李膺が長楽少府という宦官のボスになったり、霊帝の阿母が皇太后と仲がいいってのは面白い史実なので生かしてみました。
後漢書百官志四で長楽少府は「職吏皆宦者」とあるから部下は宦官だけど自分が宦官である必要はないようです。。郭(王黄)とか李膺とか桓郁とか朱(イ長)とか絶対宦官じゃない人が就いています。
陳蕃が突入した承名門は魏の建始殿の門で、洛陽に同名の門があったのか不明です。おそらく范曄は内裏への門のつもりで承名門の名を使っていると思います。陳蕃は霊帝の居る位置に突入した事にしたいので、ここでは徳陽殿の門としています。
「三族」の範囲は諸説ありますがこの話ではシンプルに親子兄弟としています。