神谷美恵子の「生きがいについて」(みすず書房)を読むと、毎回刺さる箇所がある。
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私たちは幸か不幸か現世のなかで自分の居どころをあたえられ、毎日のつとめや責任を負わされ、ひとや物事から一応必要とされて忙しく暮しており、そのおかげでこの虚無を、この「空」を、なんとか浅くまぎらしている。どうして私たちではなく、彼らが、何一つまぎらすものもなく、はだかのままで毎日この恐ろしい虚無と顔をつきあわせていなくてはならないのであろうか。
この問いに答はないのであった。答のないことを自覚する者は、自己陶酔に安住することを許されず、この虚無を克服するすべを、社会のありかたのなかにも、毎日の生活のいとなみかたのなかにも、心の持ちかたについても、探求しつづけなくてはならない。
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この部分は、「生きがいについて」の終盤になって登場する。
私はこの文章を読むたびに、著者が「この問いに答はないのであった」という回答に辿りつくまでに、どれだけの逡巡があったのかを想像するのだ。
この本の末尾には著者の執筆日記というものも付いているのだが、まさに血を使って執筆しているかのようなむき出しの熱意が感じられた。
まさにこれを完成させることが自分の人生の目的であるかのような、そんな印象を抱かせたのだ。その熱意をもって、一生に一度の大仕事に取り組んで、おそらく頭と身体をフル稼働させて、きっと思案し続けたに違いない。
その最後の最後、それでも「答えはなかった」と残す。それだけでなく、ひょっとしたら永遠に見つからないかもしれない答えを探し続けることを宣言する。
私だって上記の問いかけに対して、つまり、「そもそも選択肢がなかった人」に向けて、「なぜ私ではなく、あなただったのか」を答えるだけの力はない。
ただ、同じ答えを返すにしても、作者のように真摯に向き合ってきたわけではない。私が一生に一度の機会で同じ舞台に立ち、痕跡を残すとするなら、悔いを残さないように、「分かった」のだと、自分なりに納得した答えをきっと出してしまうに違いない。
著者はそうはしなかった。
なぜなら、そう出した答えは自分、または自分の周りにとっての「救い」にはなるだろうが、それ以上にはならないからだ。
答えがないのなら、自身が安住することも、救いから逸れた者を見て見ぬ振りすることも許されない。
何と苛酷な道なのだろう。救いを捨てたのでもなく、救いを諦めたわけでもない。荒漠と広がる砂漠の、一粒あるかすら分からない砂金を、彷徨いながら希望を持って探し続けるのだ。
それが著者のレーゾンデートルだったのだろうと思い、胸を締めつけるのだ。
今や答えが煩雑としている時代ではあるし、答えを強要される時代でもある。でも、知り尽くしたように見えた世界でも、実際「わからない」ことは山ほどあるのだ。
質問にすぐに「わからない」と返せば、非難や嘲笑の対象になるが、熟考の果ての「わからない」は敬意すら巻き起こすのだろう。