澄み切った文が綴る聖と俗の鎮魂歌、鳥肌立ちますよ。

文章は巧い人が書くとスゴイなあ、と思いました。聖と俗、それに記憶と物語を古事記という主題の左右に振り、古代の世界観をあますところなく描いています。



文は書く人によりさまざま、熱くも冷たくもなりますが、本作は一貫してひんやりとした温度感と奇妙な静謐さを湛えています。

湛えるという表現が実に似つかわしい、水のように柔らかでひんやりと冷たい。しかし、ただ静かなだけではなく、沁み入るように入り込んで感情を揺さぶる勁さがあります。

以下、ネタバレはしませんが、なるべくなら読まずに本作を体験して頂きたいです、はい。



稗田阿礼が口承した物語を太安万侶が筆記してなったとされる古事記ですが、何ゆえに阿礼は昔語を口承したのか。

史書には抜群の記憶力を誇る阿礼に、故事を録した帝紀や旧辞を暗誦させたとしますが、じゃあそれまではどうやって伝えられてきたのか?という疑問があります。

本作はその疑問に極めて納得がいく答えを与えてくれますが、そこは本作のメインテーマではない、と思います。本作のテーマは聖と俗、または、記憶とそれを浄化した物語なんだろうと考えます。

記憶は生そのものであると同時に時の屍でもあり、時が経つにつれ髪膚脂肉が落ち、骨にあたる本質だけが物語や歌として伝えられるという考え方は、史学的には厳しいですが民俗的にはおそらく成り立ち得ます。生々しい記憶は語り継がれて物語となり、清められる。

語り継ぐことが弔いの形の一つであるとしても、何ら不思議はありません。

歌い踊り神を祀る猿女の真礼、双子の男児である阿礼、二人の幼年期を知る安万侶の3人が本作の主人公であり、真礼は聖、安万侶は俗、阿礼はその橋渡し役を務めます。

時の帝の天武をはじめとする人々は、たとえ歴史上に名を残した人であってもあくまで脇役に過ぎず、主役の3人はいずれも何らかの形で過去の記憶または物語に関わります。
大事なことは先人たちが清め、守り伝えてきた物語をどうやって残すか。

そのために払われる努力、努力の原動力となる哀しい想い、境界線上に立つ阿礼は本来なら俗に寄って生きるべきところ、死者を懐いて聖と俗の狭間に生きざるを得なくなります。

本作の中心には狭間に生きる阿礼があり、真礼と安万侶はそれぞれに確立された世界に暮らしながら、それでも阿礼に惹かれて弔いに関わる。記憶は純化して歌われる物語となり、失われゆく物語は書き留められ、簡牘は壮大な陵墓となる。

古来、日本人は黄泉を別世界ではなく、現世の一部と捉えていた節があります。草葉の陰の先人は、次元の違う世界ではなく村落の外側にいました。

阿礼たちが生きる世界もそれに近く、彼岸と此岸が極めて近い。

無味乾燥な記録と生々しい記憶の中に生きる我々が忘れ去ってしまった、在りし日の世界を垣間見るような心地がしました。