あまりにも眩しくて
- ★★★ Excellent!!!
ツッコミどころはたくさんあります。
ブラックホールを操作できるほどの超絶テクノロジーの持ち主が宇宙船一隻撃退できないのかとか、宇宙人の描写にブレがあるとか、航宙能力を有する宇宙人に化学の知識がないのかとか。
……しかし、私に批判する資格はない。
たとえば今、誰かが二十のわたしにブルーバックス(どれでもいい)を一冊投げ与えて、「これからブルーバックス・チャレンジをしてもらう。このネタ本で三週間以内に書き上げろ」と言ったとする。
それで、このレベルのものを書けるだろうか。多分、書けない(チャレンジしたい気はあるが)
わたしがこの作品から感じ取ったのは、若々しくも鮮烈な、
「SFのSはサイエンスでなければならぬ」
という激しくも熱い意気込みです。
この種の科学に対して誠実であろうとする作風は今では受けない。
現在のSFマガでも、決して採用されることはないでしょう。科学の「か」の字も無いライトなSFもどきの方が受けるご時世。携帯を使うのに携帯の構造や暗号理論を学ぶ必要はない。そこにあるなら使えばいい、というわけです。
しかし、超光速であれ、タイムトラベルであれ、その原理・原則を可能な限りその時点での科学で説明しようとする姿勢は大切ですし、それがSFの原点であろうと。
アルゾに救いをもたらした太陽のように、若かった作者にとってSF、科学は救いをもたらしたのでしょうか。
(それ以降のおびただしいSF作品群がその答えです)
大ベテランの作者にとって未熟な点を修正することも出来たでしょう。
初期作品の版権を買いあさって封印する作家さんもいる中で、あえてさらしたのは、多分、創作の後進に胸を貸してくださったのだと思います。
「自分が二十の時はこんな作品を書いていた。お前たちはどうなんだ?」
あるいは、
「自分だって若い頃はこんな作品を書いていたんだ。お前たちもがんばれ!」
挑発、挑戦、叱咤激励。
そんなメッセージすら聞こえてきたのです。
確かにこの作品は若い。それでもなお、わたしをとらえて止まない何かがある。
でも……。
それは創作の底辺といわれる二次創作の住人たるわたしには余りにも眩しすぎたのです。
最後にレビューを読まれた方に。
やがてこの作品を書いた若者がおよそ三十年後に最高傑作「詩羽のいる街」を書く事になるとは不思議なものです。
こんなクソレビューなど放り出して、是非読みましょう。