太陽を創った男

山本弘

第1話

「もう一度太陽を見せてくれ」とアルゾは言った。「私の創った、あの太陽を」

 スコルピオたちはその願いを聞き入れた。彼らは残酷な生物だったが、感情というものがないわけではなかった。塩素の大気を呼吸し、見かけは気味の悪い節足動物だったが、人間の心は理解できた。アルゾが死ぬ前にもう一度だけ太陽を見たいと思うのは、人間としてごく当然のことだった。スコルピオたちは処刑を夜明けまで延期することにした。一人の地球人の生命があと数十分存らえたところで、どっちみち彼らの計画には何の影響もないのだ。

 アルゾは酸素マスクを口に当て、普段着一枚の軽装で、近づく夜明けを待った。肌を突き刺す寒さは、しかし耐えられるものだった。生命のかけらも存在しない不毛の惑星を、このように人間の住める環境に変えたのは彼なのだ。彼が太陽を創造し、この氷と暗黒の世界に光をもたらしたのだ。そして今、この惑星が彼の墓標になろうとしている。

 アルゾは孤独な科学者だった。出世競争や政治的かけひきに疲れ果てた彼は、地位も名声も捨て去り、人里離れた辺境に安住の地を求めた。彼が目をつけたのは、縮退星コラプサーカタログの片隅に記載されている、長ったらしいナンバーの付いた孤立ブラックホールだった。もともとこのブラックホールは、外宇宙を航行していた探査船から観測中に、背景のオリオン星雲からの光を歪ませたために発見されたもので、連星系ではないのでX線の放射量も低く、そのうえ人類の生存圏のはずれにあって星間航路からも離れているため、おそらくこの偶然がなければ永久に発見されなかっただろう。まさにアルゾにふさわしい星であった。

 その周囲を公転する一個の惑星が、彼の興味を引いた。軌道の離心率が非常に大きいことなどから、捕獲された放浪惑星であろうと推測されていた。連星系の惑星は軌道が不安定なため、外宇宙に放り出されてしまうことがよくある。そうした惑星のひとつが、何億年も宇宙空間をさまよううちに、ブラックホールの引力に捉えられたとしても、別に不思議はない。

 土星の衛星タイタンをひと回り大きくしたようなこの惑星は、重力もクラーク数も地球とよく似ており、事実、“地球型惑星”として分類されていたが、青い地球とは似ても似つかぬ死の世界だった。わずかばかりの地熱で内部から温められてはいるものの、表面は恐るべき寒冷地獄で、四気圧の大気の大部分は水素とヘリウム、水はおろかメタンもアンモニアもアルゴンも凍りつき、ネオンは液体の状態で存在していた。どのような形態の生命も、強力な防寒設備なしには一瞬たりとも存在できない、過酷な常闇の世界だった。

 誰も見向きもしないこのさいはての惑星を、アルゾはその主星であるブラックホールごと、ただ同然の値段で開発公社から買い取った。公社の役人たちは首を傾げた。いったい、絶対二・八度の宇宙黒体輻射にじかにさらされているも同然の世界で、何をしようというのだろう。およそ正常な人間には考えられない行為だった。しかし、アルゾは重力および核物理学の天才であり、彼には彼なりのプランがあった。

 彼はまず最初に、ブラックホールに手をつけた。事象の地平面の内側に特異点を含んでいる、いわゆる“狭義のブラックホール”、たとえばシュバルトシルト解やカー解の場合には、「事象の地平面の面積の和は絶対に減少することはない」という定理があるため、分裂させることは不可能である。しかし、アルゾが買い取ったブラックホールは、事象の地平面の外側にリング状に特異点が存在する、トミマツ=サトウ解だった。こうした“広義のブラックホール”は、アインシュタインの一般相対論では取り扱えない。アルゾの理論によれば、このようなブラックホールは、適当な刺激を与えることで分裂させることが可能だった。

 惑星がブラックホールの近日点にさしかかった時、アルゾは計画を実行に移した。ブラックホールの表面の数ヶ所で、同時に反物質爆弾を爆発させ、直径三〇オングストローム、質量一〇〇〇兆トンの超小型ブラックホールを取り出すことに成功したのだ。これは中級の小惑星程度の質量である。彼はこのミニ・ブラックホールを慎重に誘導し、惑星の表面すれすれを九〇分周期で公転する円軌道に乗せた。ミニ・ブラックホールは、大気圏の内側を猛スピードで飛んだ。あまりに大きすぎるその密度のために、何者もその運動を阻止することはできない。

 ミニ・ブラックホールはすさまじい速度で突進を続けながら、惑星の大気を吸い上げた。質量が小さいと言っても、中心点から一キロ離れた地点でさえ、七G近い重力が作用しているのだから、そのおそるべき吸引力は想像がつこうと言うものだ。水素とヘリウムから成る大気は、七五万Gの一〇億倍の一〇億倍という強大な表面重力によって、高密度に圧縮された。温度は急速に上昇し、そしてついに、誰にも消すことのできない核融合反応の火がついた……。

 ミニ・ブラックホールは太陽になった。四個の水素原子がヘリウム原子一個に変化する反応は、まさしく太陽の内部で起こっているのと同じものだった。惑星の周囲を太陽が公転する、世にも不思議な星系が誕生した。大気圏内を超音速で飛行するために発生する衝撃波も、原子の圧縮を助けた。

 ミニ・ブラックホールの軌道面は、惑星の赤道面に対して大きく傾いているため、惑星の表面はまんべんなく照らし出され、じりじりと温度が上がりはじめた。何万年も待つ必要はなかった。アルゾの計算では、この惑星の軌道を一度上げるためには、ほんの数十万トンの水素原子が融合すればよいのだ。そして、水素原子は大気中に無尽蔵に存在する。アルゾはただ、ふらつきがちなミニ・ブラックホールの軌道を、時々修正してやるだけでよかった。

 この新しい太陽は、もうひとつの働きもした。その潮汐力で惑星を絶え間なく揺さぶり、眠っていたマントルを刺激して、地殻活動を活発化させたのだ。火山が次々に噴火し、さらに大量の熱量が放出された。温度がマイナス七八・五度を突破してからは、二酸化炭素の温室効果がこれに加わった。

 一〇年、そして二〇年。平均気温はついに氷点を上回った。アルゾの大胆な計画はついに実を結んだのだ。大気の主成分は依然として水素とヘリウムなので、外出する時は酸素マスクが必要だが、もう重たい防寒宇宙服を着なくていいのだ。アルゾはこの大気中でも生育するような、新種の植物を栽培しはじめた。これがうまくいけば、この惑星は緑あふれる別天地に生まれ変わるのだ。

 アルゾは幸福だった──戦争がはじまるまでは。

 人類=スコルピオ間に戦争が勃発し、この名もない惑星が、戦略上の重要拠点になったのだ。惑星を占領するため、スコルピオは一隻のフリゲート艦を派遣した。たった一人の地球人を制圧するには十分すぎる戦力だった。アルゾは小型の熱プラズマ砲で応戦したが、もちろん完全武装した軍用艦に通用するはずもなく、敵の船体に小さな亀裂を生じさせただけだった。アルゾは捕らえられ、死刑を宣告された。助かる望みはまったくなかった。地球軍が救援に駆けつけるのは、あと一週間も先なのだ。

 地平線は急速に白みつつあった。もうすぐ夜明けだ。オーロラに似た光が、遠くの山脈に沿って、さっと広がった。アルゾの最期の時が来たのだ。夜明けの最初の光が大地を染めると同時に、彼の心臓に狙いを定めた干渉レーザーライフルの銃口が、いっせいに火を吹くのだ。

 アルゾは大地に立って日の出を待った。防護ゴーグルなしで強烈な核融合の光をじかに見ると、失明の危険があるのだが、そんなことはまったく気にならない。死ぬ前にもう一度だけ太陽の光を見られるのなら、何も思い残すことはない。それはアルゾが創造した太陽であり、いわば彼の一人娘だった。最期の別れを前にして、年老いたアルゾの眼に思わず涙がこみ上げてきた……。

 ちょうどその時、地球で見る太陽より一六倍も速いスピードで、燃え盛る朝日が地平線から駆け昇った。

 次の瞬間、五〇〇メートルほど離れたところに着陸していたスコルピオの宇宙船のほうで、大音響を伴う爆発が起こった。今まさに引き金をひこうとしていた銃殺隊の兵士たちは、びっくりして振り返った。ある予感にかられて、アルゾがとっさに大地に身を伏せた時、船腹が大きく裂けた宇宙船は、二度目の、さらに大きな爆発を起こした。船体は木っ端微塵に吹き飛び、すさまじい爆風が嵐のように吹き荒れた。体の軽いスコルピオたちは宙に舞い、地面に叩きつけられた。甲殻類の殻のような宇宙服が壊れると、それらも次々に爆発した。怒り狂った風はうなりをあげて平野を駆け抜け、大地を震わせる大音響は長く尾を引いた……。

 すべてが終わった後、アルゾはおそるおそる顔を上げ、周囲を見回した。スコルピオたちはすっかり掃討され、宇宙船のあった場所には、打ち捨てられた古代遺跡を思わせる巨大な残骸が、白煙を上げていた。アルゾは一瞬のうちに事情を理解した。彼が敵宇宙船に生じさせた小さな亀裂から、おそらく塩素の大気が洩れていて、空気中の酸素と混じり合っていたのだろう。塩素と水素の混合気体に太陽光線が当たると、爆発的に化合して塩化水素になる。その爆発が亀裂を大きく広げ、さらに大量の塩素が反応して……。

 アルゾは空を見上げた。彼の創った太陽が、彼の命を救ったのだ。


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太陽を創った男 山本弘 @hirorin015

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