主に洛陽での曹操の物語です。
蒼天の第一話あたりにようやく追いついた感じです。
橋玄は「若くして(玄少為県功曹)功曹となって」とあるのですが梁冀が大将軍になったのは141年。洛陽左尉になったのも梁不疑が河南尹になった時なのでその辺。周景は梁冀に辟された人なのでやはりその辺。141年だとしても109年生まれの橋玄が32才の時。若くはないですね。「若くして」は間違いなのか、功曹を10年以上やってから名を為したのか?ここでは「若くして」を間違いにしています。
孝廉で郎中になった人を一斉に集める日があるのかどうか確証はもてませんが、上計から郎中になった人もあわせ年200人以上郎になっているはずなので、まとめて招集する日があってもいいと思っています。
曹操が許劭にいつどこで会ったのも謎です。許劭は辟を避けているので汝南から出ていない可能性があるわけですから、曹操はわざわざ会いに行くしかなさそう。ここでの許劭は許靖に張り合って洛陽に居を移す、という設定にしています。
荀靖荀爽などのいい加減定評のある老人を除外すると汝南人士以外で許劭の評価を得た人は曹操しかいないんですよね。月旦は曹操の評価をしたからこそのメジャー化で実は汝南ローカルの可能性も。まぁ曹操にとって袁紹は許劭経由の人脈なんでしょうけど。