第9話 からめ手

 試験会場の南校舎から正門に掛けての辺りは迎えの母親達でごった返していた。中には父親も見えないこともなかったが、数える程だった。

 京也は、校舎を出ると、決めておいた警備室前に向かった。人混みに埋もれかかって顎を上げている妙子をそこに見つけると、体を斜にしながら近づいて行った。二人は、待ち合わせに苦労している親子達を尻目に、駅へと流れる黒い波に吸収された。

「どう?手応えは」妙子は寄り添うように歩く京也に訊いた。

「んー、まあまあかな……」

「会員に入ってそう?」

「よく分からないけど、二三〇点が合格ラインなんでしょう?なら、受かってると思うけど……」

「そう――」妙子は笑顔を見せた。

「ねえ、『からめ手』ってどういう意味?」

「?――さあ、聞いたことないねぇ」

「国語の問題であったんだけどさ……」

 京也は問題の内容と選択肢、自分の思考の過程や思いつきを再現した。

「うん、京ちゃんの答えで合ってるかもしれないね」

 妙子は息子の説明に内心、舌を巻くと同時に、そんな大人も知らない言葉が試験に出るのかと、今更ながら不安になった。

 三田の駅に着くと、妙子は、正則のアドバイスで予め買っておいた帰りの切符を京也に分けた。江戸橋方面への電車に乗る親子は思った程多くない。乗車して車輌の中を歩いているうちに二人並んで座れる場所を見つけることができた。シートに腰を下ろすと、京也は斜め前方から視線を感じた。見ると、妙子の実兄である進三が息子の一圭と一緒に座っていた。

「ねえ、欠真間のおじさんだよ」京也は妙子の顔を見た。

 欠真間とは毎年夏休みに家族同士で旅行する付き合いだった。

「あっ、ほんとだわ……」妙子は進三と笑顔を交換した。

 京也は、同い年の一圭に軽く顎をしゃくって見せたが、向こうの反応は鈍かった。

 やり取りは下車までの間それだけだった。京也は意外だったが、お互い左右のシートに空きがなかったから――この時はそう思った。

 江戸橋に着くと、妙子と京也は向こうに軽く合図して先に下りた。

「カズちゃんも選抜、受けたんだよ」

 妙子は改札を通り抜けた辺りで京也を振り返って言った。

「えっ?そうなのかなあ……」

「おじさんの顔を見れば分かるよ。普通なら向こうから寄って来るのに、来なかったでしょ?」

「うん……」京也はいい加減に返事をしながら、確かにいつもと違った伯父の様子を思い起こした。


 家に帰ると、正則が待っていた。

「どうだ、難しかったか?」

「学校のテストより難しかったけど、書けない問題はなかったよ」

 京也は妙子の時より慎重に言葉を選んだ。

「そうか、全く手が出ないって訳でもなかったんだな」

「うん……」

「算数と国語で八十点ずつ、理科と社会で三十五点ずつ取れれば、二三〇点で会員に入るよ」

「それくらいなら、多分いってると思うけど……」

「まあ、一万人近く受けてるだろうから、その中で九百番に入るのは大変だよ。もしダメでもお前なら一般生には入るだろうから、次の選抜で受かればいいよ」

 正則は口ではそう言いながら、自信あり気な京也に密かな期待を寄せていた。

「そう言えば、兄さんと電車で会ったわよ。一圭も一緒――」

 妙子は思い出したようなふりで正則に言った。

「三田から乗って来たのか?」正則は確認した。

「こっちが気がついた時には向こうはもう座ってたから、何処から乗って来たのかは……」

「何か言ってたか?」

「何にも……ねぇ?」妙子は京也の方を見た。

「うん、二人とも何かいつもより元気なかったよ」 

 京也はこの話題の結論に向けて妙子を代弁した。

「カズが一緒ってことは選抜を受けたんじゃないか?――おじさんは元気なさそうだったのか?」

「うん、何か考え事してるような、怖い顔してた……」

 京也は煽るように言葉を正則へ向けた。

「じゃあやっぱり、向こうも選抜の帰りだったんだよ。ウチが受かって自分達が落ちた時のことでも考えてたんだろう。カズじゃ、一般生にも引っ掛かるかどうか……」

 正則は見る必要もない壁のカレンダーに目を向け、冷笑しながら言った。

「一般生だってなれない人がたくさんいるからね」妙子が言った。

「ああ。この前中野に申込みに行った時、途中に『辻大木戸進学教室受験』って看板を出してる塾があったぞ」

「へぇ、そんな塾があるの?」妙子を目を丸くした。

「中学に入るための塾じゃなくて、塾に入るための塾なんて、異常だよな。そんなにしてまで辻大木戸に入ったってろくな所に受からないだろうに」正則はまた冷笑した。

「そうよねぇ……」

 京也は、正則の話が終わると、子供部屋に行き、机の本棚から姉のお下がりの国語辞典を手に取った。「か行」の所を開いて指で追ってみたが、「からめ手」は載っていなかった。(つづく)

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