「XXXHOLiC(ホリック)」というマンガ作品がある。
「カードキャプターさくら」で有名なCLAMPが描いたモノで、ストーリーが面白く、手足が長いのが特徴だ。
そんなホリックはアニメ化をしている。Youtubeで一時期無料で公開されていたのをたまたま見てみたのだが、その中で印象に残る回があった。
背景もざっと踏まえた上で説明すると、こんな感じだ。
人ならざる存在アヤカシが見える男子高校生・四月一日(わたぬき)は、ひょんなことから魔的なモノを扱う店の魔女っぽい女店主・侑子(ゆうこ)さんによって、半ば強制的にバイトさせられることになる。
そこから一癖も二癖もある客やら人外やらと関わる、というのがざっくりした筋書き(特にアニメ一期においては)となっている。
そして、この話において四月一日が出会ったのは「やってはならないことを【つい】やってしまう」女性だった。
小学校の頃から押してはならない非常ベルを押してしまったり、
大切なプレゼンの直前になって道路に飛び出して怪我をしてしまったり、
助けてくれた四月一日に向けて差し入れの花束を投げつけたりする。
彼女と話してみるに、これらはやりたくてやっているわけでもないらしい……
「わざと不幸にしてしまうように操る」アヤカシがいるのでは、と予想した四月一日は、彼女を連れて侑子さんに相談を持ち掛ける。
しかし、侑子さんは彼女と何かを話すでもなく「私に【つい】無礼を働きたいのなら、やってみたら?」と挑発に近い台詞を出す。
驚く四月一日をよそに、二人は悪癖を解消するための交渉を行い、最終的には「魔法のアイテム」と称して普通の眼鏡を手渡した。
このやり取りが理解出来なかった四月一日は、すべてが終わった後に侑子さんに何があったのかを確認する。
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彼女の今までの行為は【つい】やってしまうわけではなく、すべて【計算の上】で行われていた。
なぜ、そんな不幸なことをする必要があったのか。
それは侑子さん曰く「バランスを取る為」なのだと言う。
幸せや成果を享受するには、それに見合った責任・経緯・対価が必要になる。
例えば宝くじで一等の二億円が当たったとして、それを換金したくない人がいる。それは自分が「二億円を手にするに見合わない」と考えているからだ。
四月一日は「僕だったら二億円は換金する」と答えるが、続けて侑子さんは問う。
「だったら、まったくの赤の他人が突然やってきて、あなたに百億円を渡すと言ったら受け取るか?」
彼もそれには「裏がある、怪しすぎる」と首を横に振る。
だが、侑子さんはその人が悪人だとは一言も言っていない。四月一日が後半だけ否定したのは、彼の判断の閾値を超えたからなのだ。
侑子さんは貰うに見合うだけの経緯や対価があったのなら貰うものだし、貰うべきなのだとも言う。
今回の客である彼女は、その閾値が著しく低かった。彼女は人並みの成長・喜びを「見合わない」として放棄してきたのである。
幸せには責任が伴う。ならば、その否定も成立し得る。幸せでなければ、負うべき責任もない。
だから彼女は人生において自分の幸せ・実績に結び付くような――つまり、人生に「重み」が加わるような出来事が発生するたびに、自分から不幸を被り、帳消しの形にして逃げ出してきたのである。
実際、彼女が子供の頃からやってきたことは、「怒られはするが、取り返しがつくもの」ばかりだった。
ただの眼鏡を「解決策」として手渡したのは、彼女が普段裸眼で生活していて眼鏡に対して距離感があるため。
渡された眼鏡を見るたびに、侑子さんの挑発が「おまじない」になって、彼女は以前のような逃げの一手を打てなくなった。
それはすなわち、彼女は自分が得るであろう幸せと責任に対し、真正面から向き合わなければならないことを意味している……
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この話は人間の理性と本音の部分を突いている気がした。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」というスパイダーマンに登場する名台詞があるが、
この話はそこから更に発展している。
「大いなる力に見合ったのなら、それが大いなる責任を伴うにしても捨て去るべきではない。過度な謙遜は傲慢にも等しい」と述べているのだ。
いつまでもぬるま湯にいたい。ヒリヒリする場にいたくない。求めている他の人に譲ってやりたい。それは分かる。出しゃばらず、安寧のうちに生きたいのも分かる。
だが、それも行き過ぎれば、ただの強情でしかないのだ。
バランスを取り続けるだけでは綱渡りは終わらない。そこから一歩前へ、前へと。