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分岐点の前


 こういうことを敢えて書く機会がやってくるとは思わなかったが、実際やってきてしまったので書くことにする。


 一身上の都合で今後ある程度の期間忙しくなりそうで、それに応じて執筆活動が少なくなるかもしれない。
 正直、今までもそれなりに忙しい中での活動だったので、ひょっとすると大して変わらないかもしれないが、
 如何せんその都合が「未体験ゾーン」というのもあって、予想が立てられない。

 そういうこともあって、せっかくの機会なので書くことにした。



 とはいえ、この心中モヤモヤした気分は滅多に現れるものではないので、ここで色々考察してみる。

 元々執筆の意欲があった人が、執筆活動を少なくする、あるいは、ぱったり止めるというのは、飽きた、諦めたなどで筆を折った以外でいうと、大きいイベント(受験、就活、罹病、転勤など)があった場合だ。
 執筆・創案に必要な時間、あるいは体力(精神)のリソースがなくなって、そういった状態になる。

 そういった大きいイベントは「渦」のような側面を持っている。
 少しずつ、回転しながら中心に引き寄せられていき、本体に近づくほど強くなり、ある程度の距離になると自力で脱出ができなくなる。強烈な回転が眩暈を起こし、今いる位置すら分からないまま「渦」にすべてを委ねることになる。
 ある程度「渦」に巻き込まれた経験のある方なら、何となく自分や近くの相手が引き寄せられていることを察する。

 私はこれを書いている時点で察している。おそらく飲み込まれることも予想出来ている。そうなったら近況も書けなくなるだろうから、こういった文章を残している。


 いや……実際のところでいえば、ほんの15分~20分だけ時間をとって、近況なりレビューなり、短編なりを仕上げることは物理的には出来るはずだ。
 精神的にとても出来ないとしても、その「とても出来ない」ほど逼迫した気持ちはレアな作品の原動力になるだろうから、勿体ない気持ちはする。

 有名人の自伝は、大体は執筆時点から過去を思い出して、あるいはインタビューした結果を書いているのだろうなと思われるが、
 それは本当にその時の心境や状態を正確に抜き出せているのか、と疑問に思う時がある。大なり小なり脚色されたものではないのかと。
「日記」や「ブログ」の内容を引用するという形もあるが、ストーリーに関係のありそうな部分に限定され、全文を利用するということは滅多にない。

 成功したにせよ、失敗したにせよ、「最終的な結果」によるバイアスからは逃れられない。

 そして、このバイアスは自分にも当てはまるのだ。未来の自分は、今の宙ぶらりんな自分の気持ちを知ることはない。
 どんなに言い訳しようとも、私はここで打ち明けることで、執筆活動を、当初の計画を、いつでもふいにする大義名分を手に入れようとしている。


 口惜しい。

 どんな自分事の激流の中でも「所詮は他人事だ」と思える心持ちがあったら、優れた書き手になれたのだが。

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