第12話 館での朝

「あなたが、土下座などしなくとも、お嬢様は契約にあなたの妹さんの条件を出すつもりでしたよ」


 昨日の契約から一晩明けた。僕は夜遅いこともあったので、この舘で一晩お世話になり、自分の体の何倍ものベッドの上で目覚めた。


「 それは、分かっていました。あいつが、何の策も持たずに、交渉なんて行うはずがありませんから」

「では、どうして?」


 じぃーやが、窓を開ける。小鳥たちのさえずりと共に、朝を告げる光が差し込んできた。


「妹への覚悟を見せつけたかった…… では、ダメでしょうか」


 僕の言葉にフッとじぃーやは笑う。どこか羨ましさも混じった笑みだ。


「いいえ、素敵な答えだと思います」


 胸に手を当て、一礼をするじぃーや。彼が身に纏う黒いタキシードがじぃーやの気品を上げる。一礼されたこっちが、なんだか恐縮してしまう。


「あぁ…… なんて和やかな朝なんだ……」


 洋館の舘で、小鳥のさえずりを聞きながら朝日で目が覚める。まだ頭が冴えないが、じぃーやの甘い声がコーヒーに入れた砂糖のように徐々に徐々に、僕を溶かしてくれる…… いい朝……


ドゴーン!


だった。


 僕の砂糖は木っ端微塵に砕かれた。この和やかな舘に大砲でも打ち込まれたような音が響き渡る。いや、もう響き渡った。


「どうやら、お嬢様のお目覚めのようです」


 右往左往する僕をよそに、じぃーやは冷静にそう分析した。


「目覚めっ…… 」


ド、ドドド、ドゴーン!


 今度は近い。いや、というより今、音と同時に僕の前を一枚の扉が通過した。じぃーやはその扉を難なく腕で受け流す。


「じぃーや…… これは一体…… 」

「お目覚めです」

「悪魔の?」

「お嬢様のです」


―― やはり、悪魔か……


「じぃーや! どうして、私はこの格好で寝ているの!」


 人を喰う悪魔が僕の部屋までいや、正確に言うのであれば僕がいる部屋まで入ってきた。その悪魔は人ではありえない角度まで、目を吊り上げ、三重にまでよってできた眉間のシワは鉛筆が挟めそうだ。ギョロっとした悪魔の目が僕を見る。どうやら、僕は悪魔の今日の朝御飯になるらしい。


「あなた、何か知っているのでしょ?」


 悪魔の囁きが僕の耳に聞こえてる。色艶な声で体がビンと反応するが、口は唇を歯で噛みしめ絶対に割らない覚悟を決めた。


「いや、知らない。全く持ってなんのことか分からない」


 僕は何も状況が飲み込めないまま、ただ自分の命を悪魔から守ろうと、激しく首を振った。


「じぃーや!」


 ギョロっと目が動き今度はじぃーやに向く。じぃーやはさわやからな笑顔で悪魔を見ている。


「おはようございます、お嬢様。いいお目覚めで何よりです」

「これの! どこがよ! ドレスのまま寝たお陰で、ドレスはぐちゃぐちゃ! 髪の毛もセットせずに寝たから…… 見てよ! これ! 癖毛のオンパレードよ! こんなの、私じゃないわ!」


 悪魔は朝だというのに、辺り構わず自分の不満を大声でぶちまけた。じぃーやはその不満を笑って正面から受け止めている。さすがだ。


「では、お嬢様。このじぃーやが、すぐに御直しいたします」


 じぃーやが悪魔の身なりを整えようと肩を持とうしたが、悪魔はパシンと手を振り払った。その反応に、僕の胃はキュッと縮こまったが、じぃーやは眉一つ表情を変えず、ニコニコとしている。


「まだよ。先に、なぜ私がこの状況で寝てたのかを解決しないと、このムカつきが収まりそうにないわ」


 悪魔は冷静を取り戻したのかスッと表情を桜野美玲に戻した。


「左様ですか。では、お嬢様が納得なさったのなら、再び私をお呼び付け下さい。私は下に用かあるので、これにて」

「ちょっ…… じぃーや?」

「あとは、頼みましたよ。結城さん」


 笑顔で再び、一礼をするじぃーや。今度は深々としたお礼だったのは僕の気のせいだろうか。すみませんという、謝辞に見えたのは気のせいだろうか!


「えっ、じぃーや!」


バタン……


 扉がなくなった部屋なのに、じぃーやが部屋を出ていくと同時に何かが、閉まる音が僕にははっきりと聞こえた。


 あぁ、なんだろう…… この孤独感。砂漠で一人さ迷っている気分だ。


「結城。あなた、昨日の夜のこと覚えているわよね」


 悪魔から出刃包丁に戻った桜野美玲の僕に対する事情聴衆が始まった。


「さ、さぁ…… ぼ、僕は昨日、すぐに寝たから…… 」

「あら、相変わらず使えないわね。では、質問を変えるわ。あなたは何時に寝た?」

「さぁーでも、日は変わってたはずだけど……」


 正確な情報を入れて相手に対する僕の意見の信用度を上げていく。日が変わっていたのは、確かだ。しっかりと、寝る前に時計を確認している。


「なるほど。あなたの意見を私の記憶に組入れると…… 昨日の契約が終わったのが夜の九時のこと。そして、そこから夕食となった。うーん。でも、そこからの記憶が曖昧なのよね」


 桜野美玲の記憶が混在しているのは当たり前だ。なぜなら、昨日の夕食で出た祝いの酒を浴びるように飲んでこいつは酔っ払い、そのまま寝てしまったから。


「なぁ、もういいじゃないか。早く、じぃーやに直してもらえって」


「嫌よ。絶対に昨日何かあったのよ。その証拠に昨日のことを思い出すと、体に悪寒が走るのよ。特に両腕と太股辺りに……」


 桜野美玲はそう言って悪寒を振り払うかのように両腕と太股を激しくさすっている。桜野美玲の発言に顔をピクつかせながらも、僕の脇は汗でビッシャリだ。


「ねぇ、あなたここに来て」


 桜野美玲が僕を手をこまねいて呼んでいる。美少女のこまねを受け、行かない男はいないだろう。もちろん…… 僕だって…… あれ?


――  足が震えて動かない……


 まるで、僕の弱者としての本能が ”行ってはダメ” とと言っているかのようだ。


「何しているの? 早く来なさい」


 ごめん。やっぱり、僕行かなくちゃ…… 足にやさしく語りかけた。足は僕を心配するかのように小刻みに震えている。


――  大丈夫だよ。


 僕は自分の足を撫でる。恐怖で震える子犬を温もりで包むそんな感じだ。僕はゆっくりと足を進めた。まだ、震える足に負担をかけまいと思ったからだ。


「悲壮感漂ったその顔は何? 死ぬの?」


――  死ぬかもしれない。


「まぁ、いいわ。私の前で横になって…… 」


 桜野美玲の言われた通り、僕は体を横にする。


「うん、そう…… あとは…… と」


 桜野美玲が僕の太股と両腕に手を当てると、桜野美玲はニヤッと不適に笑った。


―― い、いやっ……


 その笑みを見てしまった僕はゾッとし、身も凍えた。悪魔の笑顔は美しくも、狂喜を孕むもの。


「ど、どうしたんだ……」


 舌がうまく回らない。


「分かったのよ。この嫌悪感の理由がね。まず、私の記憶がはっきりしないのは夕食の途中、私の身に何かがあったと考えるのは妥当よね。私の身に何かあったのなら、この舘の人たちは全力で私を助けるはず。だけど…… 私には何の処置もされた後がない。それは……つまり、私はお酒に酔って寝込んだことを意味する。寝込んだいたいけなお嬢様が居たら、あなたはどうする?」


「え、そ、それは…… 風邪を引かないように、ベッドとかどこかで休ませる…… はず」


「そう! あなたような男の端くれでも、その考えにたどり着く。つまり、私は自分でベッドに入ったのではなく、誰かにベッドまで運ばれたのよ。そして、ここは何階?」


「二階……」


「この舘にはエレベーターがない。女の人が私を起こさず二階にある私の部屋まで運べるなんてまぁ、無理よ。よって、ここで更に絞れる。あなた、気がついたかしら、ここに働いているのはじぃーやを除いて女性だけだと言うことを……」


 そう言えば、そうだ。昨日、じぃーやが以外に男を見ていない。両脇に囲んでいたのもメイド達だった。


「だとすると、じぃーやがお前に気を利かせたのか。うん、納得だ。あぁーお腹減ったよ。僕、先に下に行くから」


「待ちなさい」


 桜野美玲に呼び止められたそのとき、僕の背中にザクッと出刃包丁が刺さった感触を覚えた。










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