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優先度は低く、重要度は高い事柄


 娯楽や趣味、それから将来投資といったモノは、多忙になったり精神的にショックを受けると、後に回したり、止めてしまったりしがちだ。
 それらは優先度の高い事象に比べると「今やることではない」と判断される。貧乏生活の中で真っ先に嗜好品を切り詰めるのと同じだ。

 しかし……喫緊でないものが、必ずしも不要であるとは限らない。
 それどころか、そういった日常の何気ない習慣や仕草が「余裕」「幸福感」「達成感」「冷静さ」をもたらすといったケースもある。
 捨てた結果、生まれた時間で当初の問題がどうにかなったのなら、まだいい。
 けれども、個人の体感ではそうやって捨てた結果、余裕は消滅して荒々しくなり、時間は考えるうちに溶けてゆき、進展が見られないので更に焦る、イライラする……の悪循環。
 自分だけの問題ならともかく、大体の問題には他人の都合も入ってくる。

 勢いよく捨てたものに拾い直せない貴重品が含まれていると、悲惨極まりない。



 他人が自分を急かす、または、自分の中で悲観的な側面が自分を急かす。
 物事を大袈裟に伝える。問題は最優先で、最重要で、放置すれば甚大な被害を生み出す。すぐにやれ、何をおいても解決に奔走するんだ……
 その言葉にすっかり全神経を麻痺させられる。
 結果「火消し」を必死にする。消し止めたとしても、次から次へと火はおこる。一度受けてしまった指示は、二度目以降、容易に通る。そのうち麻痺するのが日常的になり、心の時が止まる。

 そういった状態は外見上には出てこないが、実際は割かし洒落にならない機会損失を受けることになる。
 損失に気付いたときには、すべてが終わっている。関係者たちは勿論何も補填なんてしない。

 だから、持っているものを守ることに、臆しちゃいけない。
 捨てることで安易に解決を図る自分にも、上手いこと捨てさせようと諮る誰かにも。

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