息をつかせぬエンタメ。書店で売っていないことに憤りすら覚える。

ここ数年で読んだ小説の中で一番面白かった。よく新人作家の作品を手に取って見るのだが、これほど夢中になれるものはめったにお目にかかれない。最後に日常生活に支障が出るくらい小説に面白さを感じたのはいつだろう。
社会派でありながらも痛快さを損なわない作劇の腕前が化け物じみている。画面を閉じてとんでもないものを読んでしまったと息を吐く。夢中になったせいで電車は乗り過ごすし牛乳は買い忘れるし大変だった。

教師の見ていないところで起きるいじめ、裏通りで行われる暴力、自分よりも弱い者から容赦なく奪うやつら。そんな連中に対して一切妥協せず罰を与える無敵のヒーローは崇高であり、己に課した厳しい倫理には姿勢を正したくなる。奪うこと、奪われること、これは下村智恵理の作品にある一貫したテーマだ。

作者は作中の悪にリアリティを与えるために、さぞかし多くの悪について学んだことだろう。いくつかは実際に目の当たりにしてきたのかもしれない。それでもなお人間性に絶望せず、善なるものを追う作者の姿は、ヒーローである憂井道哉と重なって見える。きっと作者は人間というものが好き、少なくとも強い関心がある。

硬派なくせに、浮ついた思春期の恋愛模様の描写だってうまい。高嶺の花のヒロイン片瀬怜奈が、どうすればこんなにかわいらしく書けるのか。青春小説、美少女ゲーム、漫画、その他いろいろの猛烈なインプットから生まれたに違いない。ヒロインのピンチは本当に読んでいて早く助けが来ないかともどかしかった。
実際、作者の勉強の幅の広さは人物描写に限らない。バイク、建築、ハッキング、化学、国際情勢と、確かな知識が物語を強固に支えている。

日本と朝鮮半島の関係、震災と放射能というエンターテインメントとしてはまことに扱いにくい素材を扱ったにもかかわらず、娯楽大作に仕立て上げるこの腕前。アクションシーンも(特に第六話で非常に)長いのに全くだれない。むしろもっと読ませてくれと求めてしまう。

そしてなによりも、ラストが素晴らしい。
序盤の復讐に伴う爽快感を失った、暗く灰色のエピローグは、多くの失ったものとそれでも奪われなかったものの対比が心にぐっと来る。この物語には安易なハッピーエンドにならない必然性がある。この悲しさは「指輪物語」のラスト、灰色港のシーンにも似ている。この悲哀のあるラストのおかげで、所々挟まれていた青春の気の置けない者同士の会話や、浮世離れしたヒロインが心を許した瞬間が、再読時にはすべて懐かしく失われたものへと印象を変えてしまう。喪失感がすさまじく、ラストシーンを何度も読んでしまった。
青春は終わった、でも、すべてが失われたわけではない。

私はこれが商業作品でないことに怒りさえ覚える。「商業ではなかなかできないこと」がコンセプトとはいえ、これが広く読まれないことは、はっきり言って日本のエンタメにとっての損失であり、読者にとっての損失である。
憂井道哉、一生記憶に残るヒーローだった。

なお、時系列的には前の「東京グレイハッカーズ」を先に読むのがおすすめ。物語の発火点だからだ。

その他のおすすめレビュー

宇部詠一さんの他のおすすめレビュー6