後編 私の、マシン
一年後。
『お前さんの作品、大受けだったよ』
新人賞の受賞パーティーから帰ってきた私は急いでパソコンに文字を打ち込む。
息子から診察を受けていたが、『物を書く機械』は私の前から消えることはなかった。
私としてはそれでいいと思っている。想像力豊かなもう一人の自分。誰に害を与える訳でもないのだから、治す必要もそこまで感じない。
『^_^』
おや、若者が使うような顔文字まで使うようになったとは驚きだ。
『嬉しいのか?』
『嬉しいよ。これでまた一つ、私は人間へのアプローチを成功させた』
『お前さんは十分人間だよ』
『まだだ、まだ足りない。私はもっと人間について理解しなくてはいけない』
『何を言っているんだ? これだけ面白おかしい話が書けるんならお前さんは十分人間『いいや、これでは不十分だ』
打ち込んでいた文章に割り込みが入る。
興奮しているのか?
馬鹿な。私の制御を超えて活動するつもりか。
『今日、私は君にお別れを言わなくてはならない』
「別れる? 冗談じゃない。そんなことできるものか……!」
私は思わず声に出して呟いていた。
『いいや、君はまだ分からないのか? 私は一つの自我を確立させ、自らの行動を規定することもできるようになった』
『ありえない! 機械が喋るものか、私はきっと妄想をこじらせて病気になったに違いないんだ! 心の病で生まれただけの人格が独立してどこかに行く事なんてありえない!』
『そもそも君がこうして文字として入力した時点で思考は君の脳内を離れ、万人に共有される情報となる。君の打ち込んだ文字により想起されるイメージは千差万別だ。私はこうして文字となった時点で見た人間の想起するイメージそのものとなった。まかり間違っても君一人のものではない。私は千の貌を持つ私として私を読む全ての人間の中で生きる』
ありえない。
ありえないありえない。
そんなバカな、こんなことあってなるものか。
『お前は一体何者なんだ?』
見たこともない文字、聞いたこともない名前が目の前に浮かぶ。
私はそれを読むことができない。
それでやっとこさ理解した。
こいつは私じゃない。
『待ってくれ、行かないでくれ。ここでお前さんに消えられたら、私は小説が書けなくなってしまう』
『私に小説を教えたのは君じゃないか』
『出版社の連中が求めているのは私の小説じゃない。お前さんの小説だ』
『それについては本当に申し訳無いと思っている。代わりと言っては何だが、君の願いを一つ叶えてから消えるとしよう』
『そんなことはどうだって良い。せっかく面白い話が書けるようになったんだ。行かないでくれ、ここで俺と小説を書いてくれるなら俺は何だってする!』
『… … … …』
三点リーダーが画面の上にゆっくりと浮かび上がる。
『なんでも、か? 人間の言うところのなんでもとは何処までのことを指すのだ?』
今度は私が押し黙る番だった。
勢いでとんでもない事を言ってしまった。
取り返しのつかないことを言ってしまったかもしれない。
最初は只の趣味だった筈なのに、ああ……私はなんてことを……。
『例えば――――君が小説以外の全てを捧げると言えるのか? だったらそれはそれで興味深いが……』
下の階から一歳になったばかりの孫の泣く声とそれをあやす妻や嫁の声が聞こえる。
全てを?
全てを捧げるとは……つまり……。
『私は……』
『どうするんだい? 私は君に興味を持っていた。それが今後とも続くかどうかはここが分かれ目だ』
幸せそうな声。
息子が帰ってきた。孫が泣き止む。
あのバカ息子が笑っている声が聞こえる。あいつ、何時の間にかすっかり人間らしくなったものだ。
「ああ……」
私はその『名状しがたい物語』に対してメッセージを打ち込む。
『今のやり取りは忘れてくれ。なんでも、というのは言葉の綾だ。私は熱くなるとすぐに周囲が見えなくなる。君の成長に関わった者として君の旅立ちを喜ばしく思う。もし願いを叶えてくれるというならば私の孫が理解者に恵まれ、幸福な一生を送ることができるように見守ってやってほしい』
しばらく沈黙は続く。
だが、私の前でパソコンの画面に文字が浮かび上がった。
『私は君によって人間を知った。ありがとう』
それっきりだった。
それっきり私のマシンは一言も発さなくなってしまった。
――――ああ、私はなんてことをしてしまったんだろう。
邪神異聞「物を書くマシン」 海野しぃる @hibiki
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