王甫と曹節は陽球を宦官の犬と考えていました。この話は、そこから逆算した陽球による陰謀の物語です。
蔡邕は河平長になっているのですが、水経注が言うように河平が博平のことであれば平原国なので済陰太守劉郃の範囲に被らないのでちょっと困りました。
ここ以降、霊帝が崩御するまで士大夫側の表立った反撃はありません。ここからが十常侍の時代、ということになります。
程璜はそこに入っていないので、この件で失脚するか殺されたんでしょうね。
蔡邕が最後に書いたのは黄絹幼布の謎かけ。曹操と楊修がこの謎を解く世説新語のエピソードは「魏武(曹操)が楊修を連れて曹娥碑を通った時」で始まります。曹娥碑は呉の会稽にありますので、曹操がそこを歩く事はありえません。そこで演義では蔡文姫が写しを持っていて、と改変されています。しかし「歩いていて見付けて、謎を解明するのに掛かった距離が違った」という美しさが消えています。なので私がこのエピソードを採ることはありません。蔡邕が書いた所で終了なのです。