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暗い快楽について


 例えば……
 七十代の老人が美少女フィギュアを手に持ってレジに向かったとする。
 その老人は明らかに「家族に愛されて幸せそうなおじいちゃん」といった雰囲気だったとする。
 客やレジの兄ちゃんはこう思うだろう。
(はは、これはお孫さんか、ちょっと困ったお子さんへのプレゼントなんだな)

 老人はお辞儀をしながら袋に入ったフィギュアを大切そうに抱えて店から出る。

 向かった先は一人暮らし用のマンションだった。

 老人はニコニコする。
 今後繰り返すであろう「おたのしみ」を想像して……



 人には後ろ暗いことを保有し、隠し通す快楽というものがあるらしい。
 何がそうさせるのか。
 自分は特別であるという優越感によるものか、刺激を求める衝動によるものか。
 それとも、自らを露悪的に見せることで、自虐ネタをしたときに覚えるような安心感を求めているのか。

 何かの中毒になる仕組みは中島らもの「今夜、すべてのバーで」で秀逸に書かれている。
 アルコール依存症の主人公は「酔うことは酒の副産物だが、その副産物が目的になったとき、つまり酒に薬効を求め出した時に中毒になる」と振り返っている。

 秘密や嘘の類もそうなのかもしれない。
 他人の前で見せる表向きの顔、自分、またはごくごく親しい仲の人にしか見せない顔。
 人は繰り返すことで慣れ、より強い度数を求める。
 内実の距離が乖離すればするほど、その人は浮遊するのだ。無重力空間に投げ出される。
 どこへでも手が届くような気がしてくる。

 世間一般の「救い」のベクトルからは離れていくだろう。
 それが心地よい。それだから心地よい。

 ニュースで見受けられる「加害者(ごく稀に被害者)の深い闇」というトピックに対し、
 理解不能とコメントする人はいるだろう。それは自然だ。

 なぜなら、理解不能になるまで、一切口外したりして、光の下に晒すなんてことをしなかったからだ。

 もしも上記の背徳の快楽が本当にあるのなら、彼らは口にするだろう。

「なぜ助けを呼ばなかったかって? 決まってる。こんなに面白いこと、誰にも教えたくない」
 
 
 
 

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