終章としてのプロローグ――theta

――八月二十五日、木曜日。

 胸の中の爆弾がカウントダウンを続けている。まさかここで、あの時の女の子に会える――というか、見かけるなんて。そりゃ最寄り駅で見かけたんだから、同じ街に住んでいる可能性はあるわけだけど、こんなに早く再会できるなんて夢にも思わなかったんだ。

 買い物帰りなんだろうか、ブティックの紙バッグ? を持っている。俺にはまったくわからないロゴマーク。俺の知らない世界を知っているんだなあ、と変に感心してしまう。

 それにしても、見かけた女の子の後をつけて歩いてるなんて、まるっきり俺はストーカーじゃないか。そう考えたら、なおさら胸の中の爆弾が激しく動き出した。

 胸が爆発する前に思い切って声をかけなきゃと、距離を縮めて、意を決して声をかけた。

「あの、ちょっといい?」

 うわ声かけちゃった。ナンパ? これってナンパ? 人生初の声かけ体験だよ。

 どんな返事が返ってくるだろうと頭の中でシミュレーションしていたけれど、実際の返事は、俺の想像なんかはるかにすっ飛ばすインパクトだった。

「……えーッ? 翔也じゃない!」

 嘘? え、なんで? なんでこの子、俺のこと知ってるの? 会ったことあったっけ? それともあの時、俺がホームまでついていったことを気付かれてた?

 数秒くらいは、そんな感じで焦った。頭の中がグルグル回転して、記憶の中からこの子の情報を引き出そうとした。そして、声がひっかかった。

 驚いて、また数秒は黙ったままになってしまった。

「……ひ、久し振り」

 がんばってひねり出せたのは、ようやくそれだけだった。

「久し振りだねー。え、どうしたの? すっごい偶然」

 きらきらと笑うその子は、中学の同級生である咲良だった。まさか、まさかそんな。だって髪型も服装も全然違ってて、気付かなかった。えーっ。

「いやあの、偶然、姿を見かけたからさ。そのう、懐かしくって、声をかけちまった。迷惑?」

「ううん全然。それどころか嬉しいよ、忘れないで声かけてくれたなんて。そんなタイプじゃないと思ってたから、びっくりしちゃったけど」

「ど、どう思われてたのかな俺って」

「……えー? それ訊く? それあたしに訊くのー?」

 やべ、なんか一瞬、不機嫌そうになったぞ。それはマズい。

「いやいや、そんなことよりさ、えと、せっかく会ったんだし、ちょっとだけ喋ってかない?」

 単刀直入過ぎだったかな?

 彼女――咲良はちょっと考えた風だった。ダメだったかな、嫌がられたかなと思ったけど、

「ま、いいよー。あとは帰るだけだしね」

 ということで俺たちは、中学校の帰り道によく何人もで集まった公園に、足を伸ばしてみることになった。お互いの新生活、高校のことなんかを話しながら。その中で、咲良が髪を切ったのはまだ卒業前だったとわかって、俺は真っ青になりそうだった。そんなの記憶になかった。あれ? でもそういえば、入試本番くらいから、女子とは一緒にいなかったような気がするな……

「わー、なっつかしい、この公園。卒業してまだ半年も経ってないのにね」

「そうだな……三月に卒業して、よんごぉろくしちはち、五カ月か」

「でもやっぱり早いね、もう五カ月なんだ。今はもう通学路も違うから、この公園も中学以来。ねえ、最後にみんなで来たのって、いつだっけ? 今年だった?」

「あー……いや、去年だった気がする。クリスマス前じゃね?」

「そっかー、じゃあこのベンチに座るのは、八カ月ぶりってことなんだ」

 そういえば、いつも咲良はそこのベンチに真っ先に腰掛けたっけ。俺は、他の男子勢と一緒に、公園を駆けずり回ったりしてたわ。

 それはそうと、通学の話題が出たんだから、聞いてみたかったことを……

「そ、そういえば、さ……」

「ん、なに?」

「先週だったかな、制服着て、駅へ入っていかなかった? 昼前くらいに」

「あー? ああ、そんなことあった。たぶん、バド部の応援に行った時だよ」

「ああバドミントン、高校でもやってるんだ?」

「違う違う、もうやんない」と言った時にだけ、咲良がなぜだか俺を責める目つきだったような。「一年の頃の先輩が一人、学校にいてさ。その人がバド部。そんで、よそと練習試合やるから応援に来いって言われちゃってさ」

「へえ、そういうことか……」

 あ、納得しちゃった。話を続けなきゃ……

「じゃ、通学は電車なんだ」

 いけね、わかりきったことを訊いてしまった。

「そうだよ。翔也もでしょ? あ、それとも自転車? 行ける距離だよね?」

「いやさすがに電車。……そうかー、じゃあ、同じ駅使ってるわけだよな」

「そりゃー、もちろん。駅なんてあそこしかないでしょ?」

「いやまぁ、そうなんだけど……」

 ああああ上手く話が続かない。俺ってコミュニケーション能力ってないのかな?

 ともかく、話が逸れないようにまた通学とか電車の話題……

 そうだ。

「バド部の応援に行ったって時さ、そのう……誰かと一緒にいなかった?」

「……」

「え、あれ」

 咲良はちょっと黙ってしまった。出しちゃマズい話だった?

「……うん、いたよ」

「あ、やっぱり」

 よし、このまま話題を繋いでいかなきゃ。

「翔也知らない? 三年の時、A組だった美月。二年の時はあたしと一緒のクラスだったんだけど」

「え、そうだったんだ。全然知らなかったわ」

「あたしたち、同じ女子高だからさ。その時は美月に付き合ってもらったの」

「ふぅーん。……か、可愛らしい子だったな」

 うわ、今のは俺でもわかるけどマズった。話を繋げるつもりが選択肢間違えた。他の子を可愛らしいとか、さすがにここで言っちゃいけないだろ、俺。馬鹿だな、俺。

 その時、俺が一目惚れしたのは、……いや、一目惚れってこの場合正しいのか? 相手は前から顔見知りっていうか、友達っていうか……

 幸いというかなんというか、咲良は聞いてなかったのか荷物をガサガサやっている。スマホを取り出して時間を見たみたいだ。よかった。

 もう自分の話術にまったく信頼がおけなくなったから、本当に単刀直入するしかない。

「なあ、あのさ……」

「ん、なに?」

「そんじゃあさ、朝って早いの? 何時頃に電車乗ってる?」

「そうねえ、もちろん中学よりは断然早起きになったよ。すンごいつらいの。学校が近いアンタにはわからないでしょーけど」

「いや俺だって、多少は早くなったよ……」

「でもあんたの進んだ高校、たった二駅じゃない。 短くて楽でいいなー」

「よく知ってんな。まあ実際、中学の時に思ってたよりは楽だよ。……そっちは?」

「駅の数だと……いくつだったっけ。ともかく二十分かかるよ」

「え、そんなに? じゃあ何分の電車に乗るわけ?」

「いつも七時三十分に待ち合わせて、四十分の電車に乗ってる。翔也は学校が駅からも近いから、もっとずーっと遅い時間でしょ」

「あ、まあ、そうなんだけど」

 いよっし。ひとまず、聞きたかったこと一つわかった。いいぞ、俺。

 あ、でも……これって、相手が誰だったかもわからない時に、知りたいなと思ったことだから、今わかってもあんまり意味ない? もしかして。

「待ち合わせっていうのは、さっき言った美月となんだけど……」

 咲良が話を続けていく。美月。あの時一緒にいた女の子の名前か。そういや、あの子も可愛らしい感じではあったんだよな。さっき思わず口走ったのは本当にそう思ったことだ。もしあの子の姿だけを見かけていたら、俺も見惚れちゃったかもしれない。

「あの子とはねぇ、二年の時に一緒のクラスになってからの付き合いなんだけど……」

 でも違う。

 俺が、一発で好きになってしまったのは……咲良だったんだ。

 ああ、俺の馬鹿。もし、卒業前に、咲良が髪を切った後に、ちゃんと咲良と話していたら……でも自分でもわかってなかったんだ、こんなに、髪型を変えた咲良が綺麗だなんて。俺って超ショートカットが好きだったのかな。そうなんだろうな、たぶん。

 そんな考え事をちょっとの間しただけなのに、なんとなく、会話が途切れてしまった。

「今日も暑いね」

「……そうだな」

 とか、よくわからん会話しか絞り出せなくなってしまった。

 気持ちが焦って、なにかとんでもないことを口走りそうな気がした。ここでいきなり、好きになったんだとか。そんな、いきなりだろ? 物事には順序があるだろ? 雰囲気だって大事だろ?

 焦るな、俺。相手が咲良だってわかったんだ、確か、以前アドレス交換したはずだから、スマホで連絡することだって出来るじゃないか。

 そうだよそうすれば、考えてたみたいに、相手の通学時間がわかったら時間帯を合わせて朝の駅で顔を合わせるようにしてきっかけを掴む……なんてまどろっこしいことしなくていいわけだよ。

 そう考えたら、なんだか急に気が楽になってきたぞ。

 うん、先はきっと長い。ここで焦ってもしょうがないな。今日はこんなところにしておこう。ボロが出る前に退散して、次の機会のために予習が必要だ、俺には。女の子と話が出来る話題集めとか、そういうの。

「よーし、それじゃあさ」

「うん!」

「うえっ?」

 予想外に大きな相槌に、俺がびっくりしてしまった。

「あ、ごめん。なに? 翔也」

「ああいや、長いこと時間使わせちゃって悪かったな、咲良」

「え……あ、うん。別にいいよそんなの。もうやることなかったんだし」

「久し振りに会えて嬉しかったよ。ありがとな」

「うん、……もう帰っちゃう?」

「あんまり長く、『女の子』を寄り道させるのも、よくないだろ?」

 あ、今のは割と良くなかったか? 優しい男に見えたかな。

「……今更だよ」

「え、あ、ごめん」

 ヤバい! 手遅れだったらしい。ダメか。じゃあここは一端、早く別れておかないとな。

「ともかくさ、今日はありがと」

「……ん。こちらこそ、ありがと。久し振りで会えてよかったよ」

 そういうことで、俺たちは一緒に公園を出た。お互いの家はここからもう別方向だ。

「気を付けてね、翔也。車にひかれたりしないよーに」

「はは、そんなん。おまえこそ気を付けろよ」

「……あたしが、さ」

「ん?」

「もし、あたしが車にひかれたら、翔也だったら助けてくれる?」

「なんだよ、変なこと……そりゃもちろん、助けるさ」

「……あは、ありがと。いいヤツになったね」

 え。もしかして俺の印象、中学時代は良くなかったのかな。反省しよ。

「なんだよ、俺は助けるよ? そうだな、事故ったら気ぃ失うから、そうならないように、ずーっと名前を呼んでやるよ。咲良咲良咲良ーって。大声で」

「あっはは! なにそれ、よしてよ」

「え、じゃあやらない」

「ぷっ、アンタ、やっぱ翔也だね。らしくなってきたよ」

「え、あ、そう? ははは、そりゃよかった」

「……じゃ、それじゃね、翔也」

「ああ、じゃ、また」

「また?」

「うん、また」

「……そうだね。もしまた、あたしを見かけたら声かけてよ」

「もちろん、そうするよ」

「きっとよ、忘れんなよ」

 最後に手を振り合って、俺たちは別々の道に分かれた。――んだけど、俺は咲良の歩き去る姿を、曲がり角の塀の陰から、こっそりと見ていた。

 なんだか知らんけど、紙袋をぶんぶん振り回してる。おっかしーな、嫌がられたのかな。反省だ。きっと次は上手くやるから、今日は許してくれな、咲良。

 そうだ、スマホ。

 メッセージを送って、機嫌を直してもらおう。今日はどうもありがとうとか、楽しかったよとか、そういうことを書いて……

 咲良のアドレスに宛てて送信スイッチを押した直後、返信にしては早すぎる着信バイブレーション。なんだろうと思うと、エラーメッセージだった。

 届いてないじゃん! まさか、高校に入って電話番号変えた? じゃあメールアドレスは?

 同じだった。

 うわ、どうしよう。参った。アドレスも変わってるんだ。え、まさか着拒? 拒否されてたりしないよな? まさか?

 ……最初に考えていたように、駅で会ってまたアドレスを教えてもらうしかないのか……でもなあ、時間帯があんなに違うなんて。それで出会ったら、こっちの下心が見えちゃうかな。それで嫌われるのも、避けたいな……

 いきなり会うんじゃなくて、偶然っぽくならないかな……ならないよな……。

 じゃあこうしよう。朝、咲良の登校時間に合わせて駅に行くけど、最初は会わない。ホームとホームで顔を合わせるだけにする。それを続けて、お互いになんか馴染んできたら、偶然っぽく改札とかで鉢合わせするんだ。俺は、そうだな。二学期から委員会活動が始まって早めに登校しなきゃならなくなったんだ時間同じになっちゃったな偶然だねとか……

 ああ、上手くいくかなそんなことで。不安になってきた。

 片想いって、つらいもんなんだな。

 こんなことなら――

 どうしてあの頃、『好き』がわからなかったんだろうなぁ――。

 

 

 

 

―了―










※)作中のマンガ引用の原典は、講談社刊『少女ファイト』(日本橋ヨヲコ)第九巻二十八ページ、『自分が着たい服と似合う服が違うってのは わかってるけど 一度くらい好きな服を着て認めてもらいたいじゃない?』です。

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∠Cを片想いとする直角三角形におけるθの悲劇 久保田弥代 @plummet_846

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