終章1 僕らの世界に幸あれ


 ぐぁらんぐぁらん。


 この音を聞くといつもなんだかダルくなる。そんないつも通りのくたびれたベルの音とともに扉を開ける。いつもどおりに溢れてくる、悲鳴の歌。青い光の洪水。

 いつもどおりの、僕の溜息。


「お、ダン。来たな来たな」


 僕は相変わらずドリークに呼び出されて、マスターの《水槽》に通っている。

 ドリークはいつも通りカウンターに陣取っていて、太く毛深い両腕を上げて僕に向かって大げさに振る。

 でもいつもどおりなのはここまでで、普段はのんびりグラスを拭いてるマスターはせわしなくドリンクをつくっている。何より違うのは店が賑わっているというところだ。


 幼馴染のイクセル。ドリークの組み仲間トルド。薬草に独特の魔気を入れてくれるセット。その弟のロニー。音楽が好きで、この店で鳴らしている曲も作っているトゥール。みんないる。

 彼らをはじめ、たくさんの顔見知りが席を埋めていた。


 ドリークの隣は、意図的なのか、誰も座りたくないのか、誰も座っていなかった。ドリークがその席をバシバシ叩くので意図的なんだろう。笑顔すぎる笑顔で、席をたたき続けるドリークに従って、彼の隣に座った。

 いつも酒を勧めてくるドリークが、今日は酒ではなく僕が愛飲しているヨウミョウが入ったグラスを押し付けてきた。相当の上機嫌だ。


「おら、みんな! ダンも来たことだし、もう一回乾杯するぞー!」


 ドリークの呼びかけに「おう!」と答えてみんなグラスを高く上げる。


「生まれてきやがる新しい生命たちに乾杯!」


 みんな中身がこぼれることもお構いなしに、お互いのグラスをぶつけ合う。


 食人族の食人期が過ぎると次は繁殖期だ。今年の繁殖期ではイクセル、セット、トゥール、それからドリークに子供ができた。


 彼らは人の死を――魂の旅立ちを祝う。でも新しい魂の誕生はもっと祝う。

 お酒をすすめたがるやつばかりだから男女別々にお祝いをしているが、女性たちは女性たちで盛り上がってることだろう。


 彼らは抱き合って笑い合って、祝いあって飲みあう。マスターは繁殖期限定の祝い酒を開ける。

 いつもの飲み物もうまいけど、こんな日くらいは僕も酒を飲んで、彼らと一緒に酔いあうのもいいんじゃないか、なんて思ったりなんかして。


「ドリークも来年には父親なんですねー」


 しみじみ噛み締めながら言う。


「おう」


 中身が一瞬でなくなったグラスをおいて、ボトルを鷲づかみにしながら嬉しそうに返事をするドリーク。


「やっぱり、死なないでくださいね。僕のためにも子供のためにも」

「んなことしたら俺様の最強伝説が消えちまうだろうが」

「なんて言われようが嫌ですね。僕、ドリークのことすきですから」


 ラッパ飲みをしていたドリーク。ビンから流れて口に入ったはずの酒が、口から溢れてだらだらこぼれて、盛り上がりすぎの胸板を汚している。


「なんですか。汚いですね」

「俺は男の求愛なんぞに答えられんぞ」

「そんなんじゃないですから安心してください」

「じゃあどんなんだ」

「ドリークは? 僕のこと嫌いですか?」

「ん? そりゃ、嫌いじゃねーけどよ」

「多分、きっと。そういうのも《すき》ってことなんですよ」


 腕組みをして首をひねって、考え込むドリーク。


「俺にはよく分からん。わからんがしかし――」


 誰かがテーブルの上で踊りだした。歓声が沸いている。


「悪い気分じゃあねーなあ」


 僕はみんなと違う感情を持ってるのはなぜか、なんて思ってたけど、もうそんなのどうでもいいや。

 じゃれ合って抱き合ったり、小突きあったり、はやしたてる口笛の音、なんだかわけが分からないけど楽しそうに叫んだり。


 あの時。光の世界を取り戻していたら、きっと僕はここに混じっていなかった。あの時の自分の行動が正しかったのか、間違っていたのか……それはわからないけれど――自分は今幸せだな、なんてことを思う。


 この世界では絶対に、ヒョウギの術で見せられた《夢》のような、あんな悲劇はきっと起きない。信じている。

 みんな、この世界では人間は喰わないってことを誓ってるし、みんなは嘘が大っ嫌いだ。


 ルティとは、あれ以来も長様を診るために何度か会っている。そのとき、僕は僕らの種族がどういった奴らなのかを話した。

 確かに食人族のみんなは、残酷なのかもしれない。でもそれだけじゃなくて、心が無いわけじゃないこと。心の暖かさを知らないわけじゃないこと。喜びや幸せがわからないわけじゃないこと。嘘が大嫌いだってことも。いろいろ話した。


 僕の話を聞いて、彼女がどう思ったかは僕にはわからない。


 だけど僕が話す僕の仲間の話でいつか、彼女が笑ってくれるようになって、このままこの世界で平和が続いて、ずっと続いていった先に、もしかしたら――

 幸せの騒音に混じってベルの音がなった。ほとんどのみんなは気に留めなかったが、ドリークはいつかと同じに「おっ」と反応して、僕は驚きの声を上げる。


「ルティ!」

「お前の家に行ったがいなかったからな。他に行く当てがなくてここに来たんだ」


 みんな立ち上がって騒いでいるので空いていた僕の隣に彼女は座った。

 びっくりした。ルティのことを考えていたらルティが来た。噂をすればなんとやらって言うけど……。


「お前、いつでも口が開いてるんだな」


 あわてて両手であごの下から口を閉じる。……口のことを指摘されるのはもう何回目だっけ?


「ど、どうしたの、こんなところま――」

「うぉおおおー! ねーちゃん、今度こそだ! 一緒に飲むぞ!」


 僕らの間に割り込んで、ドリークがテーブルに大ジョッキを二つ置いた。

 間に割り込まれたわけで、僕にはドリークの頭しか見えない。


「お酒以外のもあるからねー。何でも言ってねー」


 カウンターの向こうから、こちらの様子を見ていたマスターが声を投げてくる。


「おう、ねーちゃん。頼め頼め。おごってやっから、な?」

「私はダンと話があってここへ来たんだ。退いてくれないか」


 ルティの拒絶にドリークは無言だ。ガンガンガン。ジョッキの底をテーブルに叩きつける。きっとものすごい渋面をしているに違いない。


「すまない」


 ――すまない。


 今、ルティの口から出た言葉に驚いた。初めてここに来たときには、きっと絶対出なかった言葉だ。


「しょうがねぇ。またいつか相手してくれや」


 ダランとした腕で、ダランとジョッキを持ってすごすごと、騒いでいるみんなのところへ歩いていく。


「今の浮気じゃぁねぇ?」

「美女を愛でるのは浮気とは言わねぇ」


 とかなんとか会話しているが、ドリークも彼女に僕と同じことを思ったから素直に身を引いたのかもしれない。……なんて思ったけど、どうだろうか。


「で、話って何?」


 ルティに向き直って頭を切り替える。


「ああ……」


 珍しく彼女は僕から目をそらして、椅子を回転させて、カウンターの正面に向ける。


「私の一族は長様が――父様が死んで、男がいなくなった。このままだと一族が滅びてしまう。だから今、私たちの里に来てくれる男を捜している」


 彼女はなぜだか言葉を切った。次の言葉を待ってもなかなか続けてくれない。


「うん。それで?」


 促すと、ルティの顔が爆発するんじゃないかってほど赤くなった。

 いきなり立ち上がってルティはマスターに大声で「ロンカァをくれ!」と叫んだ。


 ロンカァはものすごいきつい酒だ。それを知ってて彼女は頼んでいるのだろうか。止めようと思ったが止める間もなくマスターが持ってきてしまった。注文を受けて二秒もたっていない。後ろで「マスター、それ俺のだー」と声がした。「美人さんはトクベツー」とマスター。

 そして止める間もなくルティは一気飲み。ストレートで。

 力強くグラスをカウンターに置いて、すでに血走ってしまっている目で僕を睨んできた。なんだかわからないけど怒られることを覚悟した。


「私の婿になる気はないか!」


 騒音が消えた。店内に音楽を流しているカエルのケロロンの雄叫びだけが響いている。

 踊っている最中で両手を挙げた変なポーズのイクセル。口笛を吹くのに指をくわえたままのトルド。三人同時に抱きつかれてそのまま押しつぶされてるロニー。酔うとすぐ脱ぐセットは下に手をかけている。みんな動きを止めて僕らに注目している。


「…………あ……あ…………」


 なにを言ってんだこの人。

 結婚を申し込んできましたよ。血走った目で。

 またしても口が開いていることに自分で気づいたが、彼女は指摘しなかった。

 酒のせいでそうなったのかどうかは分からないが、真っ赤な顔で、僕をじーっと睨んだまま、歯を食いしばって息を止めてしまっているらしい。正直きれいな顔じゃなかった。でも無性に――もどかしくなるほどに可愛かった。


「…………ある…………」


 うおおおおおおおお! と歓声が押し寄せた。


「な! なんだこいつら!」

「なになに! なんですか一体!」


 みんな僕らに突撃してくる。担ぎ上げられる。そのまま外に運び出される。


「だからなんなんですか! 放してくださいよ!」


 ドリークが左腕を上げ、


「お前らやれ!」


 振り下ろした。

 ドリークの号令で僕とルティの身体が宙に舞っていた。


「めでてぇめでてぇダンとねーちゃんの婚約に万歳!」


 はぁああぃぃ?

 つまりこれは婚約を祝う胴上げというわけ?


「ちょ! 気が早すぎで、すって! 聞いてま、すかドリーク!」


 何度も打ち上げられる僕ら。聞く耳持つどころか通りすがりの人に「おら! 拍手拍手!」なんてことを言っている。

 ルティは迷惑してるだろうな、と見ると彼女は――笑ってた。

 楽しそうに嬉しそうに笑ってた。

 彼女の顔を見てると僕もうれしくなった。


 僕の親父が彼らと仲良くすることを選んだ理由が、なんだか分かった気がする。

 本当の意味で、彼女や、他の種族の人たちが、僕ら食人族を受け入れてくれるかどうかは分からないけれど――やっぱり僕は今幸せだな、なんてことを心の底から思った。



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