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我慢すべきか、表現すべきか


 変なことを考えることには自信がある。

 例えばこういうのだ。

 花束むしゃむしゃ
 https://kakuyomu.jp/works/16817330669613634615


 変なことを変なことのまま文章に落とし込むには、何よりもスピード、具体的には拙速(仕事は速いだが質が低い)が大切になってくる。

「ふー、今日は前半が書けたから、後半は明日仕上げるかー」だと馬鹿を見る。どんな風に馬鹿を見るか、質の低さに気付いてやめてしまうのだ。
 醒めてしまったら、終わりである。一瞬の発狂こそが重要だ。


 じゃあ、上記のような作品を連発し続ければいいじゃん、というのも思った。
 仮にその案を取れば、多忙になってきた今でも、結構な頻度で作品を出せる気がするのだ。
 背中が痒いから掻く、それくらいの軽さで作品を出してもいいかもしれない。

 ただ、それは「出してる意味ある?」という身も蓋もない反論に応えることが出来ない。
 背中を痒いている動画を見せられても仕方がないというか。これがスター俳優とかならいい、お宝映像としての需要があるから。
 でもなあ、おっさんが「背中が痒いのでこれから掻きます」とかやっても、再生回数4回とかだろう。それにおっさんだって気付くはずなんだ、俺はなんでこんなことしてんだろうって。

 ワンアイデア程度なら日常生活で頻繁に生まれるのは嬉しいが、それは益だけをもたらさない。
 全身が痒くなるのだ。ムズムズする、出したくなってくる。
 出している間にすら次々と痒くなる。こうなると生活にも支障をきたしてくる。
 我慢すると痒みは引いていく。ただ「ひょっとするとドエライものを取り逃がしたのでは?」という喪失感もある。

 おそらく、むず痒くなった時、取るべき道は2つに1つなのだ。
 1つは別れを惜しみつつ我慢する。本当に自分が表現したいものとか、超レアなひらめきの到来を待つ。
 もう1つはその痒みを最大限調理する。
 背中の痒みと世界滅亡を絡ませてみたり、お互いの痒みを鎮めるために夫婦になってみたり、痒みの原因と対策のレポートを書いてみてもいいだろう。
 同じ痒みに悩む者同士でフォーラムを作ってみたら、意外と仲間は多かったりするかもしれない。

 ただ、痒い時に掻けると最高に気持ち良いのは不朽の真理。
 これからも短期的欲求との戦いは続くであろう……

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