ブギーマン:ザ・フェイスレス
下村智恵理
第1話 顔のない男
episode 1 "THE FACELESS"
①
冷たい雨が降っていた。
街の外れの斎場に居並ぶ、制服姿の男子女子。誰一人として泣いていなかった。弔われるのは、彼らと同じ制服を着ていた少年だというのに。
野崎悠介。
死んだ少年の名だ。彼は数日前、自宅最寄り駅を通過する電車に飛び込んで、その十六年の生涯を閉じた。
電車が遅延したって、迷惑な死に方だよね、遺族に全部請求が行くって知ってる――?
学校で言われて参列した生徒たちの言葉は無責任で、身勝手だった。彼らにとって、野崎悠介は友人でも何でもないのだから、当たり前かもしれない。ただ、休み時間のたびに遊びや格闘技の練習と称して一部の生徒に殴られている、弱い同級生であるというだけだった。
いじめられていたことは誰もが知っていた。でも、いじめられていたから自殺したのかは、誰にもわからない。
そもそも、野崎悠介のことを気にかけている生徒など誰もいなかった。自分たちとは違う、弱い側の人間だから――弱い側になるのはごめんだから、野崎悠介とは関わらない。そんな空気が、彼の教室には充満していたのだろう。
雨が止む気配も見えない空を窓越しにぼんやりと見上げながら、憂井道哉はため息をついた。
小学校から中学校まで、道哉は悠介と同級生だった。いわゆる、幼馴染。だが高校に入ると、少しずつ疎遠になった。ただ家が近い、クラスが同じというだけ以外の人間関係の作り方を覚えるにつれ、道哉にとって、悠介という存在のプライオリティは下がっていった。
趣味や性格があまり似ていないことに、気づいてしまったこともあった。
道哉は、古流武術の師範代である従兄と親しかったこともあり、あまり娯楽に触れずに育った。テレビのバラエティもほとんど見ない。アニメやドラマもわからない。週刊の少年漫画誌を回し読むこともなく、死んだ父親の書庫にある本を時々気まぐれに手に取るくらいだった。
悠介は正反対だった。どんなものにも詳しかった。まるで、詳しくなることに魂を捧げているかのような態度に、道哉は驚きと、少しの尊敬を覚えたものだった。どんなものでも繋がっているのだと、彼はよく言っていた。ある一つの娯楽作品があれば、その類似作や、源流となった作品が山ほどある。現代に至るまでの流れを遡るのが楽しい、遡らずにはいられないんだよ、という悪戯っぽい笑みが、忘れられなかった。
眩しく、そして羨ましかった。彼の中には確実に、自分の中にはないものがあるのだと思った。
だが、いつの頃からか、その眩しさを疎ましく思い、羨ましさは無関心へと姿を変えていった。彼が夢中になってるものは、結局のところ自分にとっても、世間にとってもどうでもいいのだと、ある時気づいてしまったのだ。
肩を叩かれ、目線を室内へ戻す。
若い、男性教諭だった。名前は確か、有沢修人。サッカーのような名前で実際にサッカー部の顧問だから、つい覚えてしまっていた。担当は国語だ。
「憂井。来てくれたんだな、1組なのに」
「有沢先生」彼の顔はやつれていた。悲しんでいるのか、責任を追求されることが怖いのか。負わなくてもいいものを不運にも負わされたことに、憤ればいいのか嘆けばいいのかもわからないような表情だった。「小中の同級生なんです。だから」
「そうか。ありがとうな。野崎もきっと喜ぶよ」
先生、と他の生徒が呼ぶ声に応じ、彼は「遅くなる前に帰れよ」とだけ言い残す。
彼の姿を目で追う。すぐに、女子生徒数名に囲まれていた。若く、清潔感があり、細身の体型で、生徒とも気安く打ち解けサッカー部の顧問を務めるような教諭だから、女子生徒に人気があるのだ。
耳元で声がした。
「不愉快なのよ」
「……片瀬」
「スカートも短いまんま。悼む気なんか、ないのよ。言われたから、来てるだけ」
片瀬怜奈。彼女もまた、道哉とは小中の同級生だった。
周りがみな制服の中、大人びたブラック・フォーマル。それは彼女なりの、同級生を悼む気持ちの現れなのか。そう思うと、制服で来ていることが急に気恥ずかしくなった。
いつもどこか憂鬱そうな、切れ長の目。人と違うところに立って、違うものを見ているかのような態度や物言いのせいか、中学の時からずっと、周りから浮いたようなところがある女の子だった。あるいは、ずば抜けて綺麗なせいか。小学生の頃から知っている相手だというのに、面と向かって話すと緊張する。
「片瀬は、悠介と話すこととか、あったの?」
「ない」
「即答かよ。小中同じだろ、俺ら」
「あんただって、野崎とほとんど話してなかったでしょ。あたしとも」
「そっちは、クラスも同じだったじゃん。2組だろ」
「グループ違うし」
「でも……」
「ねえ憂井。あんた、何なの?」怜奈は、うなじのところで髪を留めていたバレッタを外した。「あたしを、責めてるの?」
睨むような目線。下ろされた長い黒髪さえも、苛立っているように見えた。
「そんなつもりはない」
「そう聞こえた」
相変わらずの鋭い視線に、顔を背けて応じる。「お前には、後ろめたい気持ちとか、ないのか。後悔とか、ないのか」
「何かできたかもしれない。でも、何もできなかった。だったら、忘れるしかないでしょ」
「俺は、お前のようには割り切れないよ」
「だからわざわざここへ来たの? クラスも違うのに。そういうの……」
「不愉快?」
怜奈は虚を衝かれたように目を瞬かせた。「そうじゃなくて」
「じゃあ、何だよ」
「別に。ただ……」彼女は、長い黒髪を払って言った。「何もしなかったことを、あんたが気に病まなくてもいいんじゃない?」
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