かなり前に「頭の良い」キャラクターに関するパターンや説得力に関する話を投稿したことがある。
「キャラクターの頭の良さについて」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054895021364 その冒頭で「書いている本人よりも頭の良いキャラクターは書けない」という不文律を取り上げている。
下手に頭の良いとか、何でもやれるような設定にしちゃうと、後々おバカな動きをするとつつかれてしまうという話なのだが、
この点を上手くクリアしたなと思うキャラクターが二名いる。
「両さん(両津勘吉)」と「ゴルゴ13(デューク東郷)」である。
この二人は何をやらせてもいけそうな凄みがあるし、実際、何でもやれる。
もちろん二名とも二百巻規模の大ロングセラーの主役なのだから、説得力が増すのは当たり前なのだが、
この二人のキャラクター設定は本当に絶妙なのだ。
何が絶妙か。
何でもやれるラインの「ギリギリ下限」を突いているところだ。
「何でもやれるが、何でもありなわけじゃない」バランスこそが、二人の強みになっている。
両さんはギャグ漫画というのもあってか、何をされても間違いなく生き延びるであろう安心感があるし、金儲けから、バトルもの、人情話までなんでもござれだが、
仮に増長したとしても、天敵でありオチ要員でもある大原部長のおかげで、丸く(?)収まっている。
ギャグ漫画としての都合もあるのだろうが、「万能の力を振るって一時の栄光を迎えても、その度に抑止力の介入によって、因果応報の末路を迎える(が懲りない)」という筋書きだけ見ると、
うまく「やりたい放題」から抜け出している気がする。
ゴルゴ13は「決して失敗が許されない状況で、不可能に見える射撃を実行する」が基本スタンスである以上、何でもできないといけない人ではあるのだが、
こちらの場合は、かなりストイックに「何でもできる人に見合った動きと、非常に高い難易度のミッション」を与え続ける、という形で突っ込みどころを減らしている。
いわば【ゴルゴブランド】によって許されるというべきもので、「何を言っても両さんだったら……」となる両さんとは対極に、ルールをガチガチに敷くことによって説得力を増している。なので「ゴルゴはそんなこと言わない!!」というリスクを常に持っている。
あと特記すべきこととしては、ゴルゴは存在自体が「抑止力」とも呼べる役割であることか。確かに万能の力を持ってはいるが、それを使うのは依頼を受けて振るうだけで、自分の欲望の為ではない。
依頼者と標的の確執がメインで、ゴルゴは数コマちょろとしか出てこないという話もあるくらいだ。
(※コンビニにある総集編などを数冊読むと分かるのだが、ゴルゴはあくまで人間として限界まで高い能力を持っているという感じ。結構負傷もするし、一点特化であれば彼と同レベルかそれ以上の人物もいる)
と、両者はどちらも説得力のある「なんでもやれる」キャラではあるが、その在り方は対極に位置しているように思われる。
ただ両者には共通項もある。
「ああ、このキャラクターの能力は(才能も勿論あるだろうが)【人生経験】によって得られたものなんだな」と納得できる点だ。
装備品としての「スキル」「才能」という概念を否定するつもりはさらさらないが、この点で扱いが難しい。
どんな人物にも状況を問わず「固定値」の強さが与えられるのであれば、「お前じゃなくてスキルが凄いだけじゃん」とか「とっととスキルを使えば楽勝だったじゃん」という話になりやすい。
経験由来の強さ(万能さ)というのは、積み上げてきた強さということになる。その源が何かというと、やっぱり作者の経験・情報量となるのだ。
実際、「こち亀」も「ゴルゴ13」も知識・雑学だったり歴史、時事ネタだったりがかなり多く含まれていて、
作者の博識さを通じて、キャラクターの価値観・人生経験も流れてくる形となっている。
ぶっちゃけ、すぐにパッと出せる類の「強さ」ではないし、しかも出したら後始末が最高に難しい類のものでもある。(下手に退場なんてさせられない)
ただ印象に残るキャラクターになるのは間違いないだろう。
読んでくれるかどうかは別なのだけども。