韓遂の乱を中心に。
蓋勳は護羌校尉の夏育を救援に行って負ける話があるのですが、夏育はその六年前に
大敗して庶民に落されていますし護羌だった記録も他にありません。地名の蓄官とか狐槃とかも他に出て来ない謎の地名ですし。このエピソードは採用しないことにしました。
陶謙は三国志の注にある呉書では征西将軍皇甫嵩の部下として羌を討って、その後辺章韓遂の乱で張温に従った様にありますが、征西将軍皇甫嵩は董卓死後なので、順番がおかしいですね。
董卓誅殺を孫堅が進言する話ですが、私の中の孫堅は耳打ちで済ます人物ではないので正面から言い放っています。
辺章韓遂の乱で、皇甫嵩の後任として張溫が出張ったのは後漢書では中平二年、三国志では中平三年の事になっています。ここでは後漢書霊帝紀の方が詳しく見えるので中平二年にしました。
次は黒山賊、その次は張純の乱かな、と考えています。