駅でひとり言を喋っている人がいた。
「へぇ〜小前田(おまえだ)なんて駅があるんだぁ〜」
顔見知りではないが、スマホで駅名でも調べていたことは想像できた。
周りに聞こえる声だった。これが物騒な話題だったら問題だったろうが、駅名へのコメント程度なら大したことはない。
仮に「会社行くのつれ〜な〜」とか喋ってたら「それな〜」と返したくなるくらいだ。超不審がられるだろうが。
Xは以前Twitter(ツイッター)と呼ばれていた。というより知名度的にはTwitter(現:X)と呼ぶべきだろうか。
140文字の投稿は、ポストではなくつぶやくだった。世界の新たなインフラとなり、良くも悪くも有名なサービスである。
自分もそれとなく使ったり、聞き耳を立てたりもしたが、実感として、人はそれだけひとり言を喋りたかったのだと思った。
以前は欲求はあれど、虚しいとして封じていた行為だったが、みんなと一緒だという安心と、ネットという都合のいい場所、発信という目的が同時に生まれることで、一斉に噴出したのだろう。
その大半は本来のつぶやき、何でもないひとり言に過ぎない。
事件を引き起こすのは、つぶやきとよく似たささやきの方なのだろう。
Whisper(ウィスパー)。つぶやくに比べると他人に呼びかける、意識させる意味合いが強い。
人にはパーソナルスペースと呼ばれる、これ以上接近されると不快になる(逆にこれ以上離れると意識しない)距離がある。
この距離は何も物理的な要素に限らない。赤の他人にタメ口や罵倒をふっかけられると不愉快になるのと同じだ。適切な関係の相手に適切な言葉をかけられると好感を覚える点も。
Twitter(のみならずネット空間)は必ずしも一様な広いスペースではない。時と場合により密になる。密の中で個人が発するつぶやきは、意図しないささやきに変わる。
誰もいない平原で愚痴るのと、満員電車で愚痴るのではワケが違う。
それはしばしば投稿者の意図しない好感、または嫌悪のもとになる。
反応が反応を生む。満員電車で客全員が伝言ゲームするようなものだ。
「それな」「わかる」「ちがう」「だまれ」の末にみんなの意見へと変わり、いつの間にか、選挙カー顔負けの大音量と化す。
それが事件に繋がってゆく。
最後にどうしてこの話を近況ノートで書くことにしたかを説明したい。
時間がちょうど空いた時など、色々とヘンテコなことを考える癖があるのだが、
そのテーマがちょうど1000文字程度のサイズだと、近況ノートと実作品、どちらに出せばいいか(それとも出さずにおく)のか分からなくなる。
その時に簡易的な判断をする方法が浮かんできたのである。
要するに、近況ノートはつぶやきで、作品はささやきなのだと思えばいいのだ。
今までの考察はあくまで周囲の把握作業でしかない。だからこれはつぶやきだ。「えーっとアレは明日までだよな」とかそんなモノだ。
ささやきには他人への「意図」が含まれる。
それは自分を褒めて欲しいとか、認めて欲しいとか、経験を伝えて糧にして欲しいとか、あわよくば人生観を変えたいとか、そういう目的がある。
これはウケるかな? という様子見もまたささやきだ。水を含んだのを確認してから一発ギャグをボソっと言うのと同じことだ。
そして、つぶやくのもささやくのも嫌な言葉なら、メモ帳に殴り書けばいい。