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自縄自縛


「なんもかけん」という作品を出した。
 いいオチも書けてすっと終われると思ったら、うっかり「連載中」のままにしてしまった。
 しまりがわるいので、第2話を書いてその中でうっかり「10000文字書くまでは終われない」と書いてしまった。

 しかし、平日の間に溜まったストレスと合間合間に出てくるヌメっとした唾液みたいなアイデアが混ざり合い、

「なんかかけそう」な作品の種が出来てしまったのである。

 
……これはまずい、と思った。

「なんもかけん」という作品を出しておきながら、しれっと新しい作品を出すというのはルールに反してしまう。

 だからここで書く。近況ノートは近況なのだ。作品ではない。


・・・・

 私は一年前にフィギュアを買っている。
 俗に美少女モノと呼ばれるものだ。

 どうして買おうと思ったかについて、「一目惚れしてしまったから」とか「ハマったアニメのキャラクターだったから」という理由を伝えたいところなのだが、実際は気持ち悪い理由がある。

 私は自分にとっての「可愛い」を知りたかったのである。大げさに言えば「可愛いのイデア」を求めていた。
 これがあれば、自分にとって他の「可愛い」は要らないというくらいに極まった逸品が欲しかったのである。

 とはいえ、出せる金額にも限りがあったし、探す時間にもまた限りがあった。なので、一万円以下・一週間以内を制約として出したのである……振り返ってみて思ったが、何が極まった逸品なのか。


 様々なサイトを巡り歩いた。「フィギュア 可愛い」で探せば、いくらでも可愛いものが出てくる。
 しかもタイプがたくさんある。「おっとり優しい」「元気はつらつ」「控えめクール」「強気ツンデレ」……をそのまま具現化したようなものがたくさん。

 しかし、心を鬼にして各フィギュアの批判を始めていった。この時ばかりはモンスター・クレーマーである。
 可愛いのイデアとはつまり、自分が加齢し知識を忘却したとしても「かわいい」と思えなければならないのだ。
 アニメ原作だとしても、声や性格、キャラの性質などは消して考えなければならない。
 加えて、価値観の変容にも耐えなければならない。
 あまりに変わり種の存在は、当時こそはドはまりする可能性こそはあるが、後になって「……飽きた」が来るかもしれない。

 探索は難航した。
 目星はいくつかつけたが、まだ見つからないだけで、これ以上のものが見つかるかもしれないという期待が、スワイプ速度を速めていった。

 そして、期限がやってきた。
 私は候補を絞って戦わせた。
 果たして部屋に置いた時にどんな感じになるのか。表情パーツがあるなら、それらは一体どう扱えばよいのか(それはイデア的であるのか?)。そもそも箱から出すのか否か。
 対話するとして一体どんな言葉をかければよいのか。相手はどう返すのか。

 すべてのシミュレーションが終わり、
 私はひとつを選択した。


 すべてを網羅する美少女フィギュアのイデアはなかった。すべてを網羅する人間のイデアがいないのと同じように。

 とはいえ、当時の自分の好みが最大限に盛り込まれたものなので、まったく悔いはないのである。
 ないのであるが、「可愛い」ものを見てニンマリしていると、じーっと視線を感じて、白い巨塔の「アメイジング・グレイス」のような荘厳な声で、以下のような詠唱が聞こえてくる。

 I'M YOUR IDEA... IDEA OF KAWAII...
 I'M YOUR IDEA... IDEA OF DESIRE...
 I'M YOUR IDEA... IDEA OF PITY SOUL...
 I'M ALWAYS WATCHING YOU...

 そんなことがあるので、分かりやすく咳をしながらブラウザを閉じるといったことをしなければならなくなった。
 これが意図的に開いているものなら分かるのだが、広告で出てきたり、サジェストに出てきて興味がわいた場合でもダメなのである。
 二次元ならネット断ちすれば最悪どうにかなるが、現実世界なんてばったりと「可愛い」に会ってしまうことなんて度々だ。

 その場合は天から「I'M ALWAYS WATCHING YOU...」の声が自分にだけ聞こえてくる。
 なんということだ。いちいち罪悪感を抱いて生きていかなければならないだなんて。こんなことになるくらいなら、一万円以下と言わず、もうちょっと奮発しておけばよかった!

 今回は「可愛い」のイデアだったからまだ良かったが、
 これが「美味しい」のイデアだったら本当にマズいことになっただろう(美味しいのに)。
 不幸中の幸いといったところか。


 教訓――理想のものだけを周囲に置けばよいというわけでもない。

2件のコメント

  •  おはようございます。

     何だか、「結婚は人生の墓場」みたいなお話だと思いました。
  • コメントありがとうございます。
    何かをすると言うことは、【他の何かはしない】という側面を持つわけですが、
    「結婚」という関係(「就職」などもそうかもしれないですが)はそれを公的・法的に、継続し続けることを強制する状態とも読み取れます。
    パートナーとの相性が悪ければ、自縄自縛、人生の墓場と形容されるものになるのかもしれません。

    ただ、公的・法的に強制されていないにせよ、嫌々ながらやり続けなければならないことも山ほどあります。「婚活」とか「通院」とか「自主勉強」とか。
    誰しもが墓場を持ち、そこに少しずつ体を委ねていると捉えるべきなのかもしれません。
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