運が良い方だと思っている。
それはWHOが定めている「健康」の定義に自分が当てはまっていると思っているからだ。
要するに身体も、精神も、健やかである。今のところは。
社会人経験を積んでみると、「運が良いってなんだろう」と思うことに多く出くわす。
自分よりよほど腕の立つ同僚がいたが、心を病んで休職してしまった。
特異な体質で若くして頻繁に入院している人もいる。
懸命に努力して成果を出したが、当たり前のように「次期の成果」を求められて心が折れた人もいる。
それまではすべてが順調だったのに、事故一つで何もかも失ってしまった人もいる。
お話の世界とは違って、その人達には「続き」があるし、「心」だってある。「周り」もある。
外野が気安く口出し出来るような事情でもない。
……とはいえ、そんな中を歩いてみて、果たして「運」とはなんなのだ? と思ってしまう。
片や「この世のすべて」。「親ガチャ」という言葉を代表として、すべては運否天賦であり、努力、才能はすべてその上に置かれているに過ぎないという考え方。
片や「何の意味もない」。「悪い」出来事が起こったから「運が悪い」と言っているのなら、そんなものは後付けに過ぎない。
まるで大地震が起こった後に、「そろそろ来ると思ってたんだよね」としたり顔で話す予言者みたいなものだ。
全から無まですべてに含まれるエーテルみたいな存在の「運」。果たしてどう折り合いをつけていけばいいのだろうか?
例えば、私は今でこそ運が良い、幸せだと感じられる。
だが、仮に明日病気が発覚すれば、そんな感覚は打ち消されるだろうし、おそらく「自分は不運な人間だ」と思うに違いない。
自分より一世代若い方達のことを思うと、更に複雑だ。
生まれながらに「幸運」な社会か、「不運」な社会かすらもはっきりしない。
何もかもに手が届く代わりに、それらすべてがフッと吹けば全部吹き飛ぶような、不安定さを感じる……
悩んでみたのだが、案の定、答えは出てこない。
しょうがないので暫定案を出して、自分を納得させることにした。
「何はともあれ、今この時だけは運が良い」。