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資本主義の次に来る世界


 最近、近況ノートばかり書くようになった。
 年末年始に三作品出す想定で、そちらの文章を考えていたつもりが、色々と割り込みが入ってきてちらついてしまう。
 時間を置けば上手くいくタイプのものもあるが、中にはアイデアが出た時点でノリと勢いに任せて書き上げないとずっとダメになる(当初の想定を忘れてしまう)ものもあると痛感した。



 タイトルは別に予言に関する話をしたいわけでなく、同じ名前の本があって、それをほんの冒頭だけ読んでみたというだけなのだ。

 まあ……何というか、耳が痛い。

「資本主義の次に来る世界」を語るにあたり、先に資本主義の罪過が述べられている。

 端的に言えば「成長することを強制させる」点にある。
 最近の時世でよく用いられるフレーズに「その場に留まることは著しい後退である」というものがあって、
 世間のスピードはどんどん高速化しているので、現状維持したかったら死に物狂いで走って(策を講じて)ね、ということなのだが、
 これが資本主義の特徴ということだった。

「成長」という言葉は印象が良い。普通はこの言葉にネガティブなイメージを持つことはなかろう。
 しかし、野放図に成長するだけなら癌細胞にだって出来る。問題はその果てが、すべてのリソースを食い尽くした末に主人ごと滅びるという点にある。

 深く考えないでひたすら前に進み続けることを、何かをし続けることを強制する。
 そんな軽率な手を多く積み重ねた結果、気温は上がり、災害は頻発し、動植物は次々と減少。地球環境は完全崩壊一歩手前の段階まで来ている――という状態にあるらしい。


 資本主義は全世界の人々それぞれに人質を取っているに近い。その人質とは「その人自身の人生」。指示に従わない場合は貧困であり、それは則ち破滅を意味する、ということだ。

 深く考えずとも強烈な仕組みだ。仮に歯向かった場合、衣食住にしろ、三大欲求にしろ、何にしろ、様々な面で豊かに見える周りを四六時中見せられる羽目になる。
 加えて今のままでも……下を見て満足し、上を見て自分の身の程を弁えていればいい。
 火を尻につけたまま四六時中走り回るのは少々癪だが、それでもデメリットを考えればはるかにマシ。

 世界各国では、資本主義に対する懐疑的な意見が多く寄せられていると本書には記載されていたが、
 本当にフラットな――資本主義による恩恵を加味した状態で確認してる?(例えば「満たされたから」エコにも目を向けてみようとか思ってない?)という疑義はあった。



 環境問題が活発に取り上げられて、50年近くが経ったらしい。
「やります」「頑張ります」「目指します」と言いつつも、今でも環境問題は取り上げられているし、深刻化している気もする。

 個人的にもエコバッグは買ったし、節電節水用のシャワーヘッドや照明にもした。
 とはいえだ。どうしてかこの手の話にムズムズが止まらない。科学的なエビデンスがいくらあろうが、それは変わらないだろう。

 多分自分がIT業界にいて、ITという概念自体が、資本主義がもたらした「成長」の結果みたいなものだからなんだと思っている。
「気持ちはわかるけど、あなたの言い分をまともに聞いてたら、こっちの食い扶持がなくなっちゃうよ」と思っている。

 もううんざりするほど繰り返されてきた話だが、完全な善も悪もない。
 なので、正しい、正しくないで論じようとする限り、この不毛な議論は終わらない。

 ただ平行線というのは嫌なので、もう食べてみるしかない。蓼食う虫も好き好きというが、その蓼とやらがどんな味か、とりあえずは食べてみる。

 だから「資本主義の次に来る世界」は読み進めてみることにする。
 意外と真っ当な味かもしれないし、やっぱり吐いてしまうかもしれない。

 やってみよう。話はそれからだ。



※余談
 AIがどれほど進化しようと、環境問題を早期決着してはくれないと思っている。いくら優れた改善案を出そうが、各人が「過剰な便利」を捨てない限りはどうしようもない(根治に至らない)からだ。
 資本主義から脱却する心をはぐくむように動くにしても、子どもか孫世代になるだろう。

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