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読書メモ㊲

『賢者はベンチで思索する』近藤史恵(文春文庫)

面白かったです。主人公家族のどこにでもありそうな家庭の不穏感だったり、主人公の目線や感じ方がものすごく読者に近い感じが良かった。
恋しちゃった相手がめっちゃイケメンで、自分身の程知らずとか思ってたのに、イケメンに見えてたのは自分だけだったーとかめちゃ可愛かったです。
そんな中でフツウじゃない存在感を醸し出す国枝老人。いったい何者なのか。

それにしても、こういう日常の謎ものって、ネタそのものはフツウでなければならないのですよね。「日常の」なのだから当然。真相は誰もが考え得ることでないとならないわけで、それをどう面白く描くかHOWが重要。なんてまた思ってしまったのでした。


『ファンタジーとジェンダー』高橋 準(青弓社)

ファンタジー作品のなかのジェンダーやセクシュアリティに触れる前に、まず「ファンタジーとはなにか」の問題があって、それは果てのない議論になるので今作では「ジャンルとしてのファンタジー」と定義しています。

ですけど、賢明な皆様お分かりのように「ジャンル」っていうのも悩ましいもので。更に「ジャンル」=「人々にそう受け取られるもの」ってなるわけですけど。このジャンル分けの感覚や意識に大きく影響を与える要因が、
①先行する作品群
②コアをなす作品
③ファンタジーの特徴として認められた道具立て
④流通
⑤社会的要因
項目をそれぞれ見ていくと②のコアをなす作品として最も中心にあるのは『指輪物語』、少しずれて「ゲド戦記」『不思議の国のアリス』など。
現代社会で特に重要になるのが④の要素で、「何がファンタジーとして売られているか」で、その作品がファンタジーとして認知される。
⑤は社会階層によって享受する文化が異なるということ。大衆的なアニメーションやコミックでファンタジーを受け取ってきた層と、幻想文学や児童文学を通じてファンタジーを受け取ってきた層ではジャンル分けの仕方も異なるのではないか、ということ。
そして多様な内容や表現をもつようになってきている現代のファンタジーをとらえるには、サブジャンルを考えることが必須であるとも。SFファンタジー、中華風ファンタジー、アダルトファンタジーなどなど。

なんて読んでいくと、どのみちジャンルとしての定義さえやっぱり難しいと感じてしまうのですが。
ファンタジーの区分としてはそれ以前にハイ/ローがあるわけで。

ハイ・ファンタジーを大きく分けると三種類。
1.最初から最後まで異世界で物語が進行するもの。(いうまでもなく『指輪物語』がこれ)
2.現実世界の住人が異世界に紛れ込む。(「ナルニア国」や「ハリーポッター」。ローに区分される場合ももちろんある)
3.歴史や神話の世界を舞台とするもの。史実や時代考証の改変もあり。(「勾玉三部作」『銀の海 金の大地』、また亜種として『風の谷のナウシカ』『BASARA』もこれにあたると)

日本ではファンタジーの伝統がまず児童文学にあるので、ファンタジーといえば児童文学という見方が未だに強い。
そんななか戦後日本でファンタジーの幅を広げたのが1970年代から数回にわたって起こるファンタジーブーム。
まとめるとこうです。

「第一の波」1970年代、特に後半。
英語圏のヒロイック・ファンタジーを主とする外国作品の紹介、早川書房の「ハヤカワ文庫FT」による流通、ジャンルの確立と拡大。
当初ヒロイック・ファンタジーはSFのサブジャンルだったが次第にファンタジーとして意識されていく。現代和製ファンタジーの出発点ともいえる「グイン・サーガ」も最初はSFファンに読まれていたのが、次第に独自の読者をかちとっていく。

「第二の波」1980年代後半から90年代初め。
現在の日本のファンタジーの基本構造をつくったともいえ、様々な展開が見られる。
和製ファンタジーが量産され、「エフェラ&ジリオラ」「破妖の剣」「スレイヤーズ」などがスタート、「ヤングアダルト向け」という新しい領域が開拓される。
『長安異神伝』「十二国記」『創竜伝』などの中国風ファンタジー、『帝都物語』「勾玉三部作」などの和風ファンタジーの興隆。
そして多メディア化。『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』などRPGの流通により日本のファンタジーの受け手は低年齢層に拡大。息長くファンタジー作品が受け入れられる基盤ができあがる。テーブルトークRPGのリプレイとして「ロードス島戦記」の登場も。
流通面でヤングアダルト向け文庫の創設も重要な出来事。

「第三の波」1990年代
いうまでもなく「ハリー・ポッター」シリーズとその映画化。CG技術の発展を背景に古典の『指輪物語』も映画化。
児童文学系ファンタジーが再び脚光を浴び、単行本のファンタジーも売れる。
いわば先祖返りの時期。

と「ファンタジーとはなにか」をこうまとめたうえで、ヤングアダルト向けとアダルト向けのハイ・ファンタジー小説を中心として、そこにジェンダーやセクシュアリティという視点をもちこむという試みの本書。

「ファンタジーに出てくる女性キャラってみんなステレオタイプ」という女子学生の感想から探求が始まったということなのですが、そもそもこのステレオタイプっていうのがファンタジーでは重要だそうで。
ステレオタイプだからこそファンタジーであり、オーソドックスな中でいかに魅力的なキャラクターを描き読ませるかが作者の力量だろうと。

いっときは男装して男性キャラと肩を並べて冒険をしても、恋愛を経て「待つ女」「癒す女」という母性の役割へと戻ってしまう。
ですが、ファンタジーを書く女性作家の増加によって、自身が主人公となって戦う女性たちが登場します。彼女たちはシスターフッド的な女性同士の絆を重要視し、性暴力による心の傷も自らの成長で克服していきます。

斎藤環が『戦闘美少女の精神分析』で考察した類型化によれば、フェミニズムの影響やポリティカル・コレクトネスへの志向がみられるアメリカ的な「戦う女性」に対して、日本的「戦闘美少女」は徹底的に虚構的でありおたくの所有の対象であるということ。ただし、この議論は男性中心的で男性の受け手しか想定できない。

では女性の視点でみると。アメリカ・ファンタジーの女性たちが「絆」「エンパワーメント」をキーワードに、厳しい現実社会との戦いに立ち向かう勇気と可能性を示してくれているの対して、日本のファンタジーはヤングアダルト向けであるため十代から二十代はじめの女性にとって同一化や共感、憧れの対象であるといえる。彼女たちは「ほとんど例外なく内面になんらかの葛藤や苦悩を抱えていて、それが物語構成やストーリー展開上の鍵になっていることも多い。」

ヒロインたちに共通してみられる問いが「わたしの居場所はどこにあるの?」
三十年以上にわたって日本の少女向けコミックの主題を分析している藤本由香里が「日本における少女マンガの永遠のテーマ」と指摘したのも「わたしの居場所はどこにあるの?」
自分に自信がない平凡な女の子たちが抱えている漠然とした不安感をヘテロセクシュアルな関係によって救ってもらう。橋本治いわく「自分がブスでドジでダメなのだと思いこんでいる女の子が、すてきなあこがれの男の子から『そんなキミが好き』と言われることで救われるオトメチックマンガの黄金パターン」です。
ヤングアダルト向け文庫が多い日本の女性向けファンタジーは少女マンガとモチーフは共通ってことです。
ですけど「戦う女性」ですから、異性からの癒しで救われるだけじゃありません。アメリカ・ファンタジーの戦う女性たちと同じように仲間たちとの絆や経験や自信、自分の居場所を戦うことによって勝ち取っていくのです。
良かった、ほっ。

で、そもそも本書はファンタジーの中のジェンダーを読み解くのですから「戦う女性たち」が存在・活躍することを可能にしている社会がどんなものかに注目する必要があります。「空想的なもの」と現実社会とはどんなかかわりがあるのか。意識することが読み手の実践というわけです。

ファンタジーの中の家族についても考察されます。ファンタジーに限らず、主人公の両親が不在のお話って多いですよね。しかし父親役、母親役的なキャラクターはいますよね。父親的な役割は複数の成人男性に振り分けられ、主人公の成長に際してのロール・モデルとなる。
実父は子どもに何を残すのか、社会的な特権と「名前」だっていうんですね。なんともシビア。対して母親が残すのは愛。
読み取れるのは現在における父親という存在の危機、変質との呼応。うむ、シビア。

また現実とは異なる社会構成だからこそ成り立つ家族のかたちも。「十二国記」の女性が妊娠出産しない世界などファンタジーだからこそですよね。
ファンタジー世界の家族と対峙する現実社会の家族のかたちは、近代になってからこうであれと私たちがそれが普通だと受けとめさせられている「近代家族」のかたちなのですよね。母親の自己犠牲や献身をあたりまえだとする価値観とか。社会に噴き出ている家族のゆらぎは「近代家族」の抑圧が原因だとも。
この「近代家族」とは異なる家族や夫婦の形態や意味づけをダイナミックにできるのもファンタジーだからこそ。
逆に、こういったファンタジーの中の家族のありかたを読み手がどう受け取るかによって受け手が生活している社会がどうなっているのかも見えてくる。読み手個人にどんな影響をもたらすかは読み手次第。それこそ、今現在、どんな家族形態に置かれているかは人それぞれでしょうから。

〈「すぐれたファンタジー」を作り出すのは、なにも書き手の側の努力だけではない。読み手の努力もまた、そこでは必要とされるのだ。〉
〈多くの人にとってファンタジーは楽しみのために読むものだ。しかしだからといって、うるさいことを言うな、という主張は間違っている。性差別や搾取や抑圧を肯定する、あるいは無関心からそれを支持してしまうような作品よりも、そうでない作品のほうが読んでいて「楽しい」。そのことをもっと読み手は自覚するべきだろうし、主張もしていくべきだろう。〉(あとがきより)

おもしろく楽しく、そして多面的に多様に深く読み解ける、そんなファンタジー作品が今後も新しく生まれ続けてくれるように願います。

ちなみに、巻末付録としてかなりのページ数を費やし、児童文学からヤングアダルト向け、少女マンガまで、注目点を押えながら数々のファンタジー作品を紹介してくれてます。
この本の発行は2004年。今現在の「ジェンダーのファンタジー」はどうなっているのだろう。はっきりと意識した作品がもっと増えていることでしょう。私は苦手なやつだけど『夜の写本師』なんて、ジェンダーの視点から解説してもらえないかしらって思います。

13件のコメント

  • お久しぶりです。
    この本、めちゃくちゃ読みたくなってきました。
    っていうか、読みます。今Amazonでポチりました。

    こういう考察は好きですねー。
    そして、私が日々ヤングアダルト向け作品に登場する女性の『型の通りの動き』に日々違和感を感じていた事について、ちゃんと言葉になっていて、しかもちゃんと説明まであるというのが、胸わしづかみにされました!

    この本が発行されたのが2004年なのに、その方向が緩和されるどころか結構更に顕著になった気がするんですよ。なんだろう。SNSや無料コンテンツの乱立で、マニアックな欲求を満たさないとお金が稼げない時代になってきたからなのかなぁ。
    いや、時代は繰り返すというから、昔もきっと同じ事があった筈。映画の時代に台頭してきたテレビとか。雑誌の乱立とか。
    でも、この17年でほとんど変わっていないのはなんでなんだろう?
    日本だけの特有の状態なのかなぁ? それとも、私が気づけないだけで変ってきているんだろうか??

    例えば映画の『ワンダーウーマン』とかは、もはや男性ファン向けというより、ヒーローに憧れる女の子たちに向けた話のようにも受け取れます。
    しかし、日本にこういった作品がどれだけあるのかって。
    『女の子向け』になると、途端にスイーツ映画になるのは何故だ??
    まだやっぱり少女漫画のあの王道パターンが人気あるから??

    ふと。
    最近『悪役令嬢もの』をちょっと参考に調べる事があったので、それをかじってみて不思議だったのは、「本来の婚約者から婚約破棄されたら、実はそれより高スペックな男子に好かれてて、ざまぁ」的な物が結構あるんじゃないかって思って。
    ふと。「いや、こっちの男がダメでもこっちの男」とかって、本質的には全く変わってないじゃん、と。結局男に依存している事には変わりなくねぇか?
    結局「誰かに見初められる事」自体に変わりはなくて、それって古き良き少女漫画となんら変わりないんですよね。
    どうしてだろう?

    ……長くなりすぎた!!

    失礼しました。
    まだ本読む前に語るなんて。今週日曜日には届くそうなので、楽しみに待ちます!
    そして奈月さんの感想と一緒に自分の感想を見比べてみます!!

    ありがとうございました!
  • こんばんはー。
    ファンタジーの古典って書いてる側からするとすっごい役に立つんですよー。
    なんか適当な敵がほしいなー、なんて思ったときに『モンスター 一覧』でググればいろんな情報が出てくるので。クズきんでもお世話になってます。

    日常系ファンタジーなんてジャンルが出てきたのもこれのおかげかなー、と思います。知識の平均化がなされないと『日常』にならないですから。


    戦う女性たちについては、ホントにそう。日本とアメリカじゃ全然違う。『チャーリーズ・エンジェル』の最新作とか、『キャプテン・マーブル』とかを見て思いました。
    キャプテン・マーブルは最後のバトルシーンがすごい印象的で、敵役が「思い出してみろよ。今まで辛い思い出ばっかりだったろ?」っていうのに対して、「でも私は、いつだって立ち向かってきた!」って返すんです(セリフは私が脚色してます)。

    もう男キャラなんて全然要らないですよ。パートナー役の男性もどっちかというと友人関係になっちゃうし。

    でもこの前Yahoo記事で先日終わったばかりのプリキュアの話をしてて、まさにここで言うアメリカンヒロイン的な活躍をしてたんだそうです。「女の子は何でも許してくれる女神じゃない」って。
    これからは日本の女の子たちにもちょっと違う目が出るのかなー、なんて思いました。
  • 牧野さま

    そうなのです。評論家や研究者のひとたちっていうのは、浅学な我々があれこれもやもやと感じていることを、山のような資料やデータを参照しながら、すっきりと言語化してくれるので、私はこういった考察本を読むのが好きなのです。

    >その方向が緩和されるどころか結構更に顕著になった気がするんですよ。

    私もそう思います!
    読書メモ㉛の『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』でも2000年代には「女性主人公作品へのゆるやかな回帰」が見え始め「90年代に広がっていた多様性の後退」だそうで。
    「現役の女子中高生が手にするジャンルがライトノベルやケータイ小説に分散していく一方、90年代に少女小説を読むようになった層が引き続き読者として残ることで、自然と読者平均年齢が高まった。」
    にも関わらず、
    「2008年以降はそのなかでもさらに恋愛の様式が狭まり、「ヒーローがヒロインに溺愛される」という設定が増加する。相手役となるヒーローが最初から決まっており、一対一の安定した関係のなかでヒロインが愛されるラブコメが人気の形式となる。」
    だそうなので。

    永遠の黄金パターンってことで、そういう作品はすたれないのでしょうけど、もっと別のモチーフの作品も注目されたっていいのにって思うのですよね。今の市場や投稿サイトで目立つ作品群の多様性のなさっていうのが残念でならないです。

    とある女性向けレーベルのコンテストでもいまだに「ハイスペック男子」だの「御曹司」だの「社長」だの「セレブ」との恋愛をテーマにしたものがあって、見かけたときにはめまいがしました。どんだけ時代に逆行してるんだと。読者の需要があるから募集があるのでしょうが。
    でも、ジュリアンパブリッシング恋愛小説大賞の講評には「常に強引で男らしいヒーローに押し切られてしまう流されヒロインというのは、決してNGではありませんが、商業で書籍化となりますと、ドラマ性を膨らませるためにも本人にも何かしら行動してほしかったと考えてしまいます」ってあって意外だったのですよね。TLのレーベルなのにって。編集者レベルでは時代の変化に意識はあるかもですが。

    私も悪役令嬢ものをかなり読み漁ったのですけど、少女マンガの王道パターンのヒロインを悪役令嬢のポジションにおさめただけっていうのが多いですねー。悪役令嬢ってワードが入ってるだけで桁違いのPVが稼げるのだからそりゃ、とりあえず悪役令嬢にしとけってなりますよね、はは。

    男に依存してるだけのお話はなくなりませんね。それはしょうがないにしても、そんなんばっかなのは嫌なんだよおおおおって私は思います、ええ。



    lagerさま

    いや、そうやってググっただけで書けてしまうところにもう素養があるんだと。ファンタジーの。
    私はそれができないから、なかなか西洋ファンタジーに手が出せない。うう。

    ハリウッド映画こそ時代の変化にいちばん敏感なメディアですものね。男キャラなんて全然いらない、いいじゃないか。

    最近のプリキュアってそんなだったんだ! それはいいこと。
    うちの娘はもう見なくなっちゃったけど、まだ見ていた二、三年前には、近所の女の子と戦闘シーンを再現する遊びとかやってたっけ。
    「早く! わたしの手を握って!」とか「みんなの力を合わせるの!」みたいな。
    女の子だって胸アツなバトルが好きなのだよなって思ったものです。私もそうだったし。
    そうやって子どもが触れるものが変わってくれているのは嬉しいです。
  • 奈月様

    おはようございますー!
    研究者様たちが書籍として、専門家じゃない私たちに分かる言葉で世の中に広めてくださるって、本当にありがたい事ですね!
    こうやって色んなジャンルの本が本棚に増えていく……
    奈月さんのご紹介で読んだのか、それとも他のネットの記事なのか忘れましたけど、最近読んで面白かったのは、 大塚ひかりさんの『女系図でみる驚きの日本史 』でしたね。
    これは学校の勉強では絶対に学べない事が書いてあって面白かったです。

    女性ものの傾向については、私の浅い考察だと
    90年代にそういったものを好んで読んでいた女性たちが、社会に出てメッチャクチャにボッコボコにされて心を折られた事による原点回帰なのではないかと。
    当時はまだセクハラ&パワハラ&ブラック企業天国でしたよね。女性社会貢献が叫ばれて色々な場所につっこまれたはいいけれど、労働力&女性性の搾取をの洗礼をガッツリ受けつつ、ロールモデルとなるような女性上司や管理者もいない世界。
    自分が血反吐吐いて頑張ったところで社会の仕組み的に上に登れないので、結局「上位の男性から拾い上げてもらうしか自分が上位に行けない」という現実を見せられたからなのではないかと。

    男性の方も同じ事が言えるようになったのかな、と。
    女性が社会進出する事で、自分の思い通りにできる女性が減りました。(また、上司は相変わらず女性を好きに出来ているのに、自分が真似すると拒否される。なんでじゃ、的な)
    また、年功序列ではなく成果主義が叫ばれるようになった為、仕事等にも努力も求められるようになった。
    虚構の世界でぐらい、自分の資質(←ここポイント)が認められ、力のある男や女性にチヤホヤされたい。
    他の要因も複雑に絡み合い、どっちの現実も世知辛くなってしまったから、より虚構世界が欲望に忠実になってしまったのかなぁ、と。

    でも、そんな中でもプリキュアとか(私もプリキュアがそういう流れになっているとは知りませんでした)、子供が見るものにも変化が出てきたんでしょうかね。
    「このままでは良くはない」「本当は自分はこうしたかった」という願望が、少しずつ出てきているのではないかと、そう思います。
    今は、「自分はこうしたかった」という言葉がSNSを通じて世間に発信しやすくなってきたからの混沌期で、とても良い状態だと思います。今まで黙殺され存在していないと思われていた事が、表に出てくるようになったって事ですから。
    極端な意見も出やすくなってきているし、『叩いて潰す』というかなりキツイ状況になってきていますが、昔だって自分の意見を通したり発信する為に、東大占拠したり火炎瓶なげたり人前で派手に自決したりしていた時代ですよ? 昔と思想と行動の危険度は変わっていません。
    こういう事を繰り返して、またバランスが取られていくのだろうな、と思います。

    ……プリキュア、そんな胸アツな作品だったんですね。ちょっと興味がわいてきてしまったかも。
  • 牧野さま

    『女系図でみる驚きの日本史 』は知りませんでした。面白そう。
    よくいわれるのは、織田家の血ですよね。徳川家にもその他の有力大名家にも残っているっていう。ぶっちゃけ、子種が誰かなんて本当のところはわからないから女系で見なくちゃ血筋が繋がってるかどうかはわからないって考えもありますよね。ふふ。

    >90年代にそういったものを好んで読んでいた女性たちが、社会に出てメッチャクチャにボッコボコにされて心を折られた事による原点回帰なのではないかと。

    これ、よく分かります。私、深見じゅんの『悪女(わる)』ってマンガが好きなんですけど、いろいろなタイプの女性キャラがいてキャリアウーマンもたくさん出て来て、戦ってるんですよね、男社会の中で。女の敵は女って局面もたくさんあって、意識が高いあまりに意欲はあってもおちこれぼれのレッテルを貼られてる女性たちを切り捨てて優秀な女性たちだけの派遣会社を作ろうってなるエピソードとか胸にきます。
    先日読んだ絲山秋子の「勤労感謝の日」っていう短編も、セクハラ上司が父親の葬儀で母親にまでセクハラして、上司の頭をビール瓶で殴っちゃった元総合職の女性のお話でした。にわかにできた「総合職」に希望いっぱいだったのに、男上司たちの意識がまるで変っていなかったって悲劇で。

    結局のとこセクハラ、パワハラあたりまえな男上司の意識が変わってないから若い男性たちも苦労しているわけで、ほんとそうですね。
    バリアフリーの基本って、いちばん弱い人の視点に合わせればみんなが暮らしやすくなる、じゃないですか。身障者のひとたちが一生懸命訴えて設置されるようになった駅のホームのエレベーターを、みんなが便利に使っているように。
    女性が気持ちよく働ける会社って、男性にだって優しいわけで、私が知ってる中でも女性が多い職場って男性も居心地よさそうにしてるのですよね。わざわざそういう職場に飛び込む男性は心得ているからかもですが(笑)

    >「このままでは良くはない」「本当は自分はこうしたかった」

    これもありますよね。この願望を自分の子どもに過剰に押し付けてしまうと毒親になっちゃうけど。
    80年代にはテレビ局の女性プロデューサーの数ってめちゃくちゃ少なかったらしいです。今は増えてるのかなって思って調べてみたら、今だに女性社員は4分の1、役員はほぼ皆無、らしいです。テレビ局でそれって。
    あ、ついでに見つけたこの記事がおもしろかったです。
    https://www.oricon.co.jp/confidence/special/51067/
    テレビドラマは女性の自立に寄ってるのですよね。マンガ原作のドラマ化でもそっちの方向に改変される場合があるし。

    戦争に負け、安保闘争に負け、成長の仕方がわからなくなってしまった男たちが今更自分をどうにかするのは難しい、せめて今の若者と世代間対話がもっとできれば面白いのにって思うのですけどね。コロナの影響でネットに触り始めたおじいちゃんたち多いのですよ。なんか面白いことが起きるといいです。

    だってプリキュアはパンツを見せたりしませんから!
  • >「すぐれたファンタジー」を作り出すのは、なにも書き手の側の努力だけではない。読み手の努力もまた、そこでは必要とされるのだ。

    ですよね。最近ちょっと思うことがあって、例えばジェンダーなり、何がしかのテーマをファンタジーにのっけて描くのって、今すごく難しいっていうか、不利なんじゃないかと。本来はファンタジーが得意であるはずの、そういう普遍的なプラットフォームとしての役割が果たせなくなっているんじゃないかと思い始めてます。これは私がカクヨムにいて、カクヨムで流行っている作品に触れる機会が多いからかもしれませんけど。

    たいていの人は「ざまぁ」にしても「悪役令嬢」にしても、作品の舞台が現実世界でないのなら、それはもうファンタジー作品だと認識しますよね。ばくっと。で、そういう認識の人が、ファンタジーの中でジェンダーをテーマに扱った作品を読んでも、「つっても、ファンタジーの中のことじゃんね」で終わっちゃう気がします。本来は、「ファンタジーの中のことだけど、これって現実にも当てはまるよね」ってなるはずなんだけど、もうそんなふうには読まれないんじゃないかと。

    ファンタジーの持っている役割や力はもちろん変わっていないのですけど、読む人に作用する力の方向が真逆に働いている(その可能性が高くなっている、もしくはなりつつある)感じがするんです。

    なので、ジェンダーに限らず、社会的なテーマを描くのであれば、よりリアルな形の表現方法でなければ、受け取ってもらえないのではないかと。今を感じさせる、現実世界と地続きの、具体的でリアリティのある切り口じゃないと。ちょっと前に読んだ『持続可能な魂の利用』はまさにそんなリアルな切り口でジェンダーの問題を扱っていて、例えば、モロ欅坂46とか秋元康だとわかる人たちが出てくるんですけど、そういう切り口含めてすごく今っぽいな、と思いながら読みました。一方で、ちょっとぶっ飛んだ寓話的な展開も出てくるんですけど。

    今現在の「ジェンダーのファンタジー」、どうなってるんでしょうね。何か動きがあるのかな。最近あんまり本を読んでないので(いかんなー)、私もわからないのですけど。少なくとも、2000年代前半は(本来の)ファンタジーにとって不遇の時代だと私は思っています。ただ一方で、ファンタジーではない、リアルな表現による女性作家たちの活躍が増えている気がします。先日も川上未映子さんの新作が英訳されて、それをナタリー・ポートマンがインスタで取り上げて、二人の対談が実現したりしてて、二人とも美しくてしかも才女で、いいなーと思いながら見てました。

    ファンタジーって、種みたいなものなんですよね。育って花が咲くまでにどうしても時間がかかっちゃう。すでに咲いてる切り花を受け取る方が手っ取り早いし分かりやすい。でも、切り花はすぐ枯れちゃう。その点、種から育てた花はまた咲かせることができる、持続可能性がある。どちらがいいということでもなく、それぞれの需要に合った提供のし方、受け取り方があっていいと思のですけど、ただ、今は鉢植えよりも、花瓶にさした花が受け入れられやすいのだろうなと、そういうことを最近思ったのでした。

    ところで、『夜の写本師』、私、ずーっと気になっていて、本屋さんで手に取って中身をぴらぴらと見てはそっと戻すという行為を何度も繰り返しているのですけど、あの、ど、どうでした?
  • 私もそう感じています。ファンタジーが「空想的なもの」じゃなくて「リアルじゃないもの」に寄っちゃってる感じが。現実世界が舞台のラブコメにも「ファンタジーかよ」って突っ込んじゃうの。その場合、空想ではなく妄想の産物に反応しちゃってるの。いや、ダメじゃん、空想と妄想は違うよ、ファンタジーは空想的なものなんだからって我に返ったりして。
    ファンタジー=リアルじゃないものって認識がかなりできあがっちゃってて、今自分が生きている現実に結び付けるって読み方を、特に無料で読み捨てられるweb小説ではされないししたくないのかなって思う。
    で、そう、そういう読み方楽しみ方を否定はしないけれど、こんな読み方ばかりしていると読み取る力は確実に落ちるよねっていう。余計な心配なのだけど、でもな、うーん。

    こんだけジャンルとしてのファンタジーがあふれかえっているのに、本来のファンタジーにとっては不遇ってやりきれないわ。十年前、これからファンタジーが描きにくくなるって予想されていたのは「本来のファンタジー」にのみ当てはまってしまったのだね。

    現実世界が舞台の寓話的な展開って、川上弘美とか多和田葉子とか90年代なかばころから持ち込まれて定着した感があるのかな。当時は賛否両論だったみたいだけど、これも寓話の構造力を利用しないと読者に届きにくいのかなって。

    私は大沼紀子がわりと好きかも。『真夜中のパン屋さん』の。ってこの人のまだ二作品しか読んでないけど。文章すごいしめっちゃリアル。
    この人もそうだけど、リアルな重いテーマのお話を、語り口のおもしろさで読者に読ませていくってやり方がHOWとして定着してる感がやっぱりあったりして。するすると口の中に入れて飲み込ませちゃうの。読者が咀嚼できているかはどうかは……どうなんだろう? これがリーダビリティが高い作品の欠点かもしれないよな、とか。

    >ファンタジーって、種みたいなものなんですよね。

    ですね。荻原規子もエッセイ『ファンタジーのDNA』でそんなことを。
    種っていえばさ、「一日楽しむなら本を読みなさい 一年楽しむなら種を蒔きなさい 一生楽しむなら家を建てなさい」って、うちの地元では誰もが知ってる住宅メーカーのCMのフレーズなのだけど(笑)こういう楽しみ方をされにくいのって時代なのかな。

    『夜の写本師』LINEノベルで読んだのだけど。すごかったです。美しいって感想をもつ人が多いみたいだけど、私はひたすら怖かった。女の能力を奪おうとする男の嫉妬が気持ち悪い。好きな人はとっぷりハマれる世界観だろうけど、私はちょっと引いちゃいました。

    LINEノベルで読み漁った中では『魔導の系譜』『雨の日も神様と相撲を』『ミツハの一族』『妖怪の子預かります』がおもしろかったです。
    って、ハイファンといえるのは『魔導の系譜』だけだ。カクヨムの新文芸コンで師弟愛なんてお題があがってたけど、それ見てまっさきにこれが浮かんだ。新文芸で求められてるのはこんなんじゃないでしょうけど。
    『魔導の系譜』おススメです。読み応えあります。
  • 奈月さん

    >女性が気持ちよく働ける会社って、男性にだって優しいわけで、私が知ってる中でも女性が多い職場って男性も居心地よさそうにしてるのですよね。わざわざそういう職場に飛び込む男性は心得ているからかもですが(笑)

    これ、ホントにそうで、小さい子がいる家庭の女性の働く人って、何かがあると抜けたりするじゃないですか。(夫の方が休んでくれなくて)
    でも、誰もがみんな「自分もそう」だから、誰も文句も言わないし、むしろ共感してもらえます。
    「今日お迎えなんです!」って早く抜けたりするのが別に「ズルい」ワケじゃないって、もう最初っから理解されてて。
    「お互い様」の精神がそこにある。

    どうも、今社会を上から動かそうとしている年配の男性たちは「お互い様」という感覚がないのでしょうね。面倒くさい事は全て妻に(無意識に)押し付けてきた世代が多いでしょうから。本来は、その「面倒くさいこと」が社会にとって一番重要でキーなのに、自分がそこを意識した事がないから、今更気づく事すらできない、という。
    本来、そうであるのなら当事者とか自分とは違う人と話してヒアリングなりなんなりするべきなのに、聞く耳すら持ってないので変わりようがない。
    第三者的にみると、とても「勿体ないし、残念だし、ある意味可哀そうだ」って思います。

    記事見ました! 面白かったです。
    テレビ業界は未知の世界でしたが、なんか、もう、お疲れ様、って感じで。でもこれから伸びしろがいくらでもある凄い世界でもありそうですね。

    女の子向けでパンツ見せる意味ないですしね。むしろ嫌悪感を感じるでしょう。もしあるとしたら、それは製作者が本来の対象ではなく大きなお友達に目配せしているだけに過ぎないと思います。

    あ! Han Luさんだ!
    お久しぶりです!

    Han Luさんのお言葉、めっちゃ分かりやすくてビックリ。すごい例え。物凄く腑に落ちました。
    種と切り花……こんな素敵なのに納得する比喩があるのだろうか!?(反語


    ※以下、CMです。読み飛ばしOK

    実は、最近声が聞こえてきたジェンダー問題について、ずっと悶々と思っていた事を、現在小説として書き殴っています。
    解決策は作中では掲示するつもりはないのですが、ファンタジーという形で「見える化」できたらいいな、と。
    解決策まで提示してしまうと「そんな上手くいかねぇよ」となってしまうので、「こういう状況はムカつくんだよ!」と、普通の女性なら黙して言わないでいてくれる事を、声を大にして文句を言う女性を主人公に据えてみました。
    そう。沢山の人に読んでもらいたくて『悪役令嬢』という冠を被せたら、いろんな人が読んでくれるようになりましたしww
    悪役令嬢もの……マジキラーコンテンツ……
  • 「お互い様」の精神って本当、そうなんですよね。特に今、コロナの影響で急に休校になったりもするので、働くお母さんたちは恐々としています。
    でも悲しいことに、そこのところの理解って、女性ならすべての人がそうってわけでもなくて、経験のない若い子たちが「ズルい」ってなるのはもちろん、子育てを大昔にすませてるはずの人でも「私たちの頃はそうじゃなかった」なんてめくじら立てる人もいるから、女の敵は女なのね、って思うこともしばしばで。
    でもそうやって同じ女性にさえ牙を剥いちゃう人は、夫に面倒なことを全部おしつけられて苦しんできた人なんだよね。その苦しみを下の世代にまで食らわせるのじゃなくて、救ってあげるような気持ちをみんなが持てれば天国なのですが。

    ね、もったいない。任せてくれればいいのに。女の潜在能力を舐めんなよ、と。むしろ封じておきたいのだったりして。自分が威張っていたいのですものね。威張ることしかできない人もいますし。ある意味可哀想っていうのは本当にそうだと思います。

    悪役令嬢もの、フォローはさせてもらってたのですけど、ほんとだ、すごいことに!
    主張したいテーマを流行のモチーフに寄せるのはアリだと思いますよ。そうして百パーセント成功できる保証もないわけで、牧野さんのは上手くいったのでしょうね。読むのが楽しみです。

    私もいろいろもやもや感じたものを悪役令嬢ものでやってみようかな、と考え中なのですけど。書きたいものがとっちらかっててどうしようって状態で。出したい公募の締め切り順に書き上げたいけど、気分次第なもので。うう。
    でも、たぶん賞味期限があるだろうし、悪役令嬢ものやっちゃわないとなーとか。やっちゃう? やっちゃうか? どきどき。
  • 奈月様

    そうそう。女性もすべてができた人間ではないので、その中でも戦いがありますよね。子育て経験のない人が「あの日の分こっちに負担がかかってきててズルい」と感じるのはある意味未知の世界なので仕方ないなって思うんですが。
    今まで苦労してきた人が「お前も苦労しろ」となるのはちょっと残念ですね。
    今苦労している人の気持ちを理解しやすいのはそういう人たちなのに。

    >その苦しみを下の世代にまで食らわせるのじゃなくて、救ってあげるような気持ちをみんなが持てれば天国なのですが。

    これ、ホントその通りで。
    これが、ほんの少しでも気持ちが持てると、それだけで世界は素敵になりそうなんですけどね。

    悪役令嬢もの、ホント凄いです。
    ここまでのキラーコンテンツなのかと衝撃を受けました。だって桁が違いますよ桁が! 今までと!!
    自分でも戦々恐々としています。殆どが読み専の方ばっかりでカクヨムにアカウントがない人たちも沢山読んでくださっていますね。
    意外なのは、男性も読んでくださっているという事ですかね。
    悪役令嬢ものは、一種「水戸黄門」的お約束ざまぁがあるので、そういうのを好んで読む方々もいらっしゃるようです。

    書いちゃいましょう。思ったが吉日です。
    奈月さんが書く悪役令嬢ものって、絶対面白いと思うんですよね。
    また、今ある作品とは違ったものが読めるのではないかという、期待がめっちゃ漏れてしまうレベル。
    賞味期限と言いますが、悪役令嬢ものはもう「聖女救済モノ」と同じく、王道になった側面があるので、賞味期限は短くないと思います。
    やっちゃいましょう。やっちゃいましょう。今がチャンスです!
    わーい。楽しみですー!
  • なるほど。聖女ものへのカウンターみたいな悪役令嬢が王道にもなるって、すごいというか。ざまぁが好まれる風潮も、私は気持ち悪いのですけど。

    期限が短くはないのは安心です。やってみるかあ~。って、既にキャラクターの命名でつまづいてます。うう……
  • 奈月様

    凄い! 新作書いたんですね! 悪役令嬢ものだ! 今から読みに行ってきます!!やったー!

    「ざまぁ」は私は嫌いではないんですが、設定や展開によってはあまり好きではないですね。それに、ざまぁというより自業自得の自爆が多くて、それについては「違う、そうじゃないんだ」って思ってしまいますね。
    「ざまぁ」にも色々種類があるみたいです。

    それでは!!
    読んでまいります!!
    ありがとうございました!
  • まんまと乗せられて~。て、いやいや、やりたいなーとは思っていたので。お気遣いなくです。

    そうなんです。巨悪を懲らしめてのザマーミロならそれは気分爽快なのですが、ちっちぇー悪にちっちゃく意趣返ししたところで、なんだそれ? それがざまぁ?? っていう。ざまぁする側も大概だなっていうのがあるし。「ざまぁ」のためにねちねち悪事をでっちあげるほうが悪役みたい。
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