。京也も、父親の視線が自分の横顔に注がれていることに気づいている。

「午前組と午後組があるけど、どっちにしても日曜日は遊ぶ時間がなくなるよ」

 妙子は、母親らしく噛んで含めるように言った。

 それは姉を見ていてよく分かっている、そんな顔を見せた京也は、真澄の受験が終わったあの日曜日の数日後、彼女と一緒に地元の小学校を転校した。今はバスで越境通学をしている。だから近所に遊び相手はいない。

「行くよ」京也は一言、無造作な声を出した。

「別に無理に行けと言ってるんじゃないんだぞ?」

 正則は、大きな目をギョロリと向け、やさしい言葉を掛けた。

「どうせ行くなら、早い方がいいからね」

「……そうだな。真澄は四年生の同じ時期に、行くか?と訊いたら、まだいい、と言ったんだ」

 正則は苦々しい表情を浮かべて吐き出した。妙子は何か言いたそうな顔だったが、正則の顔をちらりと見ただけで、口を噤んでいた。

「やると決めたからにはしっかりやれよ。明日会社の帰りに中野に寄って試験の申込みをしてくるからな――」

 こうして池田家の二度目の中学受験は始まった。(つづく)

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