崔宏先生(先代)「流民から身を立てて東晋を簒奪した劉裕をご存知か?」

三國時代を統一した司馬炎の晋、
短期間に河北を失って呉の国都であった建康に
遷り、史上に東晋と呼ばれることになります。

この時、琅琊王氏の王敦、王導の協力があり、
さらに、江南は孫呉の頃から豪族が力を持ち、
その結果として東晋は後漢と同じく豪族に
支えられる連合政権という形になります。

この基盤が孫呉、東晋から宋、齊、梁、陳と
つづき、350年以上つづく六朝貴族社会を
形成したわけです。

当然のように門閥主義、あたりまえに貧富の
格差が極限まで拡大された江南にあって、
寒門と呼ばれる低い身分から帝位に即く人間が
現れるとは、一体誰が予想できたでしょう。

それを成し遂げたのが本作の主人公、劉裕です。

本作では丁旿、または白髪と呼ばれる劉裕の
影が狂言回しを務め、五柳先生こと陶淵明に
昔語りをする形で劉裕が語られます。

冒頭から白髪の運命に息を呑むかも知れません。

これまでの中国歴史小説との肌触りの違いに
戸惑うと思いますが、語り口は軽妙かつ伝法、
深刻には陥りませんから慣れればサクサクと
読み進められるはずです。

進むにつれて中国史の別の表情が現れます。

まだ若い丁旿が白髪になった理由は歴史の
推移に深く根ざして劉裕の活躍とともに
本作の主旋律を奏でます。
それに副旋律となる様々な人々が相俟って
物語は江北から江南、河北へと広がります。

注目すべきは河北を跋扈して江南をも窺う
異民族たち、何も考えなければ史書に記載
される漢字で表記されますが、カタカナで
表記して読者に違和感を与えます。

識字率100%と言っても過言ではない現代では
考えにくいですが、当時の人々の大半は文盲、
韓陵という地名が同じ音の寒陵と記されるなど
日常茶飯事、音だけあって字を欠いたのです。

これは中国歴史小説の愛好者にとって賛否が
分かれるかも知れませんが、漢人と異民族が
同じ文化にあったかのごとき誤解を避けた、
自覚的な処理として評価するべきと考えます。

なお、かの崔浩先生の御尊父・崔宏も不気味な
存在感で物語に薄気味悪い色を添えております。

中国歴史小説好きは必読、と言って
よろしいのではないでしょうか。

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