第14話 ライバル
子供達の殆どが席に戻り、父兄達が教室の後方に揃った頃、いつもの算数の講師が教室に入って来た。立っている親達に空いている所へ着席を促した。親達は、父母教室でその日の問題冊子を配布され、いち早くおおまかな解説を受けている。三度目ともなれば、――もっとも三度目なのは算数の講師だけだが、講師と親達との間にも顔馴染みのような気安さが生まれている。
例によって応用問題から解説は始まり、最後の残り一、二分のところで計算問題三問と一行問題五問の正解を読み上げた。
「はい、満点」――ぱらぱらと五人くらいの手が挙がった。
「九十点」
同じくらいの手が挙がった。その中には京也の手があった。
京也は、正解の読み上げを聞き終わった後、満点の子達が手を挙げるまでの数秒間、間違えたのは二問だけであることを何度も確認していた。各問題文の横に記されている配点によれば、×印が付いたのは、いずれも一問五点である。次は自分だ、そう思うと胸は高鳴った。そして遂にその時が来たのである。鋭く高々と右手を挙げたのだった。
母さん、見ているか――京也は指先までピンと伸ばして胸を張った。周りに目をやり、「どうだ」と言わんばかりに見下ろした。
京也は昂奮冷めやらぬうちに理科の授業を迎えた。解説の途中、講師が今回の出題のうち、最も重要な問題を子供達に質問すると、二十人くらいの手が挙がった。京也もそのうちの一人である。
講師は、大柄で目立った、前から三分の一くらいの席に座る男の子を当てた。
「先ず答えは?」講師は訊いた。
「ウ」――正解である。
「理由は?」
「水蒸気が冷やされて水になったから」
「よし」――後方の親達がざわついた。
父母教室でも扱われたこの問題は、辻大木戸の理科の問題には珍しく、記号選択での解答に加え、その理由を記述するものだった。親達の目には、答えだけでなく、矢継ぎ早に理由を訊かれて即座に答える姿が立派で優秀な子に映ったのである。小学四年生らしからぬ体格の良さと堂々とした落ち着きぶりに熱い視線が注がれた。
三時間目の社会が終わり、京也は急いで荷物をまとめ、後方に見つけた妙子に駆け寄った。
「算数九十点だよ」京也は息を弾ませた。
「え?そう、よかったね」
「あれ?見てなかったの?手を挙げたの……」
「あっ、うん。見てたよ、がんばったじゃない」
何だ見てなかったのか……京也は内心落胆した。それでも九十点には変わりない、そう思って勝手に気を取り直した。
「あの子、すごかったね」妙子は感心した余韻を京也に投げ掛けた。
「え?」
「あの、指されて理由も答えた子よ」
「……ああ、理科?あんなの僕だって手を挙げてたでしょう?」
「理由は?って訊かれて、あんなにすぐにちゃんと答えられるなんて、なかなかできないよ」
妙子は何処となくうっとりしているような面持ちを見せた。
「あの問題は元々答えだけじゃなくて理由も訊かれている問題なんだよ?答えられて当たり前だよ」
京也は向きになった。それに自分が二度も手を挙げたのを見て貰えなかったのかと思うと、口惜しいのとがっかりしたのとが入り混じった、一体これをどう言ったら上手く伝えられるのか分からない、一人ぼっちの心持ちになった。
「それでもさあ……」妙子は繰り返した。
京也は彼女の顔を見ると、もうこの人には何を言っても無駄だと静かに諦めた。
妙子は家に帰ると、今度は正則に彼のことを熱っぽく語った。京也はその場に加わらないでいたが、妙子は同調を求めて誘い込んだ。迷惑そうな顔をして、彼女からの問い掛けをいい加減にあしらっていた京也だったが、それを見た正則の一言に唖然とした。
「お前にはデキる子を見習う素直さが足りない」
京也の頭の中に教室が浮かんだ。あの理科の問題で指されたかったと思った。口惜し涙が瞼の裏を熱くするのを感じ、眉間に力を入れた。正則はこの一見険しい京也の顔が気に入らないらしく、更に彼をなじった。
――何で九十点は褒められないのか?
京也はぼんやりそう思いながら、正則の言葉に打たれるままになっていた。(つづく)
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