夏休みが終わって、今週や来週から新学期が始まる学校が多いようです。しかし「カクヨム甲子園」は終わっておりません!! 残り10日間と、今がまさにクライマックスです。情熱あふれる応募作品の数々を読んでいると、熱い夏がいつまでも続くような気持ちになってきます。作品だけでなく、応援レビューがまた熱い!今回は読むと元気がでてくる“カクヨム甲子園2018「熱い!応援レビュー篇」”のご紹介です。夏の終わりが憂鬱な方は必読です。 宿題が終わったから週末に集中して創作に取り組むよという高校生の皆さん、応援していますよ!!
まずですね、この作者さん、文章が上手です。読みやすい、わかりやすい、そして面白い。
やはりテーマがテーマなだけに、聞いたこともないような道具やら用語やらが出て来ますけど、ちゃんとわかりやすく書いてくれてます。だから、安心して読み進められます。
正直に申し上げますと、学生時代、『工業高校』といえば、「普通科に入れなかったやつが入る」「そこしか入れないから入る」という悪いイメージを持っておりました。まぁ、地元の話ですけど。どうですか、いまでもそういうイメージを持たれている方、おりませんか?私だけかな?
でも、実際の工業生と関わったり、工業が舞台の話を読んだりするとですね、全然違うわけです。
彼らはプロです。
確かに進学校の学生と比較すれば、学力面で劣る部分があるかもしれない。けれども、それが何だ、と。
彼らには、社会に出て即戦力となれるような技術があり、知識がある。
世界を回しているのはネクタイを絞めたデスクワーカーかもしれないけれど、
世界を作っているのは、彼ら、技術のプロなのだ!
言葉が出ない。読み終わって今、僕は脱力感に浸りながらレビューを書いている。
もう一度言おう、言葉が出ない。
走り抜けた。走って、走って、走り抜けていた。
彼らの青春……いや、ここでは夏と表現した方が正しいか。
紡ぐ言葉一つ一つに透明な色付きガラスのような淡い色が色づいて、彼らの夏を鮮明に、過激に見せてくれる。そのことに目をそらしたとしても。
匂いが張り付いていた。音がこべりついてきた。
森林に蔓延する、むせるほどの土の匂い。張り付いてきた。
それすらも構わず、走り抜ける、彼の心臓の拍動が。こべりついてきた。
できることなら、最後まで見守りたい。それがたとえ最悪でも。
これは彼らの夏だ、17度目の夏だ。
彼らの欠けた何かを探す、夏だ。
……とは書いたけれども、実はカラスくんはいじめっ子に復讐する気はあまりなかった。
ちなみにいじめられていたのがヒロインで、カラスくんの恩人的な……。だから、報復ではあったけれど、それは主題ではない。
要はカラスくんが頭よくて、人間に飼われることを望んだ、初めてのカラスだったっていうことと、そうだな……あまりに頭がよすぎて、人の痛みがわかってしまう、そんなせつなさをはらんだ主人公像。
主人公はカラス。けど、いじめは許さない!
ヒロインとの再会の約束を果たすために頑張る、正統派ヒーローなのだ!!!
ノストラダムスにおびえ、1999年を迎えたことがある人間なら、一度は想像したり、友人や家族、恋人と一度はこんな思い語りをしたことがあるのではと思う。
「明日世界が終わるとしたら、どうしたい?」
この物語は終わりがくるかもしれない世界ではなく、すでに終末は訪れ、あとは順番が自分たちにくるのを座して待つばかり。
滅んでゆく世界の中で絶望感に襲われるでも恐慌を来たすでもない、
かつて問いかけた「終わり」は苦しくも、しかし、問いかけた答えが成就されることで愛しく溶けていく……
目頭がじんと熱くなるお話でした。
ある男が世界最後の日にラーメン屋を開ける話です。
いやぁ、壺に入りましたね!
ネタバレになりますが、構ってられねぇ!!
なんていったって地球最期の日だからな!!
まず最初にラーメン屋が地球最後の日にオープンするという序盤、家庭もあるのになぜかラーメン屋をオープンしてしまう店主、きわめつけは、麺がねぇ!!
本当に大笑いさせて頂きました。ありがとうこざいます。
おすすめです!
綺麗な描写で、自分も主人公の少女と一緒に沈んでいるような気持ちになる。
孤独な少女は、楽になるため海に身を投げいる。
そんな始まりだが、少女が沈みかけるほど、胸を締め付けられる。
地上よりも暖かな海、この世界は青いのだなと知ったこと、深海の暗闇で目を閉じる。
読み終わり、耳を塞いで目を閉じると、少女の気持ちが伝わってくる。
綺麗でした。しかも驚いたことに、作者の歳!
凄いなぁ。そんなことを知ると、応援したくなる。
頑張ってくださいね!
素敵なものを共有してくださり、ありがとうございます。
哲学的省察が非常に明快であり、そこが気持ちいい。
論理の扱いにある程度長けていないと、ここまで要を得て簡潔に表現するのは難しいと思ったが、作者が高校生であると知った時に驚いた。
本編は上記内容が戯曲形式で展開される。
そこで提示される会話の中身と、哲学的気づきは、非常にすっきりとして明快である。
ただ、その哲学的発見は、三角コーナー以外のあらゆるものにも、まったく同様に援用可能だ。
とすれば、これから始まる「私(主人公)」の旅は、「なぜそれが三角コーナーだったのか」を探る旅でなければならないだろう。
それを見出した時、そこに芸術にしかなしえない感動があるのではないかと思う。