反董卓連合の発足の話です。
地図見ないで三国志読んでた頃はわかりませんでしたが、張超って広陵なんて遠方に赴任してるんですよね。兄と隣接して配置されてたわけではなく。こんな辺境から董卓征伐を進言した臧洪はかなり頭おかしいです。
なぜ曹操が故郷の譙で曹嵩の財力で起兵しなかったか、なんで己吾なんて場所だったのかは本編に書いた通りです。武帝記は曹操が衞茲の部下である事を体裁悪いので糊塗している、というのが私の解釈になります。
丁斐に関し日中のWikiで永漢元年の旗上げから曹操配下みたいに書いているのですが、これどこに根拠となる文があるのかな?と疑問ですが、この話ではそれを採用しています。
関東諸侯の蜂起は発起五名+臧洪で結盟していますが、この場に居合わせたのにハブられた曹操は私の中ではめちゃくちゃ悔しがっています。そして臧洪はがっかりしています。でないとその後の曹操の悪戦苦闘はないし、臧洪が関東諸侯を捨て袁紹の元へ行ったのも理解できないと思うのです。
なお孫堅の洛陽進撃は関東諸侯蜂起とは独立した動きと考えています。
あと結盟の儀式ですが、牛の耳を切って皿に血を受けてすする、という解説はありますが、血を取るのは耳の側なのか頭の側なのか、生きている牛なのか死んでいるのか、牛が暴れ出したりしないのか、死んだ牛は饗宴につかうのかなどいろんな事がわかりませんでいた。なのででっちあげです。