真っ暗な世界で僕らは光を求めた

あおいしょう

序章1 発動


 澄んだ青い空に黒煙が舞い上がっていた。

 人家は破壊され、魂を宿していない人間の身体がいくつも転がっている。


 地面に転がっている人間のほとんどが、身体のどこかを失っていた。ある者は腕を。ある者は脚を。ある者は腹を。頭部を。惜しげもなく紅い筋肉や臓物をさらけ出し、流れ出した紅い液体で自らが住んでいた村の地面を、赤黒く染めていた。


「今回は奴らが来なかったから楽だったよなー」


 背の低い筋肉質の男が、足元に転がっている青年の腕を引き千切りながら、のんびりと呟いた。

 滅びた村に、弾んだ音楽が、歌が、響いて辺りに広がっていた。

 男の仲間達が死体の海の中を踊り、歌を歌い、勝利の宴を繰り広げている。男はその光景に満足したようにニコリと無邪気に微笑む。先ほど引き千切った腕を豪快に噛み千切り、地面に腰を落として胡坐をかいた。


 彼らは人を喰らって生きる、人間と同じ形をした食人族しょくじんぞくという種族である。


 年に二度来る食人期が来ると、彼らは人間の肉を欲して人間の村を襲う。

 彼ら食人族が人間をねじ伏せるのは容易いことなのだが、食人族たちが人間の村を襲うたびに現れ邪魔をする一族がおり、たびたび苦戦を強いられていた。――以前までは。

 今はその一族が、彼ら食人族を阻むことはできない。先日、食人族たちは不意を打って強襲し、邪魔なその一族を壊滅させていたからだ。


「おい」


 宴の歌が広がる中、冷静な声がかけられた。

 背の低い筋肉質の男は、口の中の物を咀嚼しながら顔を上げた。

 目の前に一つの死体が投げられた。地面に落ちた死体の顔は、背の低い筋肉質の男がよく見知っているものだった。

 彼と仲が良かった同胞の顔だ。


「ありゃまあ。こいつ殺られちまったのかぁ」


 自分達の邪魔をするあの一族を壊滅させたあとである今回は、もう被害が出ないと背の低い筋肉質の男は思っていた。だが弱い人間も襲われ、逃げ惑うばかりではなかったらしい。


「そいつはお前を慕ってたんだ。喰ってやれ」


 死体を運んできた長い黒髪の男は、足元に転がっている人間の男の腕を引きちぎりを持ち上げ、木の実にするように齧りついた。仲間の無念を噛みしめるように咀嚼する。


「そっか……。なら、綺麗に最後まで喰ってやらなきゃなぁ」

「そうだな」


 死んだ仲間を喰ってやる。それは彼らなりの追悼なのだ。

 背の低い筋肉質の男が死んだ仲間を喰ってやろうと手を伸ばした、瞬間。宴が広がる集落に、一陣の風が吹いた。 

 祝いの踊りが静止し、歓喜の歌声が途切れた。

 宴の輪の中心に一組の男女が現れていた。


「間に合わなかった……」


 現れた女が、愁いを帯びた声で呟き、唇を噛んだ。まだ少女を脱して間もないという風な顔立ちだ。肩まで伸ばした栗色の髪が、風に揺れている。


「心を乱すな。これから無念を晴らしてやるんだから」


 女にそう答えたのは長い銀髪をうなじで一つにまとめた青年だった。女よりはいくつか年上だろう。

 青年の顔には押し殺しているのか表情がなかった。ただそっと、女の頭を優しく一撫でした。


「あいつら……」


 長い黒髪の男が呟いた。

 おそらく空間転移の術を使って来たのだろう、突然に現れた男女のことは背の低い筋肉質の男も見覚えがあった。

 先日壊滅させた、自分達食人族の邪魔をする一族。その僅かな生き残りの二人だ。


 人間は“寂しさ”という感情を持っているらしい。痛くて苦しいものだと聞く。

 故に食人族たちは“襲撃した集落はかならず全滅させてやらなければならない”という信念をもっていた。

 だが、不意打ちだったとはいえ、長年食人族と戦ってきた一族だ。食人族たちの信念も叶わず生き残りを出し、自分たちも多大な被害を被った。


 すでに“敵”としては何の懸念もしていなかった彼ら一族をもう一度襲撃し、今度こそ滅ぼしてやるつもりでいたのだが……。


「なんだよー。こっちは楽しく盛り上がってんのにさあ。邪魔すんなよぉ」


 宴の輪を構成していた一人が、不満の声を二人にぶつけた。そのひとつの不満の声に同調し、輪のあちこちから非難の声が上がる。

 背の低い筋肉質の男は不満を挙げる彼らに、特に同調することなく傍観していた。少し前まで友人が宿っていた肉体の手を丁寧に千切り、ゆっくりと噛み締めるように食する。


 現れたのはたったの二人だ。罵声など飛ばしてる暇があるなら、とっとと仕留めて宴の肴のひとつにしてしまえばいい。そう思って眺めていた。

 すると傍らに立っていた長い黒髪の男が輪に割って入り、男女への罵倒を掻き消すかの如く声を張り上げた。


「お前たちたった二人では我々に勝てることはない。何をしに来た!」


 食人族たちの輪の声を圧倒した彼の問いに、女は澄んだ瞳で正面を向き、答えた。


「一矢報いるために」


 彼女の瞳に迷いはなかった。


「私たち一族の使命はあなた達を排除すること。たとえ滅ぼされ、ともに戦う仲間がいなくなっても、あなた達から目を背けるわけにはいきません」


 何故この二人はわざわざ滅ぼされに来たのだろうと、背の低い筋肉質の男は思った。

 自分たち食人族にはない心だが、彼ら人間は死を恐れるはずなのに。やはり“寂しい”という感情がそうさせるのだろうか……。

 どう思考を巡らせてみても背の低い筋肉質の男には解らなかった。


「あなた達のせいで亡くなった者達のためにも、私たちは一矢報いるのです!」 


 自らの意志を力強く告げた時、その女の肩を、銀髪の青年が無造作に掴んだ。青年は彼女を自分の腕の中へ引き寄せ、そして突然に、彼女の唇に口付けをする。

 青年は、目を見開いた女の髪をいとおしそうに撫でながら、ゆっくりと唇を離した。

 女の顔を見つめながら、幸せそうな微笑みを浮かべる。


「お前は残っている一族の皆と、一緒に生きろ。幸せになれ」


 青年が女の頭の上に手を置くと、女の身体が足元から徐々に透明になり始めた。


「待って。どういうこ……」


 悲痛に呟き青年の腕を掴んだが、その手も途端に消えてしまう。

 青年は微笑を浮かべたまま、答えない。


「いやっ……私も一緒に……! ヒョウギ!」


 叫んだ唇も消え、


「さらばだ」


 青年の幸福そうな声を拾ったであろう耳も消え、女の身体は全て消え失せてしまった。

 その光景を見守っていた食人族たちがざわめきだす。


「あれ? 彼女だけ転移しちまったのか?」


 理解不能だと呟く者に皆が賛同する。


「あんた独りだけになってどうすんだ、なにすんだよ!」


 傍観を決め込んでいたはずの、背の低い筋肉質の男も思わず大きく頷いていた。


「なんだよどうしたぁ? 彼女かわいそうじゃねーかー!」

「一矢報いんだろ? あんた一人でできんのぉ?」

「愛し合ってんでしょ? 捨てるくらいなら綺麗に喰ってやれよ!」


 先ほど宴を邪魔されたときとはまた異なった罵声を浴びせていると、青年の口から「くくっ」と、笑い声が漏れた。その声は何故だか、罵声の嵐の中でも辺りによく響いた。


「私はここへ一矢報いるために来たのではない」


 彼が食人族たちに向けた表情は、恨み、嘲り、憎悪、悲嘆、侮蔑――そして勝利を確信した優越感で狂い、歪んだ笑みに彩られていた。深緑の瞳が異様な光を放っている。


「お前たちをこの世から完全に排除するために来たんだ」


 食人族の皆が今度は嘲笑を爆発させる。

 背の低い筋肉質の男を含めて、『そんなことができるはずはない』と、信じて疑わなかった。

 嘲笑の渦の中で、光の球が浮かび上がっていた。光球は、青年の身体のありとあらゆる箇所から湧き出し、空中を舞った。


「私はこの術のために何人もの人間の血で、この手を汚した。私もお前たちと同罪だ」


 食人族たちの笑いが凍りついた。

 青年が、自らの手で、自らの腹を貫いていた。引き抜くと、大量の血が地面に落ち、青年はその場に膝を突いた。

 一同が混乱にざわめき、互いに顔を見合わせる。こいつなにしてんの? 自分で自分殺しても自分を喰えるわけじゃないのにな? 頭悪いんじゃねぇ?


 食人族は戸惑いながらも好奇心で青年を見守っていた。

 すると、青年が流した血溜まりの中心に、小さな植物の芽が出ていることに気づいた。その小さな芽に光たちはひとつひとつ吸い込まれていく。

 芽は光をひとつ取り込むたびに大きくなった。時間という概念を無視するように、数秒で数年が経っているように成長し、木になり、さらに大きくなり、膝を突いたままの青年を飲み込んだ。


 背の低い筋肉質の男は、耐え難い苦痛を感じて叫び声を挙げ、耳を抑え、うずくまった。

 阿鼻叫喚が響き渡った。


「耳が痛ぇええ!」


 金属を激しくこすり合わせるような音が、頭の奥から耳が千切れてしまいそうなほどに鳴り響く。


「ちくしょうおおぉぉおお!」

「なんだこれぇええ!」


 音は全身を駆け巡り、身体の中を揺さぶり、全身が浮遊するような分解されていくような、異様な感覚に彼らをいざなった。

 仰向けに倒れこんだ背の低い筋肉質の男は、目に入った空を見て、目を張り裂けんばかりに見開いた。


 太陽が闇に喰われていた。闇が徐々に太陽を侵食していくとともに、空が青から黒へと色を変えていく。

 黒が、今まで慣れ親しんでいた青い空を蝕み、食い潰してしまった。後には太陽も、雲も、星も見えない。ただ黒のみが残った。と同時に、先ほどまでの苦痛が嘘のように去っていた。


 背の低い筋肉質の男はゆっくりと身体を起こした。そうして目に入ったのは見事に成長した大樹だった。

 大きく広がっている枝に黄色い葉を茂らせている。幹は何百年かけて育ってきたのだろう、と思わせるほどに太い。

 その大樹の手前には、樹に飲み込まれたはずである銀髪の青年が悠然と立っていた。


「貴様……一体何をした」


 すでに起き上がっていた長い黒髪の男が問いかけると、青年は目を細めた。その瞳には光がなく、白く濁っていた。


「お前たちを、本来とはまったく異なる世界へと招待した。この場にはいないお前たちの仲間も、こちらの世界へ来ているはずだ」


 青年は嘲笑に唇をつりあげ、腕を広げた。


「さあ。この闇の世界で私と一緒に朽ち果てようじゃないか」


 倒れていた他の皆もようやく身体を起こし、この不可思議な状況を理解しようと顔を見合わせあう。


「なんだよそれ……」

「閉じ込められた……ってことなのか?」


 僅かな警戒心と戸惑いを混じらせていたが、いつでも殺せるぞ、と、言いたげに身構え、青年ににじり寄った。


「なるほど」


 青年の言葉を、長い黒髪の男は鼻で笑った。


「貴様らには俺たちを滅ぼす力がすでにない。だから別空間を作り出し、俺たちを捕らえる。そんな術を使ってくるとは予想外だった。だが、つまりはあんたを殺せば、この現象は元に戻るということだろ?」


 長い黒髪の男は言った途端、地面を蹴り青年に襲い掛かった。周りの皆もそれを合図に一斉に襲い掛かる。

 だが彼らは青年のところまで届かなかった。何の前触れもなく地面を突き破って現れた巨木に貫かれ、一瞬のうちに果ててしまったのだ。


「無駄なことだ。この世界では私が神なのだから」


 青年が哄笑する中、大樹の幹に、目を閉じた青年の顔が浮かび上がった。



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