2 憎むべき種族の男が、私の恩人になったとき


 軽い倦怠感の中、私は意識を取り戻した。

 何か暖かく、やわらかなものが自分を包んでいる。地面に倒れ付しているのではない。――私はあいつにやられて道端に倒れたのではなかったか?

 薄い毛布が掛けられている。屋内だ。どうやらどこかのベッドに寝かされているらしい。


 顔のすぐ近くで人間の気配がし、私は身を硬直させた。目を閉じたままで気配を追う。何者かはわからない。迂闊に目を覚まさないほうがいいかもしれない。

 気配は私の顔のすぐそこで留まり、なかなか去ろうとはしない。何を観察しているのだろう。

 もしかするとあいつに監禁されたのか? 私から何か聞きだそうと、あるいは何かに利用しようとして。するとこの顔の近くの気配は奴か? そうだ、彼以外、あの状況で私を拾っていくなど、他の誰がするというのだ。それ以外に無い!


「うわっ!」


 開眼し、その気配の人物の顔めがけて蹴りを放った。不意を付いたつもりだったがかわされてしまい、後ろに飛び退かれ距離をとられた。蹴りの勢いでベッドの上に立ち上がり、その人物を睨みつけた。


 だが、一瞬だけ毒気を抜かれて目をしばたたいてしまった。

 あの男ではなかったのだ。

 くるくると癖のついた金髪の男だ。


 向こうも目を丸くして目をまたたかせている。右手には湯気がたつ何かが、左手にはサラダらしきものが入っている器を持ち、頭にはパンの乗った皿を載せている。中のものがこぼれた形跡はどこにもない。器の中身をこぼさずに私の蹴りをかわすとは……。緊迫感のない表情と格好をしていて間抜けに見えるが、こいつは見た目以上に只者ではないのかもしれない。

 改めて睨みつけ、問う。


「誰だお前は。あの男の手下か」

「あ、あの?」


 男に敵意はないように見えたが、まだ気を緩めるつもりはなかった。答えない男に対し、睨む目にいっそう力を込めて威圧する。


「僕は誰の手下でもないですけど……」

「なら何者だ」

「医者……ですけど」

「医者? なぜ医者が私を監禁してるんだ」

「いや、監禁してませんから。憶えてませんか。あなた、あの男に魔気で眠らされて倒れたんですよ。で、そのままじゃいけないんで治療しようと連れてきたんですけど……」

「医者? 治療?」


 思い出した。初めに私の邪魔をしてきた下品な大男と一緒にいた男だ。食人族の店にいた男だ。

 食人族……。奴らは人を喰らう種族だと聞かされた。昔はさまざまな人間の村を襲い、多くを滅ぼしたと聞いた。そんな種族の仲間なのだ、この男は。


 胸の奥から怒りが湧き上がってくる。

 奴らは同族の死も厭わないのだ。なのに医者だと? 治療だと? 馬鹿にしている!


「お前は食人族だろう! 信用できるか!」


 私はベッドから男の目の前に飛び掛り、男の顔面目掛けて拳を振り上げた。


「僕はあなたを助けたかったんだ!」


 男の叫びに、拳が止まった。動かなくなった。

 動けなくなってしまった。


「僕は……僕は確かに食人族の血を引いてますけど……でも、僕は人を喰ったことはないし、みんなも時期以外は喰いませんし……嘘は大嫌いだし、わいわい楽しくやるのは大好きだし……」


 言葉を重ねるたびに彼の顔は俯いていく。手に持っている器が力なく下がっていく。右手のスープがこぼれそうになったとき、彼は少しだけ唇を噛み、そうして意を決したように顔を上げた。


「僕はあなたを助けたかった」


 男の顔が真正面にある。男の瞳は橙色で、ランプの暖かい、魔気で灯す火とは違う、天然の火の色と同じ色をしていた。

 橙色の瞳が私を見ている。悲しそうに。


 ――――あ。


 理性は、嘘だ、と警鐘を鳴らし続けている。だが――男の瞳は嘘などついてはいない。

 感情が理性を上回ってそれを確信した。


「す……すまない!」


 思わず叫ぶと共にうずくまり、額を床にこすりつけた。

 感情が、身体を後悔という想いで私を震えさせた。頭に、身体全ての熱が集まって湯気が出そうなほどに熱くなり、自分を情けなく思った。


「私は――お前は恩人だというのに……。すまないことをした」

「……えー……」


 耳がなくなってしまったのではないかと思える沈黙に包まれる。私は顔を上げられず、そのまま床を見つめ続けた。と――

 目の前に、湯気を立てている器が差し出された。


「謝らないでください。ほら、飯がこぼれたわけでもないですし」


 顔を上げると、膝をついた彼の微笑があった。彼は立ちあがり、私は彼の行動を目で追いかける。彼がテーブルの上に、右手左手に持っていた器、そして頭に乗っていた皿を置き、先ほどから浮かべたままの微笑を私に向け、椅子を引き出して言った。


「あなたのために作りました。どうぞ、食べてください」


 彼の瞳はランプの光と同じ、と思ったが、少しだけ違っていたことに気づいた。彼の瞳はもっと、やわらかく、暖かい光を宿していた。

 父が求めている太陽の光というのも、こんな風に暖かいのだろうか。


「ほら、冷めないうちに」


 ほとんど止めていた息を吐き出して立ち上がる。

 今度はゆっくりと、彼に向かって頭を下げた。


「私はルティという。救ってくれたこと、感謝する」


 頭を上げ、私が座るのを待ってくれている椅子に腰をかけた。


「いただきます」


 スープの器を手に取る。暖かい湯気と共に、嗅いだことのない香草の香りが鼻をくすぐった。一口飲むと全身に暖かさが広がっていき、凝り固まった心が優しくほぐされていくように感じた。


「お前は、名は何と言うんだ」

「あ、名前、まだ言ってませんでしたね。ダンっていいます」

「ダン、か」


 ダンが出す食事は全て美味くて、夢中になって食べていた。食べている途中、ダンが話す、「これは魔気に侵されたときの体力回復にいいんです」とか「これはうちで育てた食用の花なんですけど――」などなどのウンチクを興味深く聞いていたが、気づくと私はしっかりとデザートまでほおばっていた。


 食べている間の彼の瞳は、終始嬉しそうだった。この男は本当に人を喜ばせるのが好きで、医者をやっているのかもしれない。

 食事を終えてくつろぎかけたが、ふとあることに気づいて身体が強張った。


「剣は! 私の持っていた剣はどうした!」


 反射的に椅子から立ち上がっていた。私は何故今まで気づかずにいたのか……。


「あそこに」


 一瞬驚きで固まっていたが、気を取り直して笑顔を浮かべたダンが指差した。その先の壁に、私の剣は立てかけられていた。

 見慣れた、澄んだ銀色を放つ刀身。《光》がイメージされているという彫刻が施されている長柄。父様が想いを篭めてくれ、いざというときにはお前を守ってくれると、託してくださった大切な剣だ。


 ――父様……。


 安堵して椅子に座りなおし、私はダンの方に向き直って謝罪ではない頭を下げた。


「すまないが、頼みがある」

「え?」

「父を――私の里の長様を……診てほしい。私の里の医者も見たのだが、もう助からないといっている。だが、諦めきれないのだ。わずかな望みでもあるなら、私はどんなことでもする。だから長様を診てくれないか。頼む」

「え? や、えと、あの、えーっと……。あのっ……。こっ……困ります……」


 ダンの声は戸惑っていた。しかし断られるわけにはいかない。さらに深く頭を下げる。


「頼む。謝礼ならいくらでも出す。だから、長を……」

「いや、あの……頭上げてください。僕が困ってるのは、そこで……」

「え」


 頭を上げてみると、彼は顔を左手で覆い隠していた。指の隙間から見える彼の顔面は真っ赤に染まっていた。


「だって……そんな必死に頼まれたの、初めてだから……つい」


 ぽかんとして彼の顔に見入っていたら、彼は私の視線から逃げるようにそっぽを向いてしまった。


 ――なんだ。そんなことを困っていたのか。


 少し、心が和んだ。

 私の視線から逃げようとしているその横顔に向けて、言った。


「よろしく頼む」




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