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才能の持続について


 人が「才能」というものに取り憑かれるようになって久しい。
 まず、才能があるか、ないか。あったらあったで、どの程度の力なのか。すなわち町内で一番クラスなのか、世界で一番クラスなのか。といった話が登場する。

 まあそういった中で華をつかんだ数少ない人にしろ、それが「いつまで持続するか(相手に替わられずに済むか)」という最大の課題が待っている。

 才能ある人が華々しいうちに引退したり、枯れてもなお突き進んで晩節を汚したり、自分の才能の……言い換えるなら存在価値の消失に苦しんで病んだり、自ら死を選んだりすることもある。

 一番賢い、聡明な選択肢は最初の選択肢かもしれないが、その後の話もまた控えている。
 名選手が名監督になれるとは限らないように、別のことをし始めたとして同じような成果が得られるとは限らない。

 何をしても大抵うまく出来る人は、ごく僅かにだが、いる。常勝とは限らないが、きちんと結果を残せる人はいる。
 でもそれにしたって、老人にまでなってしまえば、そうもいかなくなってくる。どうやったって、誰かの手を借りなければならない時がやってくる。それは才能の埒外である。

……そう考えると、才能がカバーしてくれる人生の領域というのは意外と狭いような気がしてくる。
 才能は勝利を確約するものではない。仮にその人の遺伝子に刻まれた才能や素質が、その人の視野や世界を変えてくれたとしても、
 我々が「勝利」だと思っている方向は割かしその当時の時代背景に左右する。遺伝子は文明の発展速度ほどには進化していないので、下手をすればひどく生きにくい才能が発現することだろう。
(まあだからこそ、時代背景や文明をコントロールする側が絶大な恩恵を受けられるというお話が生まれるのかもしれないが……)

 誰もが上手くはいかないように上手くできているというべきなのか。

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