何皇后を中心とした物語です。
霊帝死後、長男劉弁を皇太子にしたい何皇后と手元の劉協を推す董太后とは
対立していました。しかし、この対立はもっと前からのものかもしれない、と思います。
霊帝は子供が夭折しつづけた、という話があります。
何皇后は劉協を産んだ王美人を殺したりしましたが、自身も劉弁を道士に
預けていたので、息子を殺される事を警戒していたのではないでしょうか。
なので問題は劉弁出産以前からあったのだ、というお話にしました。
後漢書を読む限り、王美人は「美人豊姿色、聡敏有才明」とかあるのに
何皇后には身長が高い、甚だ寵愛を受けていた、としかないので、
美人ではないけど寵愛されたという話にしました。
董太后は後漢書では董皇后であって皇太后を名乗っていないのですが、
三国志では永楽太后なのでこの話では董太后としました。
なお漢代の後宮がどうなっていたか、なんてのはよく判りませんので、三田村泰助の「宦官」読みながらのでっちあげです。