『月夜彦』堀川 アサコ∥著(講談社)2011/10
ひょ~~。面白かったです!
藤原道長時代を思わせる都と近江が舞台のダークファンタジー。ホラーって表してる人もちらほら、だけど怖がりの私でも読めました。や、怖かったですけどね。結局のところ、怖さが面白さを凌駕してれば読めちゃえるのです。
史実や古典を連想させる背景や人物が幾重にも織り重ねられているところがマニアにはたまらないのでは。
どっちに転がっていくのかわからない展開にどきどきしつつも、綺麗に円環を描いてくれそうな予感があって、読者によって評価がわかれるだろうラストでしょうが私は満足でした。
なにより人物造詣がすごいです。誰にもどこにも共感できないのだけど、ほろっときちゃう。
それになんといっても冒頭! 開始早々に荒事が起こるのですが、テンポのいい描写の合間合間に主人公のバックボーンが垣間見えるっていう。導入がうますぎる。真似したいものですが、真似できるなら苦労はないですよね。
『戦う姫、働く少女』POSSE叢書003 河野 真太郎∥著(堀之内出版)2017/07
『女の子の謎を解く』で参考文献に取りあげられていたので読んでみたのですけど、『女の子の謎を解く』が本書をかなり下敷きにしていて、かつ内容をわかりやすくまとめてくれているっていうのがわかりました。
著者いわく「共通文化(コモン・カルチャー)」を取りあげながらなので、目次を眺めた時点ではとっつき易そうだったのですけど、内容は私には難しすぎました。社会学用語がたくさんで。でも頑張って読破しました。
まず取り上げられていたのはアナ雪。
「従来のディズニー映画の自己否定の完成形」とも見える『アナと雪の女王』。アナとエルザの対立と和解は、負け組ポストフェミニストと勝ち組ポストフェミニストの対立図式にも見える。
勝ち組ポストフェミニストは「ガラスの天井を打ち破るグローバル・エリートとまではいかなくても専門職の中産階級の女性」、負け組ポストフェミニストは「低賃金労働に従事しながらもそこにやりがいを、みずからの解放の可能性を見いだすことで、搾取の事実を忘却・隠蔽する女性たち」。そしてどちらも、「資本主義的な蓄積のための原動力となっている」。
ううん、難しい。ジェンダー以上に、そもそも労働とは……って迷子になるんですど。
「一般的な結論から述べておくと、文化と労働の分離は、まさにわたしたちの現在――新自由主義とグローバリゼーションの現在――の本質的な特徴なのである。文化と労働のそれぞれの意味が限定され、分離することこそが、わたしたちの生きる現在性の中心問題なのだ。/この点を、ジェンダーとフェミニズムの政治という観点から問題にしてきたのが、政治哲学者のナンシー・フレイザーである。フレイザーは一九九七年刊の『中断された正義――「ポスト社会主義」状況をめぐる批判的考察』において、「承認と再分配のジレンマ」が現代のフェミニズム政治の重要問題となっていることを指摘し、論争を巻き起こした。」(p49)
今っていわゆる賃金労働とは別に、いろんな労働が論じられてるじゃないですか。感情労働とかケア労働とかコミュニティ生産とか。女性はそのすべてを搾取されやすいっていうのはなるほどで。
ポストフェミニズムはポストフォーディズムと親和性が高い。
そんなポストフェミニズム的テクストとして『魔女の宅急便』のキキの労働に注目しています。
「まず大前提として、キキという十四歳の少女の成長物語が、職業を得て労働をする物語と等号で結ばれていることの、ある意味での異様さを確認する必要があるだろう。アイデンティティの労働とはまずなによりも労働がアイデンティティになることだ。(中略)ここでは、キキのそのクリエイティヴな労働が、先に論じたアイデンティティの労働の特質を備えていることを指摘していきたい。キキが一種の偶然から選ぶ職業、宅配便は、その本体は肉体労働であるはずだが、その表象においては感情労働の特質が前面に押し出されている」(p100)
その根拠となるのが母親からの「笑顔を忘れずに」っていうアドバイスだったり、オソノさんからの「いいね!」の承認だったり、「素直で明るい」ことだったり……
「能力を失った時、キキは猫のジジに向かって、「素直で明るいキキはどこかに行っちゃったみたい」と言う。もちろんこの「素直で明るい」という、外国語への翻訳がかなり難しい概念は、「素直であること」(英語であればhonest,true to oneselfやfrank)と「従属的であること」(obedient)が魔法のように結合された日本独特のジェンダー概念であり、キキの労働がそのようにジェンダー化された感情労働であることを物語る。」(p102)
ここ、私ゾッとなりました。「女の子は素直で明るい方が愛される」って言われた覚えないですか?
まざまざ思い出したのは、昔、テレビの番組で細木数子が中森明菜に向かってそう言ってた場面です。(ちなみに私は明菜派で明菜ちゃん大好きです。)素直な明菜ちゃんは涙ぐんでうんうんって頷いてました。
細木数子がテレビに出まくってた当時、多くの人が細木数子にやられていて、うちの母なんかも「そうだよー、ほんとそう」なんてうんうん頷いてて、あの気持ち悪さをまざまざ思い出しちゃいました。
女性が「素直であること=従属的であること」が誰にとって都合がいいのか。ゾッとします。
面白いのは、『魔女の宅急便』がポストフェミニズム的なテクストとして読めるなら、『千と千尋の神隠し』は第三派フェミニズム的なテクストと読めること。
一方で、高畑勲作品は宮崎駿作品の批判として読み取れるっていうのも面白く、少なくとも、宮崎駿はこうして取り上げられているような「読み」に対して無意識的ではない、と。
なんか分かりますね。そこはやっぱり。時代を感じる力、背景を描く力のような。
私はひねくれものなんで、いろいろな批評や考察を読んでて、いやいや作者はそこまで考えてないでしょ、ってツッコミを入れることが多々あるんですけど、でも無意識的であるかそうじゃないかは、物語の根底、骨組み、強度、とかそんなふうなものにものすごく影響すると思うんです。
ときには自覚のなさを非難されることもあるわけで、クリエイターはそもそも自覚的であってしかるべきなのですね、そこはやっぱり。
第一章のアナ雪で女性たちの連帯を論じながら、本書は最後で実際には連帯の困難さを論じて終わります。
「わたしは、右に名前をあげた、直接に知っている方々だけではなく、本書であつかったさまざまな作品や著作の作者、いやそれだけでなくそこに登場する架空の人物たちからさえも、願望を受け取って本書を書いた。/本書を書き終えてもっとも強く残る感慨は、文学や映画などのフィクションについて書くとはつまるところ、そういうことなのだろう、ということだ。」(p237)
物語に対して、でもフィクションでしょうって、それはそれ、これはこれって楽しむ風潮は強いでしょう。物語が使い捨てにされている現在ですから。
でも、そのとき楽しめればいい、ってことだけが物語の力ではなく、強度の強い物語はだからこうしてテクストとなり得るのだろう、と。だから私はこうした批評を読むのが好きなのかな、なんて思えました。
『ぼそぼそ声のフェミニズム』栗田 隆子∥著(作品社)2019/06
「私は、世の中を理解し、周囲を啓蒙するフェミニストではない。切れ味の鋭い発言で相手を言い負かす、そんな姿とも程遠い。(中略)先頭を突っ走る人からは見えない風景や、そこからとりこぼされたものを、拾い集めながら、私をいたずらに否定するまなざしに対して「わからない」と突き放し、ゆっくりと歩いていく。」
「だからこそ、華やかな論破の能力もなく、すぐに男女平等を生活の中で実現できない立場からの、「フェミニズム」を軸とするぼそぼそとしたつぶやきを、途切れ途切れでもやめずにいたい。」(p11-13)
なのですけど。切り口の方向性や指摘にはっとすることや共感する点が多かったです。ネガティブな私は、どんどん絶望的な気分に落ち込んでいってしまったりもして。
いろんな、いろんなことを考えてしまうのだけど、ヨクヨク考エ(🄫lagerさん「中ジョッキの詩集」https://kakuyomu.jp/works/16816700428067363115)続けることは難しい。難しいけどやらねば。でも難しい。
変わらなくちゃならないのは社会の意識で、でも偏りすぎるのはよくなくて。バランスなんですよね、きっと。でもいいバランスであれるときは短くて。どうすればいいんですかね……。
『木簡古代からの便り』奈良文化財研究所∥編(岩波書店)2020/02
今、木簡が熱い!ってことで。みなさん、木簡おもしろいですよ~。
昔は紙が貴重だったから木を使ってたんだ、なんて思われがちなのですが、違うんですよ、古代の人々は賢く用途に応じて使い分けていたんです。
木簡は削ることで何度も記入ができた。遺構から発見されているのはごみとして捨てられたこの削屑がほとんどで、それが文字を読み取れる状態で残ってた、これは貴重なものだと見抜いた発掘現場の作業員さんたちがもうすごい。
有名なのは長屋王の屋敷の場所を特定するに至った長屋王屋敷跡の遺構ですけど、ちょっと話がずれるのですけど、こういう貴族のお屋敷を取り仕切っていた「家令」って実は国から派遣されている国の役人だってことを初めて知りました。こういう目から鱗の知識を思わぬところで得られるから、読み漁りって好きなんです。
え、で。話ズレましたが。
こういう遺物の紹介については、
『平城京のごみ図鑑 見るだけで楽しめる!視点で変わるオモシロさ!』奈良文化財研究所∥監修(河出書房新社)2016/11
こちらの本もおススメです。前頁カラーで写真が満載。木簡だけでなく食材や土器もターゲットにしています。割れてしまった土器のかけらでまで字の練習をしたり、いたずら書きをしているのがおもしろいです。
役所で給食を食べるために持参していた食器に名前が書いてあるのが可愛かったり。給食のおかずがまずいから何とかしてくれって木簡の隅っこに訴え書きが残っていたり。
古代史がぐっと身近になります。
おまけ
『月の砂漠をさばさばと』 北村薫 /著 おーなり由子 /絵(新潮文庫) 2002/6/28
娘が、お母さんも読むかなーと思って、と学校の図書室で借りてきてくれました。やーん、嬉しい(親バカ)
でもこれ、児童向け文庫じゃなく、一般の新潮文庫なんです。字が少し大きめで(といっても最近刊行されてる文庫ってみんな字が大きめじゃありません? たまに古い文庫を開くと、字ちっさ!ってなります。老眼じゃないですよ!)おーなり由子さんのカラーイラストが満載とはいえ、本は嫌いじゃないみたいけど飽きっぽい娘が一冊読み切れるのかなって思ったんですけど、娘は「この字なんて読むの?」なんて訊いてきながら一日で読破したんです。マジか、とびっくり。
で、私も読んでみました。うん、面白い。大人が読んでも子どもが読んでも面白いとはこういうことかと納得。
9歳のさきちゃんと作家のお母さんの二人暮しの日常をつづった短編集。ニュアンスを伝えるのが難しいんです。私が大好きなマンガ『Papa told me』とも通じる雰囲気で、でもそこまでセンシティブではなくもっと柔らかい眼差しなのです。そのあたりが子どもも受け入れやすいのだろうなって。
北村薫作品は未読だったんですけど、『時間ループ物語論 』でも『スキップ』『ターン』『リセット』の三部作が取りあげられていたしで、読まねばってなりました。
以下は資料メモ。
『「馬」が動かした日本史』文春新書1246図書 蒲池 明弘∥著(文藝春秋)2020/01
『小野篁 その生涯と伝説』繁田 信一∥著(教育評論社)2020/09