8 光と私


 何も見えない闇の中で、私は光を追いかけた。

 追いかけても追いかけても、光は私から遠のいていった。

 手を伸ばしても届かない。走っても走っても追いつけない。

 何かが私の腕をつかみ、引き戻そうとする。


 やめろ。私はあの光にたどり着かなければならないんだ。


 腕をつかんでいた何かを振り切り再び走った。

 今度は光の方から私に近づいてきた。

 私の足は心と同時に弾んで速くなった。

 何かに足をとられて、私はその場に転んでしまった。


 派手に水音が上がる。


 つまずいた物体は、冷たく弾力があった。水はひどく粘着質だ。

 目の前まで来た光が私の足元を照らす。


 真っ赤だった。


 私がつまずいたのは誰かの脚だ。ただし太もものあたりから上は無い。遊んでいて散らかして、遊び終わったら忘れ去られたボール。そんな風に無造作に、いくつか誰かの頭が転がっている。余計な突起が排除された胴体の腹の中から、赤い蛇が遠慮なく身体をさらしている。何かの幼虫にも似た指があたりに散らばっている。


 真っ赤だった。


 私はその赤の中心に座り込んでいた。


『君のせいだよ、こんなことになったのは』


「私は……一族の願いを――」


『うん。でも、君のせいだ』


 追いかけていた光が、私に迫ってきた。

 飲み込まれた。

 飲み込まれて――私を通り過ぎていった。


「うわああああああ――








――あああああああああああああ!」


 目の前は闇だった。だが、鼻をくすぐるのは慣れ親しんだ、やさしく甘い香りだった。

 闇はこの世界の空だった。私が生まれて二十年暮らしてきた、この世界の……。


「ルティ、大丈夫?」


 私を案じる男の声がした。身体を起こした。白が、地面いっぱいに敷き詰められているのが目に入った。黒い空とは対照的に、輝くように白い翔空しょうくう。私たちの一族が大切に育てた花たちだった。

 私はいつの間に自分の里に帰ってきたのだろう。


「ルティ?」


 男の声に振り向く。頭に霞がかかっているようで、男が誰かすぐに思い出せない。

 私の隣に座って、心配そうに私を見ている。やわらかそうな、くるくるしている金髪。橙色のぬくもりの色をした、瞳……。


「……ダン」


 途端、彼が私にした事を思い出した。


「あいつは……あいつはどうなったんだ」


 ダンの胸倉をつかんだ。彼は私から目を逸らすことをしなかった。


「ごめん」


 すぐに理解できなくて、彼が口にした言葉を頭の中で反芻する。

 こいつは……何を謝っているのだ。何をしたことに謝っているのだ。何に対して謝っているのだ。何から許しを得ようと謝っているのだ!


「なぜだ! なぜあの時止めた! お前は私がどれだけ……!」

「ごめん」


 胸倉をつかんでいた手を離し、彼を突き飛ばした。彼の背中が地についた衝撃で舞い散った翔空が、空に向かって飛んでいく。


「もういい。私の目の前から消えろ。二度と私の前に現れるな」

「……うん」


 うなずいた後、身体を起こし、何かの木の実を私の膝元に置いた。


「これ……。これを、これをすりつぶして、あの女神の水と混ぜ合わせるんだ。それで小さく円を書くと、あっちの世界につながって、陽の光が取り込める。――彼に、託された」

「あいつに託された? そんなものを信用しろとでもいうのか」

「信用するしないは君しだいだ。ただ、彼の気持ちは君もわかっていただろ?」


 わかっていた。わかっていたが、私にどうしろというのだ。

 あのとき、私をどうしようもないほどに心配そうな瞳で私を見ていたから……。

 だがやはり、部外者であるこの男を連れて行くべきではなかったのだ。


「なぜ……お前はあの時止めたんだ?」


 先ほどと同じ問いを、もう一度繰り返した。

 私はこの男を恨もうとしている。なのに、自分で自分の声が弱々しくなっていることに気づいた。


「君は、誰かの死に傷つくから……」


 私は膝の上の拳を握り締め、唇を噛んだ。


「彼を殺していたら、君は壊れると思った。君に壊れてほしくなかった」


 彼の言うとおりだった。私は弱かったのだ。

 そうだ。この男がいなければ、私はあの場所へたどり着くことさえできずに、果てていただろう。

 弱さが涙になって、目から一筋あふれ出た。しかしその弱さに身をゆだねてはならない。


「そんなことは――私のことなど関係ない! 皆の願いだ。私一人くらいの――」

「君が壊れたらみんなも喜ばない」

「ふざけるな! ふざけるな!」


 こんな甘いことで私を止めたこの男に何かをぶつけてやりたかった。何かをぶつけたくて地面にあるものを握り締めた。握り締めたものは翔空だった。翔空は私に引きちぎられるような罪は無い。これを投げつけるわけにはいかない。


 投げつけてやるものが何も無かった。

 何も投げつけてやるものが無かったから、私は、自分の身体を投げつけた。


 翔空が、一斉に花を飛ばした。

 子孫を残すために、種と一緒に空を飛ぶのだ。

 飛んだ白い花が埋め尽くした空は、光り輝いてるように見えた。



    * * * *


 

 私は搭に、ダンと二人で帰った。ババ様は結果については何も言わず、ただ「おかえり」と、「無事で何よりだったよ」と、私たちを迎え入れてくれた。ババ様はこうなることを初めからわかっていたのかもしれなかった。


 長様の――父様の部屋の天井に、あの木の実で円を書いた。


 円の中が橙色に発光した後、円の中には清清しい青が広がった。

 青の中に白いやわらかそうな何かがゆっくりと流れていく。あれが雲というものだろうか。

 ずっと寝たきりのまま、目を開くことも、口を開くこともなかった父様が、涙を流しながら、「な? あたたかい……だろう?」と、自慢げな笑顔で、円の中を見つめていた。


 本当にそこに見えているものは、光の世界の光景なのか。本物かどうかなど、私にはわからない。わからないが、円の中から降り注がれてくる光は、私たちをやさしく包み込んでくれて、暖かかった。


 その日から父様は、短い間だったが、歩けるまでに回復した。

 たくさん民と戯れ、たくさんの笑顔を送ってくれ――そして、安らかに死んでいった。



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